羊飼いの憂鬱 | ナノ
※後半部分に若干グロテスクな表現が含まれます



ギルガメッシュさんが真剣に悩む傍ら、私はその後ろで適当に商品を手に取っては戻してを繰り返して時間を潰していた。優勝祝いに新都へ繰り出すと宣言していた通り、新都へ訪れた私とギルガメッシュさんは、とりあえず割れて使えなくなってしまった茶碗を新しく購入しようとデパートにある食器売り場に訪れていた。あれこれ数十分悩みに悩んでいたギルガメッシュさんは「貴様が買うならどれがいいと思う」と遂に私へ匙を投げ付けてくる。

「そういうのは自分が選ぶもんですよ」
「黄金の茶碗があったら即決だ。だがどこを探しても取り扱っておらんのだ」
「そりゃあ飯食うのに金ぴかな食器使う人なんて早々いませんよ」
「我が使うぞ」


お前は例外の中の例外だよ。
ギルガメッシュさんが使いそうな茶碗か………あー、駄目だ。どうやってもギルガメッシュさんが金色に輝く茶碗を使ってご飯を食べているところしか頭に思い浮かばない…。


…………………。


「ギルガメッシュさん、よくあの異空間から物取り出してますよね」
「ん?宝物庫のことか?」
「それです。あそこに金ぴかのお椀とかないんですか?」
「うむ…あるにはあるのだろうがな」
「はい」
「…捜すのが面倒臭い」
「この間カメラとか取り出してたじゃないですか」
「……捜すのが面倒臭い!」
「…………」
「おい、何だその目は」
「いえ別に。もうこれでいいんじゃないですか」

ギルガメッシュさんに合う茶碗を探すのも馬鹿馬鹿しい行為に思えてきたので丁度目についた物を掴み彼の前に突き出す。よく見るとペンギンの絵が描かれている茶碗だった。少し私の使っている針鼠茶碗と雰囲気が似ている。ギルガメッシュさんは茶碗を受け取ると暫く茶碗を眺め、訝しげな視線を私に寄越した。

「これが我に釣り合うとでもいうのか?」

やばい選択ミスった。だが今更「違います」なんて言えない……言ったらテキトーに選んだことがバレて万死に値する云々と言われて殺されそうだ。

「ええ、ほら。この三匹可愛いじゃないですか」
「………」
「この大きいのがギルガメッシュさんで、真ん中のがセイバーさんで、小さいのが……えっと……」
「………貴様か」
「(ええええ何でそうなる?!)はいそうです」
「………ふん。まあ良いわ。レジに行ってくる。貴様は先にここを出てゲーム売り場に行っていろ」
「…わかりました」

すたすたとレジの方に向かうギルガメッシュさんは私の見間違いでなければ少し上機嫌だ。今までのやり取りで上機嫌になる要素なんてどこにあったのかは全くもって謎だが、死線をくぐり抜けられたことは確かだ。ギルガメッシュさんの思考回路は単純なのか複雑なのか分からなくなってきたぞ…。ふう、と無意識に止めていた息を吐き出してゲーム売り場の方に向かうことにした。新作で面白そうなやつがあったら優勝祝いに託けて買わせてやろう。



***



………遅いな。


一通りゲームの棚を見て回り、さらにその隣にあった幼児向けの小さなゲームセンターに顔を出したにも関わらず、ギルガメッシュさんがやって来る気配はなかった。あの人の周りにはよく人が寄ってくる。何処かで声を掛けられて油でも売っているのかもしれない。

そろそろ歩きっぱなしというのも疲れてきたので近くにあったベンチに腰掛ける。帰ったら昼飯は何がいいだろう。個人的にはオムライスが食べたい。ギルガメッシュさんは度々「今日の飯はこれか…」と文句は垂れるものの、それ以外には特に味付けがどうだ、盛り付けはこうだ、と口煩くはないのが救いである。
買ったばかりの茶碗を使わないのも少しかわいそうだ。何かもっと良い献立はないだろうか……。


「ちょっと隣に座ってもいいかな?」
「ええ、どうぞ──…っ?!」


ぎょっとした。

それはそれは驚かざるを得なかった。子供特有の声変わりには程遠いソプラノ声に返事をしながら何となしに振り向けば、そこには子供ではなく、声の高い大人でもなく。そもそも人間ですらないものが立っていた。

な、何だ、これ……。

哺乳類が持つ柔らかい皮膚は見えず、そこには不気味と悪夢、そして冒涜的な神々を連想させてしまいそうな風貌。体は紫のどろどろとした液体で覆い隠され、顔と呼べるべき部分にはシンプルな黒の瞳が二つついていたが、口からはその体とはまた違う赤紫の液体がとめどなく垂れている。心臓がばくばくと鼓動を速めた。こいつはギルガメッシュさん以上に危険だと、本能的に理解する。瞬時にベンチから立ち上がり間合いをとれば、その訳の分からない生物は首を傾げるような姿をして「どうかしたのかい?」と尋ねてきた。どうかしているのはこいつの方である。辺りを見回せど、さっきまでゲームセンターではしゃいでいた子供も、私と同じくゲームを見ていた大人も、そして店員の姿も見えない。まるではじめからこのフロアには私とこいつしかいなかったように、誰もいない。ゲームセンターから流れてくる音楽や、店内アナウンスが誰もいないフロアに流れる。


「…もしかしてボクのこと警戒しているのかな?」
「……」
「うーん、まだまだ知名度低いのかなぁ。ボク、冬木のマスコットキャラクターで『聖杯くん』っていうんだけど」
「……はぁ?」

こんなB級ホラー映画に出てきそうなのがマスコットキャラクターだなんて聞いたことはない。思わず漏れた疑いの色を含めた声に、「聖杯くん」と名乗った何かは首の辺りをがくりと下に向ける。見たところ落ち込んでうなだれているようだが、表情に変化は見られない。笑顔がデフォらしい。

「…そんな不気味極まりないデザインを市が採用するとは思えない」

そもそも魔術に関わりのない人間からすれば「聖杯って何?」状態だ。私だって衛宮から話を聞いてなければそんな状態になっていたことは間違いない。

「そうだよねえ…こんなデザインじゃ、皆そう思うよね…」
「それに…ご当地キャラがデパートにくるなら普通スタッフさんが周りに何人かいる筈だし…何より着ぐるみじゃないし、怪し過ぎる」

なんか足元こぽこぽ泡噴いてるし。どっかの化け物みたいだ。…あれだ、あれに似てる。タタリ神。
聖杯くんは足音を立てずに、その液体まみれの体を引きずるようにしてベンチの上に立つと私の方に顔を向ける。

「……リアルな作りになっちゃっただけだよ。キミ、結構酷い言い草するね。でも今後の為にも参考になる。もし良かったら待ち人がくるまで話でもしよう」
「遠慮します」
「キミには元より選択肢を選ぶ権利なんてないんだよ」

苗字名前ちゃん?

名前を呼ばれた瞬間、私の体は私の意思に反して動き出し、聖杯くんの隣に腰掛けた。まるで操り人形のように、何の抵抗も出来ない。
何だこれ。
首から上は自由に動かせるようなので聖杯くんを振り返ると、やつは私の顔をまじまじと見つめてくる。表情に一切変化がないというのがまた不気味さを醸し出す。襲って精気を抜こうとか、頭から喰おうとか、そういうことをする気はないらしい…あまり確証はないが。だが聖杯くんが私に殺意を持っていたところで手も足も動かせない今、私に成す術はないのだ。こんな訳の分からん化け物を倒す呪文も、武器も知らないし持っていない。私が知っているのは口裂け女を撃退させる為の呪文くらいだ。今ここで重要なのはギルガメッシュさんがこっちにやって来るまで程よく会話を長引かせることだ。今の私にはギルガメッシュさんが頼みの綱である。このフロア全体が何かに切り取られたかのように誰もいないしやってくる気配もないが、破天荒なギルガメッシュさんならひょっこりと顔を出してきそうな気がする。

「何で名前を知っているかって?昨日の聖杯グランプリでキミを見ていたから、当然さ」
「…?電子掲示板に名前なんて…」

私の名前なんて載ってなかった。???と名前不明のギルガメッシュさんの相方となっていた筈だ。それなのに、どうして知られている?

「常日頃ギルガメッシュくんの傍にいる人間なんてあまりいないからね。捜すのに特に苦労はしなかったよ」
「…成る程、納得しました。で、ギルガメッシュさんに何か用なんですか?もし私を餌にしてギルガメッシュさんに何か脅し取ろうって算段なら無駄ですよ。彼、私に何の情もないし」
「ギルガメッシュくんは関係ないよ。用があるのはキミだ。苗字名前」
「私?」

聖杯くんはこくりと頷く動作をして喋り始める。

「キミの目を見れば分かるよ。底知れない、人間にとってはおこがましい程の願いを持っていることを。それなのに万能の願望機である聖杯に自らの願いを望まず、他者の願いを叶えてもらうなんて滑稽だね。でもボク的にキミのような者が参加する聖杯戦争は見ていてなかなか面白いんだ」
「………」
「だから、ね。……キミ、『家政婦』は欲しくないかい?」
「……はぁ?」

本日二回目の「はぁ?」だ。いかんいかん、今は天国にいる切嗣さんも言っていたではないか。「名前はもっと女の子らしくしなきゃ駄目だよ」と。軽く咳ばらいをして、突然どうでもよさ気な質問をしてきた聖杯くんに呆れた視線を向けるも、聖杯くんは微動だにせずポーカーフェイスを貫いている。…ババ抜きとか得意そうだ。

「何で家政婦…?」
「キミが命令することは何でも聞く、礼儀は正しい。時折来る新聞勧誘も丁寧に撃退!仕事が終わり、ヘロヘロになって帰ってくればほかほかのご飯と温かい笑顔!そして温かくて綺麗に掃除されたお風呂!頼めば子守唄も歌ってくれる…そして何より、キミが望む限り一生仕えてくれる!文句は一言も言わない!お金も要らない!そんな『家政婦』は欲しくないかな?」
「……新手の詐欺か」
「違うよ。人聞きが悪いねキミは。聖杯グランプリを楽しませてもらったボクからの優勝祝いさ。ねえ、欲しいだろう?」
「…そりゃあ欲しいなとは思いますけど、衛宮……知り合いが『タダほど怖いものはない』ってないって言っ…──痛ッ?!」
「キミは確かに『欲しい』と言ったね。ちゃんと言葉に責任は持ちなよ」

突然頭が真っ白に、頭の中でスパークが起こったような。そんな感覚と、腹部に激しい痛みが同時に起こり、思わず口から悲鳴が漏れ出す。痛い痛い痛いと言っても、何も変わらない。頭を抱えようにも、腹を押さえようにも、体はぴくりとも動かない。眩む視界の中で見えるのは聖杯くんの口から垂れている赤紫の液体が動き回り、何とまあ私の腹を掻き回しているという何とも信じ難い光景だ。血は出ていないが、視認した為かますます痛みが増す。涙がこぼれ落ち、泣き叫ぶことによって口からは唾液が垂れる。
痛い。気が狂いそうだ。痛い。誰か、誰か、そうだ、あの人はまだ、金色のあの人は、


「よし、これで終わりだね」
「…はっ……う、ぐ…………」

聖杯くんが私から離れると、糸が切れたかのように体はベンチを離れ、床に倒れ込む。頭も腹もまだずきずきと痛んでいる。脂汗の滲む顔を上げ、聖杯くんを見上げれば、彼も私を見下ろしていた。表情は笑顔のまま何も変わっていないが、意地悪く笑っているように見える。

「うふふ、手筈は整ったね。キミにしたことは後々分かるから楽しみにしていてよ」
「………」

聖杯くんを追いかける体力はなかった。音もなく彼が姿を消した瞬間、子供達の笑い声が聞こえ始める。今までのことは夢だったのだと思いたいが、この痛みが今までのことは現実だったのだと告げていた。起き上がろうにも、体に力が入らない。このままじゃ野次馬がやって来そうだ。ギルガメッシュさんはまだ来ないんだろうか。聖杯くんに捕まっていた時に来なかったな、あの人。まあ、ギルガメッシュさんだから仕方がないかもしれない。

「お姉ちゃん、大丈夫?どこかケガしてるの?」

上から心配そうな女の子の声が降ってくる。大丈夫だよ。そう言おうにも開いた口からは何も出てはくれず、遠くから聞こえる聞き慣れた声に反応することも出来なかったが、ああ、やっと来てくれたのだなと思うと、緊張が抜け落ちたのか瞼は自然に閉じていった。