羊飼いの憂鬱 | ナノ
勝ち誇った表情を浮かべるギルガメッシュさんの顔がやけに映えて見える。紙吹雪が舞う中、巨大な電子掲示板を見上げた。WINNERの文字の横には「GILGAMESH ??? GILGILMACHINE」とギルガメッシュさんの名前と…多分???は私のことだろう。(ほとんどの間ヘルメットを被っていた為に名前の特定が出来なかったのだろう。目立ちたいわけではないので特定されなくて良かった)それとこのバイクの名前があった。ギルギルマシンというセンスのない名前があったことに驚きだ。もっとハイカラな名前を付けようとは思わなかったのか。
無事ゴールもしたので低速で緩い速度の運転となるギルギルマシン(あのブースターは瞬発的なもので永続的なものではないらしい)の少し後ろから啜り泣く声が聞こえるので、そっと後ろを振り返る。そこには大量にあった百円も底を尽きたのか、完全に沈黙したライオン号の上で今後の生活を思って泣くセイバーさんと衛宮の姿があった。セイバーの肩を抱いて慰める衛宮がやけに目につく。その少し後ろにいる遠坂さんは、車から降りて腕組みをしながら真面目な顔でアーチャーさんと何かを話している。それを見て、この勝負は私達の勝ちなのだということを実感する。
微妙な心境になりながら、ギルガメッシュさんの名前を呼ぶ。彼が返事をする前に、目の前に突然目も眩むような光が差し込んできた。思わず片手で目を覆えば、「名前」と今度はギルガメッシュさんが私の名前を呼んだ。

「よく見ろ。あれが聖杯だ」
「…あれが、ですか。普通の優勝トロフィーにしか見えないんですが」
「だろうな。だがあれは魔術師の誰もが求めるものなのだ」

さあ、貴様の願いは愛しい男を蘇らせることなのだろう。叶えるなら今しかあるまい。

ぎらぎらと、ルビーのようなギルガメッシュさんの瞳が私を見る。

バイクはいつの間にか停止していた。目の前にはどこから出ているのかは全く以て不明瞭であるが、光り輝く聖杯がある。観客の歓声は響いている筈なのに、リモコンでミュートボタンを押したかのように聞こえない。遠くの方で衛宮の叫ぶ声が聞こえたような気がした。気がしただけなので、もしかしたら気の所為かもしれない。これで私の願いを叶える為のお膳立ては全て済んだ。色々考え、脳裏に蘇るのは切嗣さんの困ったような顔と、そしてギルガメッシュさんがあの名を呼ぶ叫び声だ。

「おい、早く願いを言え」
「名前、ギルガメッシュの言うことなんか聞くなっ!」


一度、ごくりと固唾を飲み込む。緊張の所為で乾いた咥内を舌で潤し、溜息を一つ。ヘルメットを外して、聖杯に一言呟いた。




***




ご飯が炊けたことを知らせる電子音が聞こえたのと同時に炊飯器のスイッチを押して蓋を開ける。可愛い針鼠の絵が描かれている、普通の茶碗より少し小さなサイズのそれは私が昔使っていたものだが、今はギルガメッシュさんという異分子がうちに来てからは、彼が今まで私が使っていた茶碗を使い、私がこの古い茶碗を使うことになってしまったのだった。別に大して気にはしていないけど、と針鼠茶碗にご飯を盛って食卓テーブルに持って行く。ギルガメッシュさんはテーブルの前に腰掛けたまま頬杖をついて微動だにしない。前髪の所為で表情を窺い知ることは出来なかったが、特に気にしないことにする。
ギルガメッシュさんが使っている茶碗にもご飯を盛り、彼の前に置いてやる。既に味噌汁も今日の惣菜である焼き鮭も既にテーブルの上にある。簡素に見えなくもないが、昨日は美味しいものを沢山食べたので胃を休める為にもいいだろう。手を合わせて「いただきます」と言おうとすれば食器の割れる鋭い音が部屋に響いた。原因は言わずもがなギルガメッシュさんだった。茶碗は台所の方まで吹っ飛び、無惨にも床には先程炊いたばかりのご飯がべしゃりと飛び散っている。ご飯から視線を目の前の王に移せば、今まで見たことのない怒りの表情を浮かばせながら私を見ていた。

「………罰当たりですよ」
「我が何を言いたいか、貴様分かっていような」
「さあ」
「ふざけるなよ、雑種風情が」

思い切り胸元を掴まれ、引き寄せられる。少し息が詰まったが、苦しい程ではない。味噌汁の椀が倒れ、汁がテーブルから床へとこぼれ落ちた。

「何故聖杯にあのような下らん願いを言った」
「当事者達にとっては下らなくないですよ。それに、ギルガメッシュさん言ったでしょう。『人を蘇らせる以外に叶えたいことがあるなら考えておけ』って」
「だがあの願いに貴様は一切関係がないだろうが!我にとっては下らん願い以外の何物でもないわ!我を愚弄しおって…高くつくぞ、雑種めがッ!」
「……っ」

思い切り突き飛ばされ、私は後ろにあったゲーム機器のコントローラーやらソフトのパッケージやらが背中に当たる。一瞬息が詰まり、げほげほと咳き込んでいると、ゆっくりとした足どりで近付いてきたギルガメッシュさんは私の髪を掴んで上半身だけ起き上がらせると耳に口を近付けて「理由を言え」と低い声で脅すように喋った。


「何故衛宮士郎を助けるような真似をした」




***




「衛宮士郎の定期預金を解約する以前の状態にして、準優勝として衛宮士郎とセイバーには賞金を出しておいて欲しい」


出来れば遠坂凛とアーチャーにも。


ギルガメッシュさんは大きく目を見開き、何かを言おうとするが、押し黙るとそのままバイクのエンジンを入れて走り出す。歓声や、興奮した実況の声が響く中、セイバーさんの引き止める声が聞こえたが、ギルガメッシュさんはバイクを止めることはしなかった。外していたヘルメットを被り直し、少し纏う雰囲気の変わったギルガメッシュさんにしがみついた。そして無言で帰宅したのち、今こうして夕飯を食べようとしていたのだが、どうやら暴君は予想していた通りに事が運ばなかったことに相当御立腹らしい。面倒臭いことになってしまったなと考えていると、私が何を考えているのか大体予想がついたのかギルガメッシュさんは一本の剣を黄金に波打つ空間から取り出すと私の喉元に突き付ける。



「……好きな人に頼まれてたんです」
「……」
「死ぬ数日前に。好きな人……切嗣って言うんですけど。切嗣さんが、『もし士郎が困ってたら少しだけでもいいから助けてくれないか』って。だから聖杯に困っている衛宮を助けてもらうようにした。それだけです」
「……そんな理由で我が満足すると思っているのか。王たる我がわざわざ貴様を報いる為に動いた結果がこんなお涙頂戴の茶番劇だと?馬鹿馬鹿しい。笑止だ。全くもって下らぬ」
「納得したい理由が欲しいんですか?」
「腹の虫の居所が悪い。我を納得させずにこのまま話を打ち切るなら我は貴様の命をもってこの場を諌めるとしよう」

血に飢えた目つきで彼は笑う。刃が喉元の皮膚を触れ、少しだけ痛みを主張した。こんな時だというのに何故私はこんなにも落ち着いているのか自分でもよく分からないが、とりあえず。

「……じゃあ一つお尋ねしたいことがあるのですが、よろしいですか」
「………ふん、残り少ない命だ。最後の願いくらい聞いてやろう」

にやにやしながら喋るギルガメッシュさんだが、目は全く笑っていなかった。きっと本気にはなっていないのだろうが、いつもその辺の中学二年のような真似ばかりしているのを見てきた身にとっては違和感しか残らない。

「どうも。…私、ギルガメッシュさんと知り合ってから勝手ながら貴方について知っておこうと思って色々本で読んだんですけど、」
「……」
「…昔、ギルガメッシュさんにはとても親しくしてらっしゃった御友人がいたそうですね」
「……如何にも。だが我が朋友と貴様に何の関係があるというのだ」
「貴方はその方が神々に殺された時、七日七晩涙に暮れたみたいですが…墓に入れたくないからと、その人の体が腐り落ちるまで抱きしめているくらい、大切に想っていたそうじゃないですか」
「………」
「何故彼を聖杯に頼んで生き返らせようとはしないんですか」


ギルガメッシュさんは、少しだけ目を見開き、一度瞼を閉じて、それから私の顔を見る。彼が何を考えているかはさっぱりではあったが、髪を掴む手を外し、喉元から剣を元に戻してから重々しく口を開いた。

「………我が朋友は、あの時、あの場で呪い殺されて死んだのだ。奴はそこで泣きながら生を終えた。…我如きの勝手な欲で奴を蘇らせようなど、あってはならん。奴も望まんだろうからな」
「……だからです。ギルガメッシュさんが思ってることと同じく、私もそう思ったんです。ギルガメッシュさんからご友人の名前を聞いた後に色々考えて。切嗣さんも聖杯を使って蘇ることなんて望んでないでしょうし。ギルガメッシュさんがそう考えなら、私の考えだって理解出来るでしょう」
「………」
「そりゃあ切嗣さんとまた会えて一緒に何処かへ遊びに行ったり、ご飯を食べたりできたらそれは幸せでしょうけど。所詮聖杯に蘇りを頼んでもそれは偽りのものでしかない。どんなに完璧に生き返ったとしても、切嗣さんはあの冬に死んだという事実を覆すことは出来ません」


だから、それだけです。

ギルガメッシュさんは無言で立ち上がり、倒れた味噌汁の碗を直し、台所に飛んでいった茶碗を拾い上げた…が、勢い良くぶっ飛んだそれは綺麗に二つに割れていた。


「それで我を納得出来ると思っているのか」
「…この世を統べる王相手を丸め込ませる程頭の回転良くないですし、饒舌でもないんで。思ったこと言っただけです」

駄目なら駄目で、それでいいです。仕方がない。その程度の命だったってことだろうし。
そう言った私に彼は割れた茶碗を片手で持ちながら、床に落ちているご飯を手で拭いとり、台所の流しに持って行く。ゲームのコードの抜き差ししか手伝わないギルガメッシュさんが。自ら自分の後始末をしているなんて驚きだ。首の傷に触って状態を確かめつつも、ギルガメッシュさんのその姿に目を背けることは出来ずにただただ凝視してしまう。

「何だ。文句でもあるのか」
「…あ、すいません」
「……とりあえず、だ。一先ずこの件については不問としておいてやろう。貴様の命は幾らか延びたのだ。我の気まぐれでな。自分が気まぐれによって四肢を失わず、呼吸していることを忘れるな」
「…ありがとうございます」

奥の部屋から掃除機を持ってこようとゆっくり腰を上げれば、ギルガメッシュさんが私を呼び止める。こちらに背中を向けたままのギルガメッシュさんは、「明日は優勝祝いに新都へ出向くぞ」とだけ言うと水道で手を洗い始めた。


ギルガメッシュさんが本当に納得したかは謎だが、今は怒気を感じられないし、いつもの、普段通りのギルガメッシュさんだ。私の述べた理由に何か思うところがあったのかもしれない。そう思うことにして掃除用具一式が収められている戸棚に手をかけた。