羊飼いの憂鬱 | ナノ
「…いい加減座ってて辛くなってきませんか?」
「はっ、ならば立ち乗りでもしてみるか?」
「丁重にお断りします」
「なら我慢しろ。恐らくもう少しすればコースに入るだろうよ」


そんな会話をした数十分後。
煩いバイクのエンジン音に混じって聞こえた何かが爆発される音と、微かにだが情けない男の叫び声が聞こえてきた。ちょっと待って欲しい。何故機械のエンジン音と観客の歓声しか響かないであろうカーレースに爆発音が響いているのだろうか。…レーサーが不注意で事故を起こしてしまったのかもしれない可能性もなくはないが。
嫌な予感がすると騒ぎ始める第六感を無視していると、「追い付いたみたいだな!少しショートカットするぞ!」と嬉しそうにギルガメッシュさんが叫ぶ。その声に反応する前に体に思い切り衝撃が走った。今までの安定したコンクリート道とは違い、山道の、しかもほぼ直角という下り坂にバイクを走らせるギルガメッシュさんは完全にとち狂っている。意味が分からない。下手したら死ぬ。この人本当は心の奥底で無意識に自殺願望でも抱いてるんじゃないのか。正直死ぬのはいつでも良いと考えていたが、頭部を強打して死ぬとか全身を勢いよく木に強打して苦しんで死ぬだとか、そんな間抜けな上に痛い死に方は勘弁したい。今の私の命綱とも言えるべきギルガメッシュさんの背中にこれでもかというくらいにしがみつき、前の様子を見る。少し遠くに見える平坦な道路には戦車のようなゴツい機械を運転している女の子が見えた。この聖杯グランプリには戦車も参加していいのだろうか。もう何でもアリなのか。



「我の街、我のレースで無粋な真似をするな!肉ダルマ!」
「! 金ぴかっ?!」
「何処走ってんのよ!!」


遠くから聞こえる突っ込みに心の中で賛同する。ショートカットするにももう少し安全な道だってあったろうに、わざわざ危険な道を(…いや、これは道なのか?)選ぶギルガメッシュさんは人としても王としても狂っている。

「我の前を走る車は何人たりとも許さん!」

その声と共にハンドルを握る両手を勢いよく後ろに引いて前輪を浮かすと、そのまま走っていたバイクの重力も手伝って車体は宙に浮いた。このまま少しでも着地する前にバランスを崩せば私は仏になる以外選択肢は残されていない。

「あああ死ぬ死ぬ死ぬ!死ぬ!ギルガメッシュ!」
「ははは、聞こえんなぁ!悔いて恥じろ、天の鎖(エルキドゥ)!」
「…!」

ギルガメッシュさんが叫ぶと同時に戦車が走っているコンクリートの地面から鎖が飛び出し、それはまるで生きているのか意思を持ったように戦車に絡み付く。一見戦車相手には切れてしまいそうではあったが、鎖は頑なに戦車の動きを許そうとはしなかった。戦車の横にバランスを崩すことなく無事着地したバイクはそのままスピードを落とすことなく進んでいく。



(──エルキドゥといえば、確か……)



先程ギルガメッシュさんが鎖の名前に酷く聞き覚えがあったので、ギルガメッシュさんのライダージャケットに皺を作らんばかりに握り込みつつ埋もっている記憶の中から何かなかったかと漁ってみる。が、それは後ろから大きな爆発音が鳴り、温風が手を撫で付けていったことで中断せざるを得なかった。そっと振り向けば無残に全体が焦げた戦車が沈黙している。

「はっ!自爆とは不細工筋肉ダルマらしい最期だ笑ってやる!はっはっはっ! おい、見たか名前?あの不様で醜い姿を!」
「……え?あ、はい。そうですね」
「何だ、詰まらん反応だな」


「アンタ!何で…っ!」

前に目を向ければ運転しながらもこちらの様子を窺う遠坂さんが。……一瞬何の違和感も感じなかったが、彼女は間違いなくアクセルを踏み、ハンドルを握って車(しかも外車だ)を操っている。遠坂さんは私と同じ十七だ。…いいのかこれは。法律的に。

「ふはは、愚問だな!」

旅館を出てからと同じ要領で、ギルガメッシュさんは左足でギアチェンジを行いスピードを上げるとそのままカーブを曲がる。その動きに迷いはなく、とても手慣れたものだ。

「良い、良いではないか!レースとはなかなか良い催しだ。我の愛機を大衆の面前で披露出来るとは思わなんだ。なあ名前」
「そうですね、自慢出来て良かったですね」
「ああ、勿論だ。…しかし、我を招待しないとはどういう了見だ、言峰!」

天を仰いで不機嫌にものを言うギルガメッシュさんはきちんと目の前を見て運転するべきだ。
ザザ、とノイズが響き、先程からあちらこちらに設置されている実況、もしくは連絡用スピーカーから低い男性の声が流れた。


『だって、お前…ルール守らないじゃん…』



「……おっしゃる通りで」
「おい貴様聞こえてるぞ。 それがどうした言峰っ!我がルールだ!森羅万象何事も、我が一番でなければ駄目だっ!」


…この人はまさしく現代に生きるジャイアンだな。
声高らかに言う様は見ていて呆れを通り越し清々しい気持ちになってしまう。どうやら私もだいぶこの人に毒されているらしい…だいぶ今更な話ではあるが。


「む、何か仕掛けてくるようだな。雑種共の足掻きなど我にとってはただの赤子の戯れのようなものよ」

不敵な笑い声を漏らすギルガメッシュさんの肩越しからはアーチャーさんが運転席──ではない。助手席からトランクの方に移動を行っていた。彼は支えもなく仁王立ちでこちらを見据え、丁度私と目が合うと直ぐさま遠坂さんの方に顔を向ける。ここからだと上手く状況が掴めないが、何やら言い争いをしているみたいだ。こんな時に何かあったんだろうか。


「……どうやらお前がいたのは思わぬ誤算だったようだな」
「どういうことですか?」
「大方宝具を無限に放出し我に砲撃しようという算段だったのだろう。だがアレにとって貴様は家族にも等しい存在だ。バイクに当たれば貴様は無事に済まぬことを理解したのだ」

要するに人質みたいなものか。



「名前!何故君はそこで英雄王と共にこのレースへ参加している!」

険しい顔のアーチャーさんが私に問い掛けを寄越してきた。ヘルメット越しでは聞こえないだろうと思い、ヘルメットを首にかけてから彼に届くように声を張り上げる。


「成り行きです」
「なっ…」
「もういいわアーチャー。名前、聞こえるかしら!貴女もこの聖杯グランプリ…いえ、聖杯戦争に参加するならばそれ相応の願いがあるんでしょうね。でもそれは私も同じなの。戦争に参加したからにはそれ相応の覚悟があると見て私は貴女を妨害するわ」

これといって覚悟もしてなかったんだけど。
そんなことを言うほど空気を読めない人間ではないので遠坂さんの言葉に黙って耳を傾けた。彼女の言葉に慈悲なんてものは一欠片もなかったが、普段優しい彼女が無慈悲になってしまう程にこの聖杯戦争というものは冷たいものなのだろう。仕方ないものなのかもしれない。

「アーチャー、やっておしまい。これ以上抗議を続けるなら令呪を使うことになるけれど、文句ないわよね」
「………了解した」


こちらを振り向いたアーチャーさんの周りには無数の剣が浮かび上がり、そして手には弓と一本の剣が握られる。

「済まない名前。これも私の役目なのでね。…勝手が過ぎるぞ英雄王」


撃ち落とす。



ギルガメッシュさんは大きな舌打ちを打つ。その剣の矛先は誰でもない、私とギルガメッシュさんに向けられていた。