羊飼いの憂鬱 | ナノ
セイバーさんの忠告を思い出したのは、彼女が早食い競争で見事優勝をもぎ取っている光景を夢に見た所為だ。未だ覚醒していない脳でぼんやりと見知らぬ天井を眺めながら、心の中で一言彼女に謝罪の言葉を呟く。折角忠告してくれていたのに、私が忘れていては意味がない。そしてこんな僻地へ赴いて、そんな願いが云々と言い出すギルガメッシュさんもなかなか策士というか…。窓から身を乗り出して写真を撮っている暴君を見て、まだ寝ていてもいいのかと寝返りを打つ。こうなればどうにでもなれというやつだ。忠告を聞いていたとしても相手はギルガメッシュさんだし、私に抵抗する手立てなど無いに等しい。人間諦めが肝心だ。枕を抱き枕代わりにしていると「起きたならさっさと着替えろよ」と声が飛んできた。
…そういえば早く出なきゃならないんだったな…。

挨拶と一緒に、此処から聖杯グランプリとやらが開催される冬木までの道のりは幾らくらいなのか尋ねれば、ざっと数時間だととてもアバウトな返答が返ってきた。

「…間に合うんですか?」
「スタートに間に合わずとも良い。ゴールしてしまえば我と貴様の勝利よ」
「………」

仮にゴールしたとしても主催者側が何というか考えていないんだろうか。頭が空洞化しているギルガメッシュさんのことだ。絶対考えていない。流石暴君。少しは筋道立てて考えようとは思わないのか。

「いい加減腹が減った。さっさと着替えて朝飯に行くぞ」
「…はーい」



布団の中でだらだら着替えを行い、夕飯よりは軽いものだったがそれなりに豪華な朝食を終えてから直ぐさまバイクに飛び乗った。旅館の従業員に見送られ、ギルガメッシュさんは昨日よりもだいぶスピードを上げてバイクを運転する。出かけ間際に確かめた時間はまだ八時を過ぎるか過ぎないかだったが、そんなにも急がなければならないんだろうか。


『一度だけ……一度だけだ。我に忠実に従う貴様の願いを聞いてやろうではないか』


ギルガメッシュさんの言葉が頭の中で繰り返される。願い。私のそれは決して叶えられるものではないし、叶えてはいけないものだ。それなのに、どこか期待している自分が心の中に図々しく居座っている。私が望んでいたとしても、切嗣さんが望んでいるわけではない。「でも」「それでも」「そうだとしても」なんて言い訳は、私の押し付けに過ぎない。
山道の所為か時々しか見かけない車を追い越していく途中、ギルガメッシュさんが私の名前を呼んだ。バイク音諸々のお陰で張り上げている彼の声はいつもより少し高い。

「おい、貴様が座っている所に赤いボタンが見えるだろう」
「…?」

ギルガメッシュさんの腹に腕をまわしたまま、左右を確認すると右の膝下に小さな正方形の透明のガラス板があり、そのガラス板の向こうには赤いボタンが存在していた。映画やアニメでよく見る自爆スイッチのような物にそっくりである。黄色と黒のストライプが危険を物語っており、そしてまたこのバイクの色調に馴染んでいた。

「このボタンがどうかしたんですか?」

ギルガメッシュさんに聞こえるよう、ヘルメットで若干くぐもる声を大きくして尋ねる。ここからだと表情は窺い知ることは出来ないが、どこか得意げな音を含ませた声で説明を始めたギルガメッシュさんはきっと笑っているのだろう。

「改造に改造を重ねたものだ。これを押せばたちまち我が特別に搭載したジェットブースターが火を噴くぞ!名前、貴様にはこれを押すという仕事をやろう。貴様の思うここぞというタイミングで押せよ。いいな」
「…………」

一体この人はどのくらいの金額をこのバイクに注ぎ込んだのだろう。そしてバイクの運転はともかく、改造も出来るとはなかなかやり手だ。てっきり金持ちが取り柄だけの極悪ニートだとばかり……本格的に認識を改めなければ今後何か失言した時に札束で頭をぶっ叩かれたり、バイクで顔面にタイヤ痕をつけられたりだとかそんな仕打ちが待っているかもしれない。


「ギルガメッシュさんて」
「? 何だ」
「何だかんだ言ってすごい方ですねー」
「! 今更知ったか雑種!遅い!」


そう言うものの声はやけに明るい。褒めると伸びるタイプらしい。ギアチェンジをしたのか、バイクに関しては無知な私は彼が何をしたのかはさっぱりではあるが、ギルガメッシュさんが足で何かの切り替えを行った途端にスピードが増した為に一気に景色が変わる。私はヘルメットをしているし、私よりも座高の高いギルガメッシュさんにへばり付いているお陰で特に支障はないが、ギルガメッシュさんはノーヘルで視界をガードするものも無く、加えてこの風圧だ。それでも何も言わずに楽しそうに(しかも悪そうな笑い声を上げながら)運転をしているギルガメッシュさんは絶対どこか頭の螺子を落としているに違いなかった。