羊飼いの憂鬱 | ナノ
「明日は何の日でしょう」

夕飯の時間の中で突然発せられた切嗣さんの言葉に、私と士郎は顔を見合わせて首を傾げた。私が衛宮家でお世話になり始めてから四度目かの夏。去年はこの時期に何があったっけかと記憶を掘り出していると、何やら分かったらしい士郎が「はい!」と学校の授業で答えが分かった時と同じように手を上げる。切嗣さんはその様子に軽く笑いながら「はい、衛宮士郎君」と答えを述べるよう促した。

「花火大会!」
「はい、正解。去年も一昨年も当日は雨ばっかりで中止になってたけどね、今年は出来そうみたいなんだ。明日は皆でお祭りに行って、それから縁側でスイカでも食べながら花火を見よう」
「それいいな爺さん!な、名前!」
「そうだね」

士郎からの同意を求める声に頷いて目の前の素麺を啜る。本やドラマで見たお祭りの様子と、叔父に強く腕を引かれる傍らで遠くから眺めるしか出来なかったお祭りの明るさや賑やかさを思い返すが、どれも味気のないものばかりだ。



「名前の分もちゃんと用意してるからね」
「!…えっと、…?」
「名前、話ぐらい聞いてろよー。浴衣だよ、浴衣」
「浴衣…」
「着付けは僕がしてあげるから」
「…ありがとうございます」

いつの間に用意してくれたのだろう。
箸を置いて頭を下げれば切嗣さんと士郎の空気が微妙に変わった気がした。ゆっくり頭を上げれば困ったように笑う切嗣さんと若干拗ねた顔の士郎が私を見ている。何か気に障ることをしてしまっただろうか。拳をギュッと握り締めれば滲み出た手汗がぬるりと指にこびりつく。

「名前、俺達は家族なんだぞ。いい加減その他人行儀なのやめてくれよ」
「今日は士郎の意見に賛成だな。僕は家族として当然のことをしているだけだ。そんな敬語も、丁寧な挨拶も要らないんだよ」

だから僕はいつまでも君に「衛宮」の姓をあげることが出来ないんだから。


切嗣さんの悲しそうな目が私の心臓を抉る。
「他人という境界を自分の手壊すことが出来たその時から僕と君は家族になり、僕は君に『衛宮』の姓をあげることが出来る」と切嗣さんが言ったのは四年前の話だったか。それから四年経った今でも私は切嗣さんや士郎とは家族になれないままでいて、時折こうして空気を濁してしまうことは少ないことではなかった。一つ謝罪を零せば「ほらまた!」と士郎が口を尖らせる。

「これ以上名前が謝ったりするなら今度から俺、名前の分だけ飯作らないからな!お粗末さま!宿題してくる!」

何かを言う暇もなく士郎はどたばたと食器を持って台所へ行くとそのまま自室へと駆けて行ってしまった。居間には私と切嗣さんしか残されていない。切嗣さんは少しの間士郎が消えた方向を眺めていたが、私を見るとまた困り顔で笑う。私はいつも切嗣さんと士郎を困らせてばかりだ。

「……君はいつになったら僕の娘になってくれるんだろう」
「………」
「……この話はここでおしまい。名前は明日何が食べたい?」
「…林檎飴が食べたいです」
「そうか。明日が楽しみだね」

さっきとは違い、嬉しそうに笑う切嗣さんにつられて私も少し笑みを漏らした。
翌日の天気は夏になってから一番の快晴で、雲もなく、ぎらぎらと輝く日差しが容赦なく照り付けるような天気だった。私と衛宮は切嗣さんに着付けをしてもらい、沢山の家族連れで賑わう屋台の中を三人で歩いた。三人が三人毛色が違ったけれど、端から見れば家族に見えたかもしれない。ただ、楽しかった。三人で金魚掬いをして、射的をして。その日は幸せそのものだったように思える。私の血縁者である人間から与えられることのなかった幸せがそこには確かに存在している──そう思っていた。





その年の冬、衛宮切嗣が眠るように、静かに息を引き取るまでは。