羊飼いの憂鬱 | ナノ
今日は久しぶりの休みだ。
布団の温かさにその身を委ねながら、まだ宙を浮いているような幸せな気分を噛み締める。
流石に久々の八連勤は体に堪えた。
一日が終わる数時間前にようやく仕事を終えて急いで家に戻り、布団に入っても数時間経てば、起き上がり仕事に行く準備をしなければならない。

過剰労働。

労働基準法の意味をひたすら問い続ける八連勤だったな、とあまり働かない思考回路でぼんやり考えた。

…八連勤とか一週間越えてるじゃん…。

シフト表を見た瞬間店長に問い詰めたのだが、今月のこの週は休みをとる人が集中していた為に勤務期間が長い私なら大丈夫だろうと、この八連勤の生贄に選んだらしい。私の体力に絶対的な信頼をしているのかどうかはよく分からないが、八連勤は流石に参ってしまった。
世の中には九連勤や十連勤という激務をこなしている人もいるのだし、余り弱音を言っていてはその人達に失礼なのだが。
……まあ、今週を切り抜けられることが出来たのだし、後の週はいつも通りのシフトなので何とか大丈夫な筈だ。店長がくれた二日間の休みをしっかり使って、体を休めることとしよう。

もう一眠りしようと、頭まで掛け布団を被り目を瞑る。
最近は徐々に寒くなりつつあるのでこの自分の体温が移った布団が愛しくて仕方がなかった。無造作に転がっていた抱き枕を引き寄せて、そのまま抱きしめる。
心地好さが足から臍へ、臍から胸へ、胸から脳へ駆け上がろうとした最中、ピンポンと間抜けなインターホンの音が響いた。


誰だ、真昼間から私の安眠の妨害をする輩は?

どうせ宅急便か回覧板だろう。宅急便なら再配達の届けを入れておいてくれるだろうし、回覧板も勝手に郵便受けに入れておいてくれる。

無視だ、無視。

再び鳴るインターホンの音を無視し、深く掛け布団を被り、寝ることに専念する。ところがインターホンの音は止むどころか間間の間隔が短くなっていき、仕舞いには高橋名人も驚く程の連打攻撃ときた。

うるさい。うるさ過ぎる。

このままじゃお隣りさんから苦情がきそうだ。もう迷惑がられてるかもしれないけど…。
ゆるゆると起き上がり、椅子にかけていた半纏を羽織りながら駆け足で玄関に急ぐ。チェーンは外さずそのままに扉を開け、向こうにいる迷惑この上ない人物の顔を拝むことにした。扉をぎりぎりまで開けて少し顔を出し、誰か確かめる。そこには見たこともない外国人が仁王立ちで私を睨んでいた。
傷みなんて何も知らなさそうな、きめ細やかな金髪を持った男だった。陶器の如く綺麗な肌を持っているというのに、眉間には不釣り合いな皺が刻まれている。
金色に縁取られた長い睫毛の中に閉じ込められている深紅の瞳。そこから漏れ出る苛立ちと憎しみは隠そうという気配すら見えない。

「遅い」と一言、よく通る声で苦言が放たれた。


誰だ。


「……どちらさまですか」
「貴様、我を待たせるとは良い度胸ではないか」
「……どちらさまですか」

まじで誰だ。

私は金髪で赤目の知り合いなんていない。仮に知り合いだったとしても、一度でも見たらインパクトがでかすぎて忘れないだろう。

「顔を見て王の名前も分からぬとは言語同断だ、万死に値する」
「え、王?」


冬木市に市長はいても王なんていない。


「……冬木の王が何か用ですか」
「まずはこの古臭い鍵を開けろ」
「不審者を家に入れる訳には……ちょっと……」
「チッ」

舌打ちしたいのは私の方だ。っていうか不審者相手に平然と会話をする私も私だよ……。このまま話をしてもどうしようもない。一旦閉めて警察でも呼ぼうか。

勢いよく扉を閉めたその時、扉越しから金髪の不審者が「衛宮士郎」と口にした。

……どうしてこいつが彼の名前を知っているんだろうか。
衛宮士郎は小学生からの知り合いであり、私の勤務先でバイトをやっている人間だ。


「この名前に聞き覚えがあるだろう」
「……衛宮の知り合いですか?」
「分かったならさっさと開けろ、雑種。扉を壊さなかった慈悲深き我にその薄汚い額を床にこすりつけ感謝の意を示すがよい」

衛宮はこんな暴君のような輩と知り合いだったのか……正義感が人一倍強い、いや、正義感が人間になったような奴が、なんか意外だ。私が衛宮とそこそこ近しい間柄だと知っている人間はほとんどいない。まあ、衛宮の知り合いだから大丈夫かなと単細胞紛いの私の脳みそはそう判断し、チェーンを外して扉を開いた。少し耳障りな音が響き、扉を思い切り開けながら入ってきた金髪の男はどかどかと何も言わず中に入っていく。


土足のままで。


「あっ、ちょっと!靴くらい脱いで下さいよ」
「こんな家畜が住むような所で脱げるか」
「……」

私が数ヶ月給料を貯めて購入したお気に入りのソファーに座り、踏ん反り返った自らを王と名乗る男はぐるりと室内を見回して「狭いな」と呟く。
余計なお世話だ。
私は座る所がないので座布団を引っ張って床に座ることにした。自然と私は彼を見上げることになる。

近くで見ると更にきめ細かさの分かる金髪は黒のライダースジャケットにとてもよく映えていた。今まで見たことがない程に顔が整い、まるで人形のような見た目の彼は王だと自称していてもそんな違和感はない。むしろ一般人だといわれた方が違和感があった。

「……えーっと……それで、何か用ですか?衛宮が何か貴方に用でも頼んだとか?」
「仮に衛宮士郎が貴様に用があったとしても我がわざわざあのような雑種の為に此処へ訪れなければならぬ義理などなかろう。セイバーになら頼まれてやらんこともないがな」

セイバー……少し前から衛宮の家で居候している外人だったか。そういえば冬木市って外国人多いよな……元々外国人は多かったが、最近は何というか、奇抜な格好や外見をした人が多い気がする。……ってそんなこと考えてる場合じゃなかった。

「……貴方自身が私に用があって来たということですか?」
「無論だ」
「つかぬ事をお伺いしますが、私の記憶違いでなければ私と貴方は初対面ですよね」
「……それがどうした」
「そんな初対面の人間に用なんて──」
「先程からくどくどと喧しいぞ。いいか、よく聴くが良い」

私を見下ろすルビー色の瞳はとてつもなく輝いて綺麗だった。

「我は再び庶民になるべく今日から此処を拠点とする!」



──輝き過ぎて苛立つ位には。