羊飼いの憂鬱 | ナノ
──あれから。あれから軽食をとったその後。紅葉咲き乱れる山の中、大きな音を立てて流れる川を見て歩き、またバイクに乗って長い距離を走った。途中ギルガメッシュさんが疲れたからと偶然通り掛かった土産物売り場の端で小さく自己主張していた休憩所の中で座りながら仮眠をとり、暫く土産物を見てまわってから山中に入って銀杏の木々が並ぶ中を練り歩いたり──以下省略。ギルガメッシュさんが向かう先はどれも秋そのものを楽しみ尽くすことの出来る穴場だらけだった。
彼のような人間にそのようなものを楽しむ心があったことには少なからず驚いたが、そこを突っ込めば無理矢理バイクからその辺の道端に引きずり落として帰ってしまいそうな気がしたので黙っておくことにする。口は災いの元というやつだ。

そんなこんなで秋となれば日が暮れるのも早いわけで、橙に染まる空の中、鴉が数羽鳴きながらどこかへ帰って行くのを見ているとバイクを停めてきたギルガメッシュさんが雪のように積もっている紅葉や銀杏を蹴り散らしながら戻ってきた。
「ついてこい」とだけ言うと段々と暗くなりかけている山の入口へと入っていく。石垣が積まれている人工的な小道なのでこの先には何か建物があるのだろう。静まり返った山道を無言で進み、抜け出たところには申し訳程度のライトアップが施された建物が一つ。


「豪勢ですね…」
「日本人からすればこれが豪勢なのか?我にはただの小屋にしか見えぬ」

だがまあここが一番高級で穴場な旅館らしいからな、此処で予約をとっておいた。
そう言った彼は多少不満を抱えているようだったが庶民の中の庶民である私からしてみればこれ以上に豪華な旅館はテレビでしか見たことがない。紅葉が咲き誇っている風情たっぷりな道のりの先には立派な屋敷が静かに威厳を漂わせながら建っている。

「もうちょっと早く来てれば夕焼けにすごく映えたかもしれませんね」
「…そうだな」

ギルガメッシュさんががらりと戸を開けると待ち構えてましたと言わんばかりに大勢の着物を着た従業員が「お待ちしておりました」とこちらに頭を下げてくる。…なんだ、たかが二人だけの客にこんな一泊何万もしそうな旅館で働く人間が総出(暫定)で挨拶するもんなのか。ちらりとギルガメッシュさんに助けを求める視線を送ると、私に気付いた自称庶民王はいつものどや顔を浮かべて「貸し切りだ」と声高らかに言う。


「………」
「どうした? ほら、早くしろ」
「…あ、はい」



どう考えても庶民のやることではなかった。




***




所狭しに並べられた豪華な夕飯を食べた後は当旅館の醍醐味(らしい。夕飯を運んできた女将がそう言っていた。)である風呂へと入ることになり、浴場へと向かった私は日頃シャワーのみしか浴びることがなかった所為か久しぶりの湯船やら片手で数えることしか入ったことのない露天風呂を時を忘れてしまうくらい楽しみ、長時間浴場から出てこない私を心配した従業員が呼びにきたのを頃合いにようやく湯船から出ることとなった。風呂で浮かれるなんて恥ずかしいことこの上ないが、旅先で浮かれるのは誰しも避けることのない行為だと思う。

あまり動きたがらない体でだらだらと旅館の方で用意された浴衣へと着替え、旅館へ足を踏み入れた時に案内された部屋へと歩を進める。襖を開ければ、とっくに上がっていたらしいギルガメッシュさんがくるりと顔をこちらに向けた。服装は私と同じ浴衣だ。外国人だというのにその浴衣姿はとてもよく似合っている。

「遅かったではないか」
「…露天風呂から見た月が綺麗だったもので」
「何だ、魅入られでもしたのか」
「いえ、別に」

いつの間にか敷かれていた布団の上で寝転んでいたギルガメッシュさんは私を見上げ、自分の横のスペースを無言で叩いた。私も黙ってその指定された所に正座をして彼の顔を見下ろす。足をぶらぶら上下に動かしながらギルガメッシュさんは腕組みをして、その上に自分の顔をのせて口を開く。

「今日はどうだった」
「楽しかったです。ありがとうございました」
「はっ、まあ当然のことだな。貴様は我に尽くしているのだ。たまにはその忠義には応えてやらねばなるまい」
「はあ…」

尽くしてる気とか全くこれっぽっちもないんだけどな…。三食の飯を提供するのと、毎晩ゲームをしたり花札やトランプに付き合ったりと些細なことばかりだ。それでも彼は私がとても彼に対して忠義を尽くしているのだと言う。今までどんだけ食生活が悪く、遊ぶ人間がいなかったのかを考えて悲しくなってやめた。これ以上考えるとギルガメッシュさんが私の中で可哀相な人の部類に属することになってしまう。

「我もバイクを走らせてやらねばならん事情もあってこのような辺鄙な場所へ体を休めに来たが…こうしてセイバーも贋作者も小煩い奴がいないのは痛快だな」
「…セイバーさんがいないのが良いんですか?」
「ああ、そうだ。我はこうやって貴様を旅の共へと連れて様々なものを見せて、様々なものを食わせてやった。だがそれは貴様が望んだことではあるまい」

まあ、言われてみればそうだな、と思う。でも私はそれに対して不満という不満は小指の皮ほど持っていなかった。むしろ満足感しか持っていない。
そう伝えてもギルガメッシュさんは首を振るだけだ。熟れた林檎の如く真っ赤な目を少し細めて、何かを探るような目付きで私を見る。

「一度だけ……一度だけだ。我に忠実に従う貴様の願いを聞いてやろうではないか」

それで我は貴様に日頃の労苦を報いることになる。


何故だか空想上でしか見たことのない悪魔を見ているような、そんな落ち着かない気分になる程ギルガメッシュさんは綺麗な笑みを浮かべていた。