羊飼いの憂鬱 | ナノ
一体何キロ出して走ってんだこの人、と思いつつ景色がびゅんびゅんと瞬く間に変わっていく様子をヘルメット越しに見ること数時間。(幸運なことにお巡りさんに見つかってお世話になることはなかったので安心した。)徐々に空が黒から紫、ピンク色に変わる中、途中山道に入り、赤や黄色に彩られた木々が通り過ぎていく様を見ながら峠を登り、登って着いた頂上から見えたのは湖だった。時期が時期なので紅葉に囲まれた湖と、丁度出てきた太陽が相俟って美しい。ヘルメットを外し、バイクから降りて眩しさに薄く目を開きながら「綺麗ですね」と言えば「当然だろう」と得意げな声が返ってきた。

「貴様は我が醜悪な物をわざわざ見たがると思うのか?」
「…そうですね」

暫くお互い無言でこの清閑な景色を見ていたが、記録に残しておこうと鞄から携帯を取り出す私を見て、何かを思い出したようにギルガメッシュさんは片手を上げた。何をするのかと思えばギルガメッシュさんが手を翳した所の空気が金色に波打ち、そこから出てきた何かを彼が掴み取ると瞬く間にその歪んだ空間も消え去る。サーヴァントの持つ力の一つなんだろう、多分。ギルガメッシュさんの手には電化製品売り場でよく見かけるカメラがあった。

「………カメラですか」
「一眼レフだ」

一眼レフってめっちゃ高いんじゃなかったか……。「この間買ってきたのだ」と話しながら写真を撮るギルガメッシュさんに軽く相槌を打ち、私も携帯で何枚か撮って保存することにする。やはりというか、写真機能の方に特化している携帯ではない為に目に映るようには上手く撮ることが出来なかった。まあこれは仕方ない。携帯を鞄に仕舞い、ギルガメッシュさんを見ると、何故かきょろきょろと辺りを見回している。

「どうかしたんですか」
「雑種──いや、庶民は観光に行くと必ず観光地を背景にした自分達を写真を撮るらしいではないか。誰か撮れる奴はおらんものか」
「成る程。じゃあ私撮りますよ」
「莫迦者。貴様も写るのだ」
「えー…そんな写真好きじゃないんで」
「庶民王たる我に刃向かおうとは良い度胸だな、雑種」

赤い目が私をじろりと睨んでくる。やっぱこえーよこの人…。無意識に足を後退させていると少し遠くからバイクの音が聞こえた。その音を聞いたギルガメッシュさんはにやりと意地の悪い笑みを作る。

「誰か来たようだな」
「……タイミング良すぎじゃないすか…」
「ふん、我の幸運を舐めるでない」

暫く待っているとバイクに乗った集団が頂上にやって来た。次々とバイクから降りてヘルメットを外すと眩しそうに目を細めて歓声を上げながら私達の近くに寄ってくる。ギルガメッシュさんは近くにいた少し気の弱そうな青年に声を掛けると、少し慌てる青年の手に一眼レフを押し付けた。

「これで我とこの雑種を撮ることを──むぐっ」
「ああすいませんこの人おかしな日本語喋るんです、なんか昔の映画の日本語吹き替え見ながら日本語覚えたみたいで…はは」
「い、いえ……えっと、記念写真ですか?」
「はい、もしよろしければお願いしても?」
「ええ、構いませんよ」

青年はにこにこ笑って快諾してくれた。ギルガメッシュさん物の頼み方がなってなさすぎると思ったが、考えてみれば彼は暴君と名高い古来の王様なのだ。仕方ないかもしれないが、それでも私と会う以前の彼はどうやって日本人の中に溶け込んでいたのかが不思議でならない。
ギルガメッシュさんの口から手を離すと何をするのだと怖い顔で睨みつけられたが「撮りますよー」と青年の声を聞くと無表情でピースサインをつくる。それに倣い私もピースをしてカメラの方を向いた。

「も、もうちょっと笑ってくださーい…」
「貴様、今何か言ったか?」
「いえっ何でもないです!撮りますね!はい、いち、にの…さん!」

小さくシャッター音が聞こえると青年は大股で私にカメラを渡して集団の中に紛れ込んでしまった。お礼を言う暇もなかった。カメラをギルガメッシュさんに返し、青年を探そうとする私の首ねっこを掴んで引き止めたギルガメッシュさんは「放っておくぞ」と言いながらずるずると引きずって歩き出す。(カメラはもう手元になかったのであの空間の中にしまったのかもしれない。)何とか自分の足で歩き、ギルガメッシュさんの後をついていくと彼が停めていたバイクの周りには人垣が出来ていた。あのバイクの集団の一部の人達だ。バイクに乗る人にとってこのバイクは特別なのか。どうなんだ。
持ち主が近付くと同時にその人垣は二手に割れ、ギルガメッシュさんはさも当然のようにその間を進んで私にヘルメットを軽く被せてからバイクの上に乗せると自分もそれに飛び乗った。……無数の人の目が痛い。

「えーと…次何処行くかとか決めてるんですか」
「無論だ。だがその前に一先ずコンビニに行くぞ。腹も減ったしな…それから少し走った所にある──」

ギルガメッシュさんはまだ喋っていたが、エンジンのかかる音でそれは聞こえなくなる。まあ今後の予定は細かく決めているようだし、私は何もしなくていいと言っていたから今日一日はこの人に全て任せるとしよう。民は王の命には黙って従うことしか出来ないのだ。尤もらしい理由を心の中で呟いて彼の腹に腕をまわす。出かける時まで知らなかったがなかなか筋肉があるらしい。着痩せするタイプみたいだ。てっきりいつもゲームかテレビか寝るか飯食うかの四択しかしていないからふにゃふにゃしたゴボウだとばかり思っていたのだが。こんな体ならビール一箱の持ち運びなんて簡単だろう。羨ましい。体を使う仕事が多い為に鍛えてはいるが衛宮のように、ましてやギルガメッシュさんのような筋肉がつくことはなく。そしてこんな時でさえ仕事のことを考えてしまうゲーム脳ならぬ仕事脳の自分が酷く惨めというか虚しいというか…。思えばこんな遠出をするのは久しぶりだ。……小学生以来、冬木から一歩も出ていない私にとってはもしかするとこれが今後の一生で最後の旅行になるかもしれなかった。
ギルガメッシュさんはエンジンを何度かふかし、人垣に対して避けるよう無言の圧力をかける。再び発進したバイクの行き先は分からないが、(警察に見つかるという点を除けば)不安なく彼に身を任せることが出来る。
あんなに綺麗な光景を見せてくれたギルガメッシュさんが詰まらない場所に行くなんてことはないだろう。


………多分。