羊飼いの憂鬱 | ナノ
勢いよく体を揺さぶられ、真っ黒な海の底に意識を沈めていた私の意識は一気にそこで覚醒した。薄目を開き、少し焦点の定まらない視界の中、私を起こした犯人の顔を見上げる。傷んですらいない金髪の彼は私が起きたのを確認するなり不機嫌な顔で「何故早く起きぬのだ!」と怒鳴ってきた。何だよ朝から騒々しいことこの上ないな…。ギルガメッシュさんをまじまじと見れば、既にあのライダースジャケットをびしりと決めている。いつもならギルガメッシュさんが私より早く起きることなどまずない。そしてギルガメッシュさんの怒鳴り声。

…私寝坊したのか?

携帯のアラームは毎日同じ時間に鳴るようにセットしているし、必ず設定の確認をしてから寝ているのだが。枕元に置いている携帯を手に取り、時間を確かめる。

…………どうりでアラーム鳴らないわけだよ…。

「……まだ四時じゃないですか…私の活動開始時間は七時からです」
「莫迦者。今日は旅行に出ると言ったであろうが」
「あー……」
「我はもう準備が出来ている。貴様も早く身支度をしろ。あまり我を待たせるなよ」
「本気だったんですか」

私の言葉に眉を潜めたギルガメッシュさんはベッドの端に座ると、手に持っていたらしい観光地案内書をぺらぺらとめくりながら「王は嘘など言わぬ」とだけ言ってそれを読み始めた。…いつの間にそんなものを…。

尋ねるのも気が引けるのでさっさと準備してしまおうとクローゼットから適当にジャケットやらを取り出している途中、やらなければいけないことを思い出す。

「…朝ごはんはおにぎりでいいですか」
「………行く途中のコンビニで買って行く」
「……分かりました」
「貴様は何も持たなくて良いぞ。今日は全て我がこの旅行の段取りを執り行う。…だが…そうだな。これを仕舞う入れ物でも持って参れ」

「これ」とは今ギルガメッシュさんが読んでいる雑誌のことである。

やべえこの人めっちゃノリノリだ…なんかいつもと雰囲気が違うぞ…。

少し引く私に気付かないままギルガメッシュさんは「早く着替えて下に下りてくるが良い」と言って寝室を出ていく。無造作な状態のままの布団だけが唯一の彼らしさを残している気がした。

今日は冷え込まなきゃいいけど…あー…この時間帯ってすごい冷えるからそれなりに温かい格好した方がいいかな。ギルガメッシュさんあのままで寒くないんだろうか。風邪を引かれて看病する羽目になるのは勘弁願いたい。そう思った私は一度閉めかけたクローゼットの戸をもう一度開き直した。



***



戸締まり確認もちゃんと行い、一段抜かしで階段を下りてバイクの傍に立っていた彼の元に行けば、ギルガメッシュさんは二言三言私に苦言を漏らしてから自慢の愛機に跨がった。それから私を振り返り、眉間に寄せられた皺を直さないまま「早く乗れ」と後ろに乗るよう促す。

「その前に少しよろしいですか」
「何だ。早く出なければ日の出に間に合わぬではないか」


…だから急いでたのか。
なら早く言えばもっと私も急いだんだけど。
今更そう言っても降ってくるのは怒声と暴力だけだ。
出かかった言葉はそのまま飲み込み、手に持ったままの黒いマフラーを彼の首に巻いてやる。ギルガメッシュさんは私がマフラーを巻き終わるのを黙って見つめていた。何か言われないか冷や冷やしたが結果として何も言われずに済んだので内心ほっと溜息をつく。ギルガメッシュさんも心の中で寒いと感じていたのだろう。

「…じゃあ、後ろ失礼します」
「このヘルメットは忘れずに付けておけよ」
「はい」

後ろに乗るなり手渡されたヘルメットはバイクと同じく黄色を基調とし、ところどころ黒いラインが入り組んでいるデザインだ。これも特注なのかはさておき。セットした髪型は十分もしない内に乱れるなと考えながらヘルメットを被る。少し大きめのヘルメットに頭を包みこんだところで私はあることに気付いた。

「ギルガメッシュさん、ヘルメット被らなくていいんですか」
「ん?我はヘルメットなどという防具は不必要なのだ!」
「はぁ?!ちょっと待って下さいよヘルメット装着は義務でしょ!ていうかそもそも二人乗りって駄目じゃなかったですっけ…」

免許を取得する予定もないから全くそこら辺は疎いんだけど。

「喧しいぞ雑種!いいか、我がルールだ。我がヘルメットを装着不可といえば不可なのだ。分かったか!」
「残念ながらそう言い切るギルガメッシュさんの神経が分かりません」
「黙れ黙れ!よし、行くぞ!振り落とされたくなければ我に掴まっていろ」

そう言うと共にまだ静寂さが色濃く残るアパートに騒音間違いなしのエンジン音が響いた。
う、うるせーな!でもバイクって大概こんなもんか…。
朝からこんな爆音を出しているギルガメッシュさんはこの地域の誰よりも迷惑極まりない人間になっているに違いない。

ここでバイクから身を落として死ぬのはあまりにも滑稽過ぎるのでギルガメッシュさんの腰に両腕をまわす。
私が腕をまわすなりバイクを発進させたギルガメッシュさんはアパートの敷地を出ると同時に一気にスピードを上げた。当然の如くスピード違反だ。警察が見たら一発御用改めである。


「久方振りの運転だ!くっ、十年経っても尚この現世は我を飽きさせはせぬ!」



………そういえばこの人免許持ってんのかな………。



ふとした疑問に少しずつ死の気配を感じながら、私はギルガメッシュさんに先程よりも幾分か強く抱き着いた。