羊飼いの憂鬱 | ナノ
仕事帰り、アパートへと続く道を歩いていると前から随分とチャラけた派手な青年がやって来た。私と視線が合うなり人懐っこい笑みを浮かべてこちらに駆けて来る。その笑みを見て私はようやく彼が隣に住んでいるアパートの住人だと認識した。見た目と反比例してなかなか礼儀正しい彼は軽い挨拶をすると、目を輝かせて「苗字さんの彼氏羨ましっすねー」と話し始める。彼氏ってあれか。もしかしなくてもギルガメッシュさんのことか。断じて有り得ない。勘違いにも程々しい。あんな暴君を恋人にするくらいなら私は世界滅亡を選ぶ。そう言っても彼は「またまたぁ!」と笑うだけだ。真面目に勘弁して欲しい。どうしてもというのならアーチャーさんに恋人になってもらった方が、私としては幸せな人生を歩めると確信している。アーチャーさんからしてみれば迷惑この上ないだろうが。何度ギルガメッシュさんが恋人でも何でもないただの居候なのだと主張しても彼氏という認識を改めてくれない彼に対し、いい加減話が進まないので何が羨ましいのかと問う。そうすると彼から「バイクっすよ」と簡単だが予想だにしない答えが返ってきた。


「……バイク?」
「ええ。あの金色で固めたデザインのやつ。部屋出たらどーんと置いてあってビビりましたよ〜。オレ結構バイクには詳しいんすけど、あんなの今まで見たことないからどこの会社の車種か訊いたら特注だっつーんすよ。あのフォルムとかエンジン音とかたまんねー!スゲーよなぁ。あんなにイケメンで、バイクの趣味も良くて、そんで金持ちときたもんだ。どっかの王子みてえ」

何年も前に古代メソポタミアで王様やってましたよ、今は私の部屋で庶民王気取ってますけどね。そんなことは口が裂けても言えない。
それにしてもバイクだなんて急にどうした…とりあえず勝手に駐車場でもない所に止めるなよ。怒られるのはギルガメッシュさんではなく部屋を借りている私なのだ。今度きちんと言っておこう……言うことを聞かないのはもう分かっていることだけれど。彼のバイクに対する熱い思いを話半分に聞くこと数分。デートの約束をすっかり忘れてらしく一人慌て始めた彼に手を振り別れを告げて、さっきよりも少し早い足どりでアパートに向かう。



最近あの人に振り回されてばかりだ。




***





アパートの敷地内に足を踏み入れると同時に目に飛び込んできたバイクは、そういう関連の物に疎い私には何の変哲もないただのバイクに見えた。これがバイク好きには堪らない代物なのか…私にはよく分からない。近寄って無遠慮にじろじろと眺めているとふくらはぎに容赦ない蹴りが食らわされ、呻きと共に振り返ると片手にオイルとタオルを持ったギルガメッシュさんが私を見下ろしていた。バイクの手入れか何かの途中だったようだ。

「今日は早かったではないか」
「ええ、店長が明日から旅行行くらしくって早引きさせられたんですよ」

早引きな上に、三日間も休みを与えられるとは思わなんだ。嬉しいことに変わりはないが、突然休みを言い渡されても日々労働に明け暮れているこちらとしては戸惑ってしまうのが本音である。私の言葉にギルガメッシュさんは「そうか」とだけ言うとバイクの前にしゃがみ込み、オイルの蓋を取り外しながら話し始める。

「店長とやらは何日旅行に向かうのだ?」
「えーと…三泊四日、ですね」
「では我達も行くぞ」
「………は?何処にですか」
「行き先などはどうでもよい。要は旅行に行ったか行かなかったかが重要なのだ、雑種」

かっこいいこと言ったつもりなんだろうけどあまり決まった感じがしないのは何でだろう。

「私が行くことも決定事項なんですか」
「無論だ。旅先に臣下を連れて行かん王が何処にいる。貴様、どうせ休みがあっても寝るかゲームするかしかやることがないだろう。この我が旅の供に貴様を選んでやっているのだぞ。少しは喜んだ表情をすることは出来ぬのか」
「………やったー」
「……ふん。まあ良いわ。さっさと部屋に入れ。手入れの邪魔だ」

棒読みに近い歓声に怒ることもなくギルガメッシュさんは丁寧な手つきでバイクを拭き始める。私に怒声を浴びせるより手入れの方に専念した方が有意義に時間が過ごせると考えたのだろう。

「そういえばそのバイクどうしたんですか」
「教会に置いてたのだがな。先日言峰からいい加減教会に置くなと小言を言われてこちらに運んで来たのだ」
「此処に駐車しちゃまずいんで月極駐車場でも何処でもいいから借りて来て下さい」

一番言いたかった言葉を言うとギルガメッシュさんは見事に顔を歪ませ「何故貴様に命令されなければならぬ」と憤慨する。いつもならここで軽い暴力が飛んでくるのだが、バイクがあるからか何もしてこない。

「我は既にここの管理者から許可をとっている。貴様にとやかく言われる筋合いはないと言うものだ」
「まじですか」

あの優しいお爺さんのことだ。ギルガメッシュさんの威圧感に圧されてしまったに違いない。今度菓子折りを持って謝罪に行かねば…。

「我が愛機を見て喜んでたぞ。このようなバイクを見れるなど思いも寄らなかったと年甲斐もなくはしゃいでおったわ」

高笑いする彼の横で再度バイクを見つめる。光によって金色に輝くそれは黒のライダースジャケットを身に纏うギルガメッシュさんが乗れば配色的にも良い感じになるんだろう、という感想しか出てこない。やはりどうしても私にはこのバイクの価値が分からなかった。