アイミー、ラブユー | ナノ

冷えきった、濁った瞳が印象的だった。

輝きもなく、希望も見い出せないような瞳。
世の中に対して無関心そうな瞳。
無論、その無関心は私にも向けられていた。

服装からして、多分神父さんだ。神父さんは普通、優しげな笑みを浮かべているイメージがあるのに、この神父さんはにこりとも笑いはしない。救いを求める人に救いの手を伸ばすことなく、そのまま突き飛ばしてしまいそうだ。この人と教会の組み合わせは、どこかちぐはぐだった。


「ギルガメッシュ。なんだ、その子供は」


とりあえず形式上だけでも尋ねておこう、という風に、私をこの教会へ連れてきた金髪赤目の男に問いを投げる。

ギルガメッシュと呼ばれた、私を連れて来た人は「拾った」と一言返した。

私は、この人に拾われた覚えなどないのに。


「微量ではあるが魔力を感じる。単なる暇潰しだ」
「成る程。だが、これは誘拐だ。ギルガメッシュ。お前はそれを分かった上で行ったのか」
「心配するな、綺礼。こやつの親はとうに死んでいる。歳の離れた兄がいるんだとさ。その兄はタンシンフニンだとかで、こいつは一人身同然だ。心配あるまい」



「暇潰し」。
その言葉の真意はよく分からなかった。けれど、「誘拐」の意味は分かる。知らない人についていくなとは、お母さんとお父さんからよく言われていた。それでもこうやってついて来てしまったのは、多分、一人が寂しかったからだ。小学校が終わって、家に帰っても誰もいない。お兄ちゃんからもらったお金を持ち、スーパーで自分の好きなお弁当を買う毎日。掃除も一人きり。私を抱きしめてくれるお母さんはいないし、抱っこをしてくれるお父さんもいない。そんな生活を繰り返していて、心が裂けてしまいそうだった。

だからだ。一人、ブランコでぶらぶらと遊んでいるところにやってきた金髪の人についていったのは。今まで生きてきた中で、赤目なんて見たことがなかった。非現実的なものだった。私は現実的なものを見続けることに、疲れてしまっていたのだ。


「私は何もせんぞ。世話はお前がやれ」
「お前に任せるなど有るわけなかろう。歪みに歪んで、捩曲がっては困るからな」
「………お嬢さん。私は言峰綺礼という者だ。この教会で神父をしている」
「……………」
「一応名前を聞いておこう。ここ最近の冬木は物騒なんだ。事件に巻き込まれ、万が一死んでしまったら今後何かと不便なのでね」

「………苗字名前」



英雄王の気まぐれで、私と綺礼は出会う運命に至った。




***





「……ん」



うっすらと瞼を開ければ、白い天井が視界に映った。早く寝たお陰か、カーテンが締め切られていない窓からは薄明るい空が見える。

今日は土曜日。学校は休みだ。確か古典の課題が出されていた。それを済ませたら何をしよう。ランサーの服が直せるかどうか見てみようか。替えはあるだろうが、いつまでもグチグチ言われるのは好きじゃない。


その時、もぞりと隣で身じろぐ音がした。


「…………」


私のベッドをほぼ占領している存在は、未だ夢の中らしい。音のない部屋で、一定した呼吸する音が微かに聞こえる。そのまま元に戻るまでずっっっと寝ててくんないかな。掛け布団をちらりとめくれば、猫耳を垂らした綺礼がくうくう寝ている。可愛いけど、欲を言うならその猫耳と尻尾ない方がもっと良い。最高。

あー、やっぱり夢じゃなかった。現実が悪夢だなんて最悪にも程がある。



──今日から、この厄介過ぎる存在をどうにかしていかなければならない。しかも、ほぼ私一人の手で。元々このような事態を引き起こしてしまったのは誰でもない私なので自業自得といえば自業自得なわけだが。


綺礼を再び掛け布団の中に閉じ込めてから、身じろぎを少しする。寝返りが打てないって不便だ。


「…………」


ただ綺礼をぎたぎたにするつもりだったのに、何故か私がぎたぎたにされている…気がする。マジカル紙袋は今頃何をしているんだろう。「ふふ、名前はダニ神父に一矢報いているのでしょうね!」とか言っていたのなら、私は彼女に向かってあらん限りの力でランサーを投げ飛ばしてあげなければいけない。仕掛けるつもりが、綺礼の意志が存在しない場所で逆に仕掛けられている。これも言峰綺礼の底知れぬ愉悦追求の力だとでもいうのか。その愉悦パワーは違うところに使って欲しいところだ。ランサーのナンパ連敗記録更新とか。

すっかり冴えてしまった頭には、幾人もの人を二度寝に追い込んできた布団の心地好さは通用しない。

……起きよう。

一度うんと伸びをして、今日の朝ご飯のことを考える。パンが残っているなら、適当に挟んで食べよう。そう決めてベッドから下りようとした時だ。腹に何かが重くのしかかり、身動きがとれなくなった。

一瞬何事かと思ったが、原因はすぐに見当がついた。原因なんて今ここにベッドにいる奴しか有り得ないからだ。



「……………」



他に何かリアクションを起こしはしないか、身動きを止めたまま相手の行動を窺う。だが相手は私の腹にそのバカみたいにでかい図体をのせた以外には、何もする様子はないようだった。

じっくりと時間をかけて、おそるおそる掛け布団を再度ちらりとめくる。

そこには、


「…ひっ……」


「……………」


猫耳装備の綺礼が、こちらをじっと見据えていた。思わず情けない声を出してしまったが、綺礼はそんな声など聞こえないかのように穴が開くほど私を見ていた。綺礼に見つめられるなんてそんなに体験したことがないのでドキドキしてしまいそうになるが、それは猫耳によって違う意味でのドキドキへと変化してしまう。

今の綺礼は猫である。何をするか分かったもんじゃない。
まさに生きる地雷だ。


「…………お、おはよう綺礼」

「……………」



とりあえず挨拶をしてみたが、昨日同様耳を動かしただけで、うんともすんとも言わない。聞こえてはいる筈なのに。少しぐらい反応してくれたっていいじゃないか。畜生め。私が何をしたっていうんだ………あ…魔法少女の手借りて猫にしちゃったんだった…。


「え、えーっと…綺礼、起きられないから離し──っ!!」


押しのけようと肩に触れた途端、綺礼は思いがけないスピードで私の両肩を掴んでベッドへ戻すと、そのざらついた舌で私の耳を舐め始めた。いや、意味が分からない。そういうこと始める気配もなかったじゃん?!まさか私が綺礼に触ったからそういうスイッチが入ったとでもいうのか。じゃあ何、今後綺礼が元に戻るまで私はずっと綺礼に触れないということに…それはちょっと……だいぶ辛い…猫耳は付いてるけど折角昔の綺礼と会えたのに…。


「…んっ……ちょ、綺礼っ…」
「…………」


──と、今後のことを考えている場合ではなかった。まずはこの事態をどうにかしなくては。綺礼は耳の付け根に丁寧に舌を這わせ、耳たぶにはかぷかぷと甘噛みをしてくる。押し倒す時に足の間へ体を滑りこませたのか、綺礼が身動きをする度に膝が股に当たるものだから、少し変な感覚が駆け巡る。
今までランサーにちょっかいを出されたことは幾度と知れず。だが、こんなねっとりとした行為はされたことなんてない。バックには常に金髪赤目の男と言峰綺礼という男がいたお陰で高校生に上がっても未だ彼氏いない歴イコール年齢である私に、そういった経験など皆無である。私も思春期真っ盛りであるし、多少なりともそういうものには興味がある。少しの恐怖感と、(猫化してあろうとも)綺礼に性的なものに近いことをされているという事実が、私の握り締めた拳を綺礼の顔面へお見舞いしにいくことを阻止していた。

綺礼が耳の穴へと舌を入れてぴちゃぴちゃと舐めるものだから、近くで水音が響いて仕方がない。ぞくぞくと背筋に寒気に似た何かがじんわり広がっていった。
股への刺激も折り重なり、気付けば自然と息を荒げてしまっている自分がいた。

「…はっ……うぁ……んっ、はぁ…」


これ以上続けられていれば取り返しのつかないことになりそうだと、警鐘を必死に鳴らす第六感が私に囁く。


震える手で、あらん限りの力を振り絞り綺礼の顔を耳から引き剥がし、そのまま胸板を押し飛ばす。そうすると舌が耳から離れ、濡れた耳は空気に触れたことによってひんやりとした感覚に覆われた。少し頭がぼんやりするわ、なんだか下半身がむずむずしてやっちまった感がハンパない。今のは色々とまずかった気がする。あと少しで新しい未知の自分と遭遇するところだった。危ない危ない…。

突き飛ばされた格好のままぼーっとした顔でこちらを見詰める綺礼を睨んでやると、綺礼は尻尾を左右にゆらゆらと動かした。それは何を意味しているのか、猫を飼ったことのない私には分からない。


「毎回毎回何なの、発情期なの…?」


「オイ名前ー!朝だぜ!起きないならオレがベッドに入ってえええええ何で言峰がここに──ぎゃああああ!ッ!」



私が投げた意味のない問い掛けよりも、部屋に入ってきたランサーへ飛び掛かる方を選んだ綺礼を見て考える。


……朝食を摂ったら、ボロボロになった服を触るよりランサーと一緒に綺礼への対策を立てる為の話し合いをした方がいいな…。

私もランサーも、綺礼が猫になってから双方方向は違えど碌な目にあっていないのだ。


現実逃避したい。


無心で枕に顔を埋めるも、ランサーの悲痛な叫び声で目覚めてしまったらしいギルガメッシュに「喧しい何とかしろ」とベッドから引きずり離されるまであと十五秒。
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