アイミー、ラブユー | ナノ
うわ、起きた…!


正直起きるならソファーに横たわってからにして欲しかった。
ばっちりと視線と視線が交わり合い、反射的に肩に触れていた手を瞬時に引っ込めて少しだけ綺礼との距離を置いて彼を見つめる。綺礼はゆっくりと上半身を起こし、きょろきょろと辺りを見回してから私を見上げてきた。虚無と苦悩に染まる彼の黒い目がひどく懐かしく感じる…が猫耳の所為でそれも微妙な気持ちになった。ちょっとだけ可愛いけどダメだ。何のオプションもいらない、ノーマル綺礼が私は好きなのである。

「………」
「……か、体の具合は?」
「………」

声をかけてみるが綺礼はぴくりと猫耳を動かしただけで黙ったままだ。この期に及んでシカトか畜生。見た目は変われど中身は何も変わっていない。私の慌てる姿を見て喜ぶつもりかこの外道神父…ちょっと心配したらこれだ。本当に性格が悪いったらありゃしない。紙袋は今の綺礼に理性がないとか何とか言っていたがあれは本当なのだろうか。本当はあの魔法失敗したんじゃないのか。

「…心配して損した。あの紙袋は帰ってったから」
「………」
「……ギルガメッシュと寿司屋行ってくるからランサーのことよろしく。じゃ」

中指を立てて睨んでやれば綺礼は上半身を起こした時と同じくゆっくり立ち上がり、今度は私が見下ろされる形になった。十年前は今より背丈が低かった所為で、いつもより顔が近い気がする。


「な、何…綺礼は麻婆豆腐でも食ってな──いてっ」

無言、無表情の綺礼は勢いよく私の腕を掴んだかと思うとわけの分からないことにそのまま首筋へ顔を埋めてきた。綺礼の息がダイレクトに首筋にかかり鳥肌がふつふつと立っていく。一瞬混乱したが、慌てて引き剥がそうとしてみるも悲しいかな綺礼の鉄のような肉体は私の力では敵わない。

魔力を込めてみれば何とかできるだろうか。

そう考えていると、首筋にざらついた生温かい感触が。思いがけないことに悲鳴を上げたが綺礼は止めてくれそうにはない。本来ぬめぬめと柔らかい感触しかしないそれはマジカル紙袋のお陰でざらつくそれになっていた。

「ちょ…っ…やめっ、て…」
「………」

……これが理性をなくした綺礼のやりたかったことなのか?あれだけ私を乏しめておいて心理の奥底では私を舐めたいとか思っていたとかそんな馬鹿なことがあるのか?
空いていた片手で自身の首と綺礼の口の間に無理矢理手をさし入れて抵抗してみたが、綺礼は表情を変えないまま掌に舌を這わせてくる。若干上目遣いも入っていてとてつもなく色っぽいが今はそれどころではなかった。


「…っ、ギ、ギルガメッシュ!ギル!ちょっと、誰か!」
「何だ騒がしい──…………何をやっておるのだ」

なんというタイミングだろう。ちょうど外から私を呼びに来てくれたらしいギルガメッシュがソファーの前で意味不明な攻防戦を繰り広げている私達を見て怪訝な顔をする。

「綺礼の……理性吹っ飛び過ぎ、…っ…てて…ちょっと助けっ…」
「言峰、貴様名前は性的魅力なんて皆無だと言っておったではないか。気が変わったのか」


お前ら私のいない間になんつー会話してんだよ。
怒鳴ろうとする前にギルガメッシュは何食わぬ顔で私の手を舐め続ける綺礼の首根っこを掴み上げ、私から綺礼を引き剥がすとまじまじと綺礼の顔を覗きこんだ。綺礼は特にこれといって抵抗もせず、ぼんやりとギルガメッシュの赤い双眼を見つめ返す。

「………おい名前。もしかするとこの綺礼は中身まで猫になってるのかもしれんぞ」
「え?」
「マジカル紙袋の奴は理性をなくしたと言っていたがな…今のこやつには自身の愉悦に対する歪みの苦悩など持っておらん。──つまりこやつは綺礼でありながら綺礼ではない」

ギルガメッシュが言うのなら間違いなさそうだ。ってことは今の綺礼には人間としての理性はなく、その代わりに動物としての本能が芽生えてる、とかそんな感じと捉えていいのか。

「ああ、そんな感じだろうな」
「じゃあ綺礼が元々私を舐めたいって思ってたわけじゃないんだよね?」
「…そんなわけないだろう」
「ですよね」



で。これからどうしたらいいかな、これ…。
ギルガメッシュは綺礼から手を離すと何か考えるような顔をし、私を見ると「バイクの準備はできているぞ」と言った。………は?

「え?行くの?こんな事態なのに行っちゃうの?」
「言峰が完全に猫と化しただけではないか。さっさと行くぞ」

猫化しただけって…すごく、とんでもないくらい緊急事態だと思うんですけど。

「え、は、いや…綺礼は…?綺礼置いていくの?」
「猫耳のついた男を外に連れて行けるわけなかろう。言峰なら大丈夫だ。多分」
「多分て…」

ちらりと綺礼の顔を窺うと、彼は何かをするというわけでもなく、部屋のある一点を眺めていた。猫がよくやっているあの行動だ。あれは部屋に舞う埃を見ているのだと聞いたことがあるが、本当だろうか。

いい加減痺れを切らしたギルガメッシュが私を俵のように持ち上げた頃、一人の男が頭を押さえながら部屋に入ってきた。…ギルガメッシュと綺礼から幸運Eと散々馬鹿にされている男が。


「いってぇーな……なあ名前、あれから紙袋とは…どうなった………げっ、言峰?!…ね、猫耳っ?!」
「あ、ランサー。目覚めた──」
「おお!よいところに目覚めたな、ランサー!よいタイミングだ!暫しの間言峰のことは任せたぞ」
「は…っ? あ、おいこらてめぇら──」

ランサーの言葉を聞き終えない内にギルガメッシュは勢いよく扉を閉めるとそのまま小走りで廊下を駆け抜け外へと飛び出した。私が口を挟む間もなく、バイクに飛び乗り、私を自分の後ろに乗せてヘルメットを被せると発進しだす。なんとも無駄のない流れだった。綺礼が目覚める前はランサーに任せていいや、と軽い気持ちでいたが、いざこうなると彼には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

信号が赤になったところでギルガメッシュにランサーを心配する言葉を告げると口を尖らせた彼が私を振り返った。

「ランサーなら心配ない。いいか、名前。物事を選択するということは何かを捨てるということだ。この場合、我達は寿司を食べに行く代わりにランサーを捨てたのだ。つまり、そういうことだ」
「いや、わかんないよ。私が言いたいのはそういうんじゃなくて…」
「?」
「ほら、ランサーって犬っぽいところあるじゃん。基本的に猫と犬って仲悪いから、猫になった綺礼がランサーの犬っぽいところに反応しないか心配で」
「なに、ランサーは死んでも死なん男だ。例え死んでも貴様の胸の一つ揉ませてやれば生き返るに決まっている。現に前にそう言ってたぞ」



どの時代になっても男が集まればそんな内容の話しかしないらしい。今までクー・フーリンに抱いていた憧憬が見るも無惨に崩れていく様を感じながら、私はランサーを心配する心を勢いよく投げ捨てることにした。