アイミー、ラブユー | ナノ
「血も涙もありませんね、そのダニ神父とやらは」
「(…ダニ?)そうなんですよ〜愉悦だか何だか知りませんけどその愉悦の所為で困ってるこっちの身にもなれって話ですよ」
「外道ですね」
「ええ、外道です」

場所は港から一転して河川敷へ。少女はコスプレ衣装が汚れることに大して抵抗はないのか直に地べたへ腰を下ろすと私に事の詳細を説明するよう促した。そして私の話を聞いて漏らした感想が上記の通りである。本当に綺礼は血も涙もないかもしれない。……いや、涙は分からないが、確かに奴の体には血が流れていた。十年前に一度だけ見たことがある。熟した林檎のようなそれを。


「ふう…この頃から貴女は苦労していたのですね」
「…え?」
「…いえ、何でもありません。ただの独り言です」
「………」

少し沈黙が流れる。風が私と少女の間を通り抜けていった時、痛みを知らない銀がふわりと舞う。彼女の着ている服は、コスプレといえども無駄にクオリティが高い。オタクの皆さんからすれば鼻血ものだろう。私にそういう趣味はないのであまり良い反応は出来ないが。少女に話をした分幾らか気持ちが軽くなった私は少女に向き合う。

「初対面なのに愚痴聞いてもらっちゃってすいません…でもだいぶすっきりしました」
「気にする必要はありません。私が聞きたかっただけですから。この発端の理由を知っておくことは大事だと思ったまでです」

………?
そう言って彼女はあまり温度の感じない笑みを浮かべた。その割には優しい言葉を投げ掛けてくれるのは何故だろうか。さっきの意味ありげな言葉といい、この少女は私と会ったことがあるかのような、そんな口ぶりだ。私は記憶力はそんなに良い方ではないけれど、これだけは言える。私は彼女とは会ったことなんてない。

「…貴女の名前は何ていうんですか?」
「………そうですね。…マジカル紙袋とでも名乗っておきましょう。それにしても名前、貴女は悔しくないのですか?」
「え?…っていうか、名前…」

何故私の名前を知っているのかと問い質したいが、その前にマジカル紙袋って。色々危ない。主にネーミングセンス的な部分が。

「今はそんな些細なことを気にしていることではありません。名前、あのようなクソ神父に良いように弄り倒されて何とも思わないのですか?」

どう考えても些細なことではないと思うんですが。
というか弄り倒されるって何だかやらしい言い方だなと思うのは思春期の所為だからだろうか。

確かに小さい頃から綺礼は私に嫌がらせ紛いのものをしているが、それは世間から見れば些細なことだ。私に暴力を振るったりとか、そういう第三者にばれたらまずくなるようなことはしない。逆に人目に分からない、そして私が必ず怒るか苦しむことを多々やってのける奴なのだ。精神攻撃は勿論のこと、ことごとく私の邪魔をしてはほくそ笑むクソ神父だ。そんなクソ神父に十年淡い想いを抱いている私は頭の螺子が数本落ちてしまっている。

「うーん……なんというか……慣れた?」
「貴女、クソ神父に良いように調教されていますね」
「ちょ…?!それはないです」
「名前の罵倒され泣き崩れた不様な姿をあのような人権否定マシーンの神父に見せるなどとんでもない!貴女、神父に一泡吹かせてやろうと思ったことは少なからずあるでしょう?」
「そりゃあまあ…それなりに酷い仕打ちを受けましたしね…」

卵焼き食べられたり、ギルガメッシュに買ってもらったキーホルダー隠されたり、麻婆豆腐を勝手に辛くされたり、作ってもって行こうとした弁当を奪われた挙げ句食われたり。若気の至りで髪を金に染めようとすれば赤の染色剤にすり替えられていたり。ランサーと一緒に締め出されたり。総合して食べ物に関連する嫌がらせが多い。

「実際に一泡吹かそうとしたことは?」
「ありますよ。全部失敗に終わってますが」
「そうですか。ではこの私があの外道に一泡吹かせてやりましょう」
「えっ」
「これはあの野郎を屈辱に打ち付けられる又とないチャンス…みすみす逃すわけにはいきませんわ」
「えっ、あの、マジカル紙袋さん…?」
「名前、夜です。夜になったら面白いことになります。楽しみに待っていなさい。ではまた会いましょう」
「あー!ちょっと!」

マジカル紙袋の手にはいつの間にかステッキが握られており、彼女がそれを一振りすると、その瞬間少女の体は消え去った。私は暫くの間ただ呆然と少女がいた場所を見つめる。何だったんだ、今のは……もしかして彼女ははじめに言っていた通り本当に魔術師…いや、魔法少女だったのだろうか。


「おーい名前!そんな所で黄昏れてどうしたよー!また言峰の野郎にいじめられたのかー?」

声がした方向を振り返ると遠くの方からぶんぶんと大きく手を振ってこちらに歩いてくるランサーの姿が見えた。こちらも手を振り返して、彼の元に走り寄る。どうやらバイト帰りのようだ。ランサーは段々と橙に染まりつつある空を眩しげに見つめて口を開く。

「言峰か?」
「念願の冬木プリン食われた」
「あー…そりゃ黄昏れたくなるわな」

別に黄昏れる為に河川敷来たわけじゃないんだけれど。ここでマジカル紙袋と名乗る魔法少女と語らったんだよなどと言ったらランサーのことだ。きっと哀れむような目で私を見ながら「病院行こうぜ」とか言うに決まっている。適当に話を合わせた方が賢明だ。

「そうそう。なんかもうやんなっちゃうんだけど…ランサーなんとかしてよ」
「どこまでオレの未来のマスターをいじめりゃあ気が済むんだろうなァ」

そう言って私の腰に手を回して唇を首筋に寄せてくるランサーを軽くあしらってマスターになることを否定する。そうすれば彼は口を尖らせて文句を零した。

「あんなオッサンより名前の方がオレのマスターに合ってるぜ」
「綺礼の方が性に合ってるって……それよりもそろそろ帰ろうか」
「ンなわけねーだろ……もうちょい残ってなくていいのか?今ならオレが慰めてやるぜ」
「遠慮します。行こっか」
「ちっ面白くねえな」

ランサーをそのままに歩き始めると、少しして後から彼の足音が聞こえる。直ぐさま私とランサーの足が並び、お互いテンポの違う足音を聞きながら教会へと続く道を歩いた。教会には綺礼がいる。今の私はマジカル紙袋に愚痴を零したし、彼女が充分に慰めてくれたお陰で冬木プリンが食べられたことも今なら許せる気がした。ギルガメッシュに頼めばもしかしたらプリンを買ってきてくれるかもしれない。


マジカル紙袋が綺礼に何かを仕掛ける予告をしたことが気になる。


「ねえランサー」
「んあ?」
「今日は何か起こるかもしれない。念のため用心しといて」
「………? 分かった」


「みすみす逃すわけにはいかない」と語った時の彼女の目は、やけに殺意が込められていたのだ。