スイート・ストロベリー・スイート | ナノ



あんなにも煩いなとストレスの種になっていた蝉の声も、こうして毎日聞いていると最早どうでもよくなってくる。扇風機の稼動する静かな音と、時折思い出したように鳴る風鈴。窓から見える青い空と白い雲のコントラストがとても夏を演出していた。一度寝返りをうって、寝ている内に蹴飛ばしてしまったらしい薄いシーツに手を伸ばす。あともう一度寝たい。寝て、起きたら八月一日に戻っていたらいいのにと思う。



有り得ないことに、今日が八月三十一日──つまり、夏休み最終日なのだった。
わけが分からない。幸運なことに課題は休みが始まった一週間で片付いたものの、残りの全てはただただ怠惰に過ごしただけだ。私の夏休みはそれだけで終わってしまうらしい。恋人ができた初めての夏休みなのに、恋人と会うこともなく終わってしまうとは。…いやまあこれは自業自得に近いんだけど。夏休み中に遊んだ友人の話によると、祭りでわいわい騒ぐバスケ部二年レギュラーがいたのを見たという。夏休みを部活地獄に沈めた赤司君も適度な息抜きをさせていたようだ。赤司君は飴と鞭の使い分けに長けているのかもしれない。祭りを楽しむ青峰を想像して、最初から最後まで部活で終わることがなかったことに対する嬉しさとよく分からない寂しい気持ちになった。そんなことを彼に吐露したところで返ってくるのは戸惑いか、自己中な私に対する批判の視線だろうが。


時計を見れば十二時半を過ぎていた。そろそろ起きないと昼飯が片付けられてしまう。適当に布団を丸めて着替え、居間に行けば何やら鞄を持って出かけそうな雰囲気を醸し出している母がいた。挨拶をすれば母は呆れた目で私を見、ご飯なら冷蔵庫にあることを告げるとすぐに家を出て行ってしまう。大方あの格好からして買い物だろう。きっとあの目つきは「最終日までだらだらして…」とか思っているに違いない。

冷蔵庫からサラダと冷え切ったタマゴエッグを取り出し、フォークでつつく。ゆっくりだらだら時間をかけて摂る食事も、明日から休日以外にはできなくなってしまう。食事と憂鬱な気分を存分に味わい、綺麗になった皿を流し台に置いてソファーの上になだれ込んだ。夏休みが終わってしまう。ほんと、私何やってたんだ、この一ヶ月……。誰もがやるであろう「夏休み中の自分」を振り返りながら、窓から吹き込んでくる涼しい風の心地好さに目を細める。食事を摂った後の満腹感が体に広がり、眠気が襲ってきた。帰ってくるなり溜息をつく母のことを考え、でも最終日くらい自分の好きに過ごしていいだろうという結論に達し、重い瞼を閉じる。今日の夜は眠れなくなるかもしれないが、寝る以外に何もすることのない私は本当にどうしようもない人間だ。恋人の誕生日を知っておきながら何もしないなんて、最低過ぎる。


重い溜息を一つ吐き出して、それから寝心地の良い体勢をさがす。布団と違って若干硬いそこは寝づらいのだ。眠気はあるのに寝に入る準備が出来ず、背中を丸めたり足を伸ばしたりと苦心したその後、ようやく眠りやすい体勢を見つけた途端に私の睡眠を邪魔するかのようなタイミングでインターホンが鳴った。まるで私の一連の動きを見ていたのかと思うくらいに悪質だ。なんなんだ。用事があるならもう一度訪ねてくるだろう。居留守をすることにして、そのまま無視を決め込む。するとピンポン、とまたインターホンが鳴った。


「…………」


三回目が鳴る。いい加減しつこい。とっとと帰って欲しい。この家には誰もいないのだ。私はただの空気だ。流石に訪問者も誰もいないことを悟ったのか、四回目を鳴らすことはしなかった。そうだ、それでいいのである。用があるならまた明日訪ねてこい、と私は内心ほくそ笑み、優しく入ってくる風に意識を持っていかれながら、眠りに就く。



否、就こうとした。



「おい、苗字。起きろ」



「……………は?」

「は?じゃねえよ」



勢いよく飛び起きて外を見れば、呆れた目で私を見下ろす青峰がいた。青峰。部室に居る筈の青峰が。何で、こんなところに。あれ。思考が追いつかない。呆然とする私をよそに、青峰はがらがらと網戸を引いて窓辺に腰を下ろすときょろきょろと家の中を見回した。青峰はTシャツとハーフパンツという部活中のような出で立ちで、スポーツバッグを背負っている。額には米粒くらいの汗を浮かばせて、夏を謳歌していますと言わんばかりに、青峰は輝いていた。



「…何でここに…」
「言いたいことたくさんあっけど。その前にお茶か水くれ。チャリ漕いできたから疲れた」
「………ちょっと待ってて……」


あっちー、とTシャツを捲り上げながら汗を拭う青峰をそのままに冷蔵庫から冷えた麦茶と、食器棚から適当にグラスを取って彼の元に戻る。並々麦茶の注がれたグラスを渡すと青峰は礼を言いながらそれを一気に飲み干した。

「…っはぁ…生き返った。どうもな」
「いや、別に……そんなことより…」
「そんなことより苗字、テメーオレに謝れよ。あぁ?何が最終日は予定空いてねぇだ?!がっつり暇してんじゃねーか!!」
「そ、それは…」
「何だよ」


目の前の青峰は怒っていた。今までに見たことのない表情で、私は喉が引き攣るのを感じた。誤魔化そうにも、きっとこの男にはバレてしまうだろう。きっとこの格好からして、青峰は学校帰りだ。だとしたらもう二年レギュラーと桃井さつきからのサプライズは受けている筈だ。


「桃井さんが……」
「さつきが?」
「桃井さんとかバスケ部が青峰の誕生日祝うって聞いてたから、邪魔したくなくて…」
「………ハァ。どうせそんなこったろうと思ってたけどよー……お前が注目されたり、知らねー奴の中にほいほい入ってくのが苦手なことぐれぇ付き合ってる一番オレが分かってるからな」
「……ごめん」
「……オレと居たくねーっつー理由じゃないなら、別にいい。っつか、誕生日知ってたんなら電話の一本くれたっていいだろ」
「…青峰毎日部活だって言ってたし、寝てるとこ邪魔しちゃ悪いかなって…それに、青峰に誕生日だとも言われてないのに祝うのもなんか…」
「オレがンな小さいことでてめぇを気持ち悪がると思ってたなら今すぐその認識を改めろ。いいな」

青峰の鋭い眼光が私を睨みつける。黙って一度頷くと、幾分か表情を和らげ、グラスを私の前に突き出した。
ああ、注げってことか。
再び麦茶を注いでやると、彼は部室であった出来事を話し出した。突然最終日も部活があると言われて渋々行くと、そこには大勢いる筈の部員の姿はなく、いつも仲良くしている相方やチームメイトの皆がプレゼントやケーキを持って自分の到着を待ってくれていたこと。誰かに話したくて仕方なかったのかもしれない。話す青峰の横顔は嬉しそうで、聞いている私も少し嬉しくなる。

だが、それから聞いた話は私にとってはかなりまずい内容だった。

割り勘で買ったワンホールのケーキを人数分カットしていた際に、一つだけ余分に余ってしまったらしい。そのケーキを見て桃井さつきが一言「苗字さんがいたら余らなかったのにね」と言ったらしく。私の名前が出てきたことを不思議がった青峰がそのことを尋ねると、思わずぽろりとこぼしてしまって、それで、つまり何が言いたいかと言うと、



「ばれた……?」
「だな」



眉間を押さえる私の肩を軽く叩きながら青峰は麦茶を口に含む。何でそんなに冷静なんだ、青峰は。


「そう言い触らすような奴じゃねーよ、あいつらは。さつきみたいに悪意なく暴露しちゃうタイプだから」
「いや、そっちの方がよっぽど悪質だと思うんだけど…」
「まあ、結果オーライだしいんじゃねーの。さつきがお前のこと話に出したからなんかクセーなと思って試しに来てみたらこのザマだったしな」
「…………」
「居留守するなら窓閉めとけよ」
「………おっしゃる通りで」


縮こまる私を見て青峰は鼻で笑うと私の頭をぐしゃぐしゃと掻き回した。元々寝癖のついていたそこは青峰の手によって更に酷くなっていく。私を見下ろす青峰は白い歯を見せながら、夏の暑さを忘れさせてしまうような元気な笑顔を浮かべている。



漠然と、ああ、この人が愛しくてたまらない、と思った。




「──青峰、」
「ん?」
「……誕生日、おめでとう。……いつも、我儘言ってごめん」



………正直、青峰の考えてることなんてよく分かっていないし、多分彼女の方が──桃井さつきの方が、青峰のことを私よりも理解していると思う。そして、容姿的にも、釣り合いもとれていると思う。


でも、それでも。


これからも、私は青峰のことを全然分かってあげられないかもしれないけれど。それでも青峰の隣に居たいなんて、思っている。隣に立つ自信がないくせに、そう思ってしまっている。


「……お前の言う我儘なんて我儘じゃねーよ。…ん、いや、我儘だな。クラスの奴らに自慢してやりてえ」
「え…」
「でもお前が嫌ならやらねえ。お前の嫌がる顔は見たくねえからな」
「………」


青峰は、私だけに対しては、どこまでも甘くて、きっとそれは少なからず私のことを、「好き」だと想ってくれているから。甘やかさせてくれるのだと。そう、思ってしまっていいのか。


「……ねえ青峰、もしこの後暇なら、喫茶店行こう。そんなに人の出入りないし、そこのケーキ、すごく美味しいんだ」

私からの誘いに驚いたのか、青峰は少し目を見開いた後、直ぐさま「行く」と答えてくれた。


「行くけど一旦着替えてから行く。オレが戻ってくるまでにお前も準備しとけ」
「…分かった」


雫のついたグラスを置いて、青峰はゆっくりと立ち上がって、一度私を見つめてから背を向けて歩き出した。やっぱり青天に青峰の姿はよく映えていて、綺麗だと思うと共に好きでどうしようもない気持ちが溢れ返って仕方がない。



──喫茶店に行った後、ふとした拍子に「生まれてきてくれてありがとう」なんて言ったら、青峰はどんな顔をしてくれるだろう。


一度こちらを振り返った青峰に片手を挙げてやりながら、彼の人生がこれからも輝いていて幸せであるようにと、そう思いながら。十四回目の誕生日を祝うべく、まずはぐちゃぐちゃになった髪を整える為に洗面所にへと足を運ぶことにした。


スイート・ストロベリー・スイート

8/31 Happy Birthday Dear Daiki!

×