スイート・ストロベリー・スイート | ナノ




そんなこんなで桃井さつきからの誘いを断った数日後──中学生になって二回目になる夏休みが始まろうとしていた。終業式も終わり、HRで休み中の禁則事項を聞いた生徒達は暫くの間は学校から解放されると、我先にと学校を出て行く。皆顔が明るく輝き、そして浮足立っていた。この数日もやもやとした気分で過ごしている私からすれば羨ましさを通り越して腹立たしい。

明日からの夏休み。予定は残念ながら特にない。あるといっても墓参りくらいだ。きっとこのままいくと毎年、いつも通り遅寝遅起を繰り返していたら気が付けば夏休み一週間前だった──という事態になるのだろう。だからこうして終業式もHRも終わっているのに、図書室で課題を片付けなければならなくなったことについては……案外良かったのかもしれない。







「明日一緒に帰らねぇか」


授業が終わり、日直の仕事も終えて職員室から教室へ戻っている途中のことだった。腕を掴みざま言われた言葉に振り向くと、そこにはTシャツにハーフパンツ、と練習着を身に纏った青峰がいた。眉間に皺を寄せて、口の形をへの字にさせてふて腐れているような表情で。辺りには誰もいない。きっと、誰もいないタイミングを見計らっていたのかもしれない。青峰は、付き合い始めた時の約束をきちんと守ってくれていた。


「…明日、部活あるのバスケ部だけだし、三時には終わっから………待つのメンドくせーならいいけど」


私は何も部活動をやっていないから、青峰との帰宅時間は全く違う。一緒に帰ろうにも、バスケ部は他の部活よりも終わる時間が少し遅い。そして、何より他の生徒の目がある。普段はお互い別々に下校しているから、せめて明日くらいは一緒に帰ろうと、そう思ってくれていたらしい。


「…分かった。じゃあ図書室で待ってる」


そう言うと青峰は「おう」と一言言ってくるりと踵を返すと体育館のある方へ走って行ってしまった。部活は始まっているものの、私に誘いをかけたいが為だけに抜け出してきたのか。バスケ部は規律が厳しいらしいのに、たかだか誘う為だけに──誘いを断られる可能性もあったのに──そこまでする青峰のことがよく分からないと思ったのは秘密だ。









冷房の効いた誰もいない図書室で過ごすことになり早数時間が経過した。三時には部活は終わると言っていたから、そろそろやって来るかもしれない。苦戦を強いられていた数学の課題を終えて一息ついていると、がらりと扉が開き、腕まくりをした青峰が入ってきた。カーディガンは着ていない。そりゃそうだ。部活終わりで毛糸の上着なんて着てたら暑さで馬鹿になってしまう。…青峰は元々馬鹿だけど。
彼は図書室に足を踏み入れるなり「涼しー」と目を細めて幸せそうな表情になって私の元に近付いて来る。

「悪ィ、待たせたな」
「気にしないで、部活お疲れ様」
「おー。ってか図書室って昨日で閉館じゃなかったっけ?あんまよく覚えてねーけど」
「先生に頼んで鍵貸してもらったから……帰り職員室寄っていい?」
「ん」
「ごめん」
「んなちっせーことで謝るならオレの課題もやれ」
「無理」
「チッ」

青峰はこちらをじろりと睨んできたが、いちいち気にしていると埒が明かない。ペンケースや課題を鞄に詰め込んでいると、青峰はえらく長い溜息をつきながらテーブルにゆっくりと上半身だけ倒れこんだ。冷房の冷気によって冷えたテーブルが心地好いのか小さく呻く青峰の背中を「お疲れ」の意味を込めて数回軽く叩いてやれば、少し身をよじり、顔を私の方に向けてくる。じっと見つめてくるその視線に、気に障ってしまっただろうかと少し焦りつつも視線を返していると、暫く経った後「帰るか」の一言と共に視線は外された。


「バスケ部の奴らは皆もう帰ったから」
「そう…」
「ああ。オレは担任に呼び出されてるからっつったし、怪しまれねーよ」


普段から青峰は成績の関係で呼び出されることがしばしばある。だからそう出まかせを言っても「ああいつものことか」と怪しまれなかったのだろう。
鞄を持って鍵を片手に席から立つと青峰もゆっくりと上半身を持ち上げて、それから扉の方まで歩いていく。図書室を出れば地獄の暑さが私達を待ち受けている筈だ。私と同じことを考えていたのか、青峰はげんなりとした顔で「此処から出たくねー」と呟いた。






職員室に寄って鍵を返した時点で汗が体中から噴き出ていた。長時間冷房にあたっていたから当然といえば当然だ。玄関に行く途中、必死にタオルで汗を拭う私に青峰は手で自分を扇ぎながら「あっちーな」と笑った。額を流れる汗が色っぽく感じる。


八月三十一日が誕生日だときいた時、青峰にぴったりだと思った。褐色の肌に白い綺麗な歯と無邪気な笑顔は、真っ青な空と真っ白な空によく映える。青峰には夏が似合うのだ。





***




玄関を出るなり、太陽の直射日光に当てられた私達は無言で顔を見合わせる。おかしい。気温上昇のピーク時にあたる二時は一時間以上も前に過ぎているというのに、これはおかしい。昨日よりも暑い気がする。こんな気温だと室温も半端なかっただろう。動けば尚更だ。先程までこんな過酷な状態でバスケをしていた青峰やバスケ部の人達は一体どんな体力の持ち主なのか。人間ではないんじゃないかと思ってしまう。


「こんなにあちーとアレだな。アイス食いてえ。コンビニ寄ろうぜ」
「ごめん、財布持ってきてない」
「そんぐらい奢ってやるっつーの。ってかたまにはカッコつけさせろよ」


あんま一緒にいられねーんだから。


青峰はこちらを見ずに言う。一緒にいられる時は格好をつけたいらしい青峰の意見を尊重し、どちらからともなく足を進める。

炎天下の中、青峰から数歩離れた後ろ、少し間隔を開けて歩いていると突然青峰がこちらを振り返り、私の左手を引っ張って自分の方に引き寄せてきた。青峰の手は酷く汗ばんでいて、とても熱い。


「誰も見てねーから、いいだろ」
「………」
「オレの勘も知り合いには会わねーって言ってっから」
「………うん。でも暑くない?大丈夫?」
「暑くてもオメーと手繋げんならいい」

そう言ってそっぽを向いて再び歩き始めた青峰の手を握り締めると、彼は一瞬肩を震わせたものの私より強い力で手を握った。青峰の握力はとても強くて離して欲しかったが、言うに言い出せない。言うとなんだか青峰の想いを否定してしまうようで、少し気が引けた。


青峰に引きずられるようにして店内に入り、そこで一度手が離れる。図書室よりも冷たい冷気が私と青峰を包み込んだ。青峰の後ろをついて行く途中、こっそり繋がれていた手を見るとやはり赤く痕が残っている。まああれだけ強く掴まれてれば痕もつくだろう。青峰に見られないようにこっそり手を隠し、アイス売り場の方に向かえば既に目当てのものを物色する青峰がいた。

「何でも好きなの選んでいいぞ」
「ありがと………じゃあこれ」
「あ?これ小さいし安いじゃねーか。もっとでかいの選べ。ダッツでも許す」
「ダッツは歩いて食べるのには不向きでしょ。外暑いし、溶けないうちに食べれるやつの方がいいかなって。それにこれ好きだし」
「……そ」

青峰は納得したように頷くと私と選んだアイスとは味は違うものの、同系列のものを選んですたすたとレジへと向かって行ってしまった。小銭を懸命に数えて会計に出す姿を見て何とも言えない気持ちになる。見栄なんて張らなくていいのに……前によく部活で買い食いをしながら帰ると言っていたから、多分金銭面の余裕なんて早々ないだろうと踏んでいて良かった。




***





「あっちぃー、けどうめー……生き返るわ」
「いただきます」
「おう」


渡されたアイスの封を破って口に含めば口内に冷たい感覚と甘い味が広がる。再び舞い戻った炎天下も、夕方になりつつある所為かだいぶましになった気がする。
コンビニから出た途端、当然のように青峰は私の手を引いて歩く。先程のようにぎゅっと痛いくらいに握り締められるようなことはなく、今度は適度な力でその手を握られ、私も緩く青峰の手を握った。青峰の手は私よりもずっと大きくて、少し皮膚が硬い。なかなか触れることが出来ないその感触が、私の密かなお気に入りだ。


「苗字お前夏休みは何すんだ?」
「課題、とあとは自堕落に過ごす。青峰は夏休み中ずっと部活?」
「…だな。まあ去年もそんな感じだったし。合宿がまた面倒くせーんだわこれが…きっと今年は赤司が仕切るだろーし、死ぬわ。それに何よりさつきの作る飯がなー」
「…凄いんだ」
「ああ、すげーぞ」

「……そっか」


溶け始めているアイスの処理に追われていた口を閉じて、桃色の髪の可愛い彼女を思い浮かべる。凄腕だから部員のサポートからご飯の用意まで、何から何までやってしまうんだろう。きっと。…そんな完璧な幼馴染がいるのに、私を選んだ青峰の思考回路が謎過ぎて理解できない。


「…苗字?どうした?」
「…あ、ごめん…アイス食べたからちょっと頭痛くてぼーっとしてた」
「っ…大丈夫か?どこか日陰ある所に──」
「大丈夫大丈夫。もうすぐ家着くし。あの…合宿も練習も無茶しないでね」


まあ、そんなこと私が言わなくても桃井さんや二年のまとめ役の赤司君に散々言われてるだろうけど。青峰は少しぶっきらぼうに返事をして、「で、休み中のことなんだけど」と夏休みの話題に話を戻した。


「夏休み中お盆以外は赤司の所為でほとんど部活でよ」
「うん」
「でも最終日…三十一日だけ一日休みなんだよ」
「…うん」
「苗字が暇なら、どっか遊び行かね?」


期待の篭められた深海のように青い目が、私を見る。



…………。



『八月三十一日、青峰君の誕生日でしょ?部活の二年レギュラーの皆で部活終わりにサプライズとしてお祝いしようってなってるんだけど──』



……………。





「ごめん、その日は予定空いてないと思う」
「…そうか」


きっと、三十一日のバスケ部の部室は、青峰を祝う為に二年レギュラーの皆がお祝いの品か何かを持ってきて、賑やかになる筈だ。青峰はこのことを──三十一日当日は学校に足を運ばなければならなくなることを──まだ知らない。このことを知っているのは、名前も顔も一部しか知らないバスケ部の二年レギュラーと、桃井さつきと、私だけだ。そのサプライズを知っているのに、青峰と出かけるなんて真似は出来ないししたくもない。何より後味が悪い。



「………」

「………」



そこから、私の家に着くまで青峰は何も喋らなかった。ばれないように顔を隠し見れば、彼は無表情のまま真っ直ぐ前を向いている。
私の家の前になると、青峰は私に向き合って静かに握っていた手を離して「次に会えるのは新学期だな」と一言言った。どこからか鳴いている蝉の声がやけに耳に残る。ぎらぎらと輝く太陽の光が、容赦なく私と青峰を突き刺す。


「…元気でね」
「何か困ったことあったら電話しろ」


携帯さえあれば、もっと青峰と下らない話が出来たんだろうが、生憎私の家では携帯を持つのは高校生になってからというのが決まりだった。私が頷くのを見て青峰は少し微笑を浮かべたが、ふと神妙な顔をして口を開く。

「苗字は──………いや…何でもねーわ。夏バテすんなよ。じゃーな」
「……気をつけてね」
「おう」


青峰はもう一度笑うとゆっくりとした足取りで私に背を向ける。私はその背中が見えなくなるまで見ていたが、青峰が振り返ることは一度もなかった。青峰は私に何と言おうとしていたのだろう。今なら、まだ走れば青峰に追いつくことが出来る。それなのに私の足は張り付いたようにそこから動かなかった。

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