羊飼いの憂鬱-another | ナノ
「その…主──いえ、ナマエ様が…俺に何も命じて下さらないのが……少々不満ではあります」


またしても私の予想とは反する答えに、どういうことかという意味を込めて見つめる。そうすれば、彼は玉葱を手に取りながら私を見下ろした。


「…この時代に生きる人間である貴女には理解し難いかもしれませんが…俺のような…主人の命を聞き、主人を支えこの命が尽きるまで主人の傍に在り続けることを喜びとする者としては……今の状況がもどかしくてならないのです」


「此方の方が安いですね」と玉葱を買い物カゴに放り込みながら、オディナさんは話を続ける。



「あんなことがあっても…貴女は俺を捨てずに傍に置いて下さった。『信じる』と、言って下さった。それなのに……それなのに、貴女は…従者である俺にはほとんど何も命じて下さらない……俺が何か──掃除洗濯をすれば苦い顔をするばかり。……信用されていないのではないかと…心苦しいのが本音です」
「…………」


ちらちらと私の反応を窺う彼は、きっと「何生意気な口聞いてんだ」と怒り出さないかとか、マイナスな方に考えているのだろう。
このネガティブさは生前によるものか、はたまた第四次のトラウマによるものなのか。

多分、大体、ケイネスさんの所為だ。


「……立場を弁えず身勝手な発言を失礼致しました、主」
「……やっぱり、」
「…?」
「思ってることはきちんと口に出さないと、相手の考えていることは分からないもんですね」
「……失礼ですが、どういう意味──」
「ほら、さっきオディナさんが言った通り、この時代は皆が平等を謳う世で、主従関係なんてものは金持ちの坊ちゃんと執事とかぐらいで、とっくに廃れてますから。だから、私は根っからの従者のオディナさんが今までの生活をどう思いながら過ごしてたかなんて、欠片も分からなかったですし」


オディナさんの話を聞いてから少し前のことを振り返る。
電球の取り替えや、手の届かない棚に仕舞ったトイレットペーパーの取り出し、がちがちに固まった瓶の蓋開け。てっきり現代の物に触れられるから嬉しいのかとばかり思っていたのだが、話を聞く限り、私が命令──というか頼み事──をしたから嬉しかったらしい。そんな小さな頼みで喜ぶなんて不憫過ぎる。いや、不憫にさせたのは紛れも無い私なのだが。



白菜は買った。トマトと玉葱も買った。次はベーコンとウインナーだ。
歩きながら軽く手招きすると、オディナさんは少し遅れて付いて来た。


「この際だから言っておきますが、掃除洗濯してくれるのはとても嬉しいですよ」
「っ!ほ、本当ですか!…ですが、その、では何故苦い顔を──」
「オディナさん、洗濯する時、洗剤どのくらい入れてます?」
「…ええと、毎回スプーン一杯入れてますが…」
「掃除する時のゴミの分別は、きちんと把握出来てたりします?」
「……!」
「洗剤は洗う服の量で入れる量も変わってくるし、冬木はゴミの分別細かいから、ちゃんと確認しながら捨てないと業者さんが困るんですよ」


「掃除しました!」「洗濯しました!」と、褒めてくれと言わんばかりの誇らしげな顔で報告されては、注意出来るものも出来ないものである。どうやら私は、オディナさんのしょんぼり顔を見るのは苦手らしい。

表情に出すだけ出して何も言わなかったのは私の落ち度だ。


「オディナさんがこの生活に慣れてから言おうと思ってたんですけど、もっと早くに言っておくべきでした。ごめんなさい」
「主が謝ることでは…!……つまり、主は俺の誤ったやり方に対し苦い気持ちであられたと…そう解釈してよろしいか?」
「そうですね」
「そうですか…」


安心しきった顔で肩の力を抜いた美丈夫は目映い笑顔で私を見つめてくる。この満面の笑みは、正気を取り戻した後に正式な契約をした時以来の笑顔だ。


「……何も命じないっていうのは、ただ単に人に何かをやってもらうって行為がむず痒いというか。元々人に頼むのが苦手なもので」
「…そういうことだったのですね。……差し出がましいですが、一つ提案しても?」
「どうぞ。ベーコンは厚いのと薄いのどっちがいいですか?」
「…安値の物を。…週ごと、もしくは月ごとに家事分担の取り決めを致しませんか。半々にやれば、俺も主もwin-winの関係になれるのでは」
「…生活費貰ってるから、既にその関係は成り立っていると思うんですが」
「…いえ。成り立ってはいません。食事、洗濯、掃除全てを貴女一人にやらせるのは心苦しい。俺がそう思う時点で、成り立ってなどいませんよ。…なりませんか?」
「……別に構わないですが」
「ありがとうございます!」


私の返答によって再び向日葵の笑顔が咲き誇り、近くにいたおばさま二人組が小さく声を上げた。
それに気付いているのかいないのか、彼はぐっと握り拳を作りながら私に力説する。


「少しずつでいいので家事を教えて下されば──…このディルムッド、必ずや今より快適な生活を貴女にお届けします!」
「………」


自分が興味のないことは大概無意識にスルーするところも、少なからず彼の悲運な人生に関係しているのだろう。


「……あの、主…?」
「…あ、すいません。はい、よろしくお願いします」
「…………」
「…頼りにしてますね」
「っ!はい、我が…ナマエ様!」



我がナマエ様って言ったぞこの人。しかもさっきからちょいちょい主呼びしてたし。
…まあ、直ぐさま名前呼びが出来ないことぐらい承知してたから、仕方ないんだけど。



***



オディナさんに軽く冬木のゴミ分別事情を話しながら、トマト鍋の素や、本来の目的だったブランチュールのファミリーパックを幾つか買った。
ブランチュールを買ったついでに何か美味しいお菓子はないかと物色している途中、ふと、このブランチュールの料金は一体誰持ちになるのだろうと考えた。
ファミリーパックはやはり沢山入っているだけあって、高い。変なところでケチっぷりを発揮するギルガメッシュさんのことだから、今回も私持ちになるのかもしれない。
また一歩貧困を理由に自決を決行する道に進んでしまったと考えて、不死になってしまったことを思い出す。

………餓死しても死なないのであれば、食べなくても生きられるだろうか。
そうだとしたら食費は私の分だけでも浮かせられることが出来るんじゃ…?


「ナマエ様、ナマエ様」
「…!はい?どうしました?」
「ニホンの冬至で行う行為には、具体的にどう言った意味があるのでしょう」
「…冬至?」

「あれを…」


オディナさんの指差した方向に視線を向ければ、そこははじめに立ち寄った野菜コーナーだった。此処からは少し離れ場所であった為、彼が何を差しているのか分からない。サーヴァントは目が良いな。視え過ぎるのも問題だが、最近ゲームのやり過ぎで若干視力が低下し始めている傾向があるので羨ましい。

オディナさんに野菜コーナーへと連れられ、彼の目に留まった場所へと案内される。南瓜の置いてあるそこには「今日は冬至!南瓜を食べて温かい柚子湯に浸かりましょう!」などと大きな字で書かれた、ラミネートされた広告が貼られていた。隣には柚子が三、四個セットで並べられている。


「そういえば今日は冬至でしたね」
「ニホンでは冬至になると南瓜を食べて湯舟に柚子を浮かべるのが定番…なのでしょうか?」
「そうですね…何でか理由は知らないですけど」


南瓜の方は、多分体にいいとかそんなんだろう。日本の行事で食べ物を食べる時は大概体にいい、という理由が多い。
柚子湯も南瓜同様肌にいいとかそんな感じに違いない。
広告には小さな文字で何やら詳細が書かれていたので読み上げてみる。


「えー…今年は十九年に一度の新月と冬至が重なる“朔旦冬至”なのでとてもめでたい日とされています。めでたいらしいですよ。知らなかったな。オディナさんの所でも冬至の日は何かやってました?」
「…ええ、祭りなんかを。こちらの地方ですと、太陽は大切な…掛け替えのない象徴ですから。冬至当日、太陽が昇ってくるのを確認してから盛大に行われます」
「へー…」


だから気になったのかな。


「南瓜、食べますか」
「…え」
「きっと二人とも鍋だけじゃ足りないと思うし。デザート…とは言い難いですけど…小豆あるから、いとこ煮にして。ご飯食べたら柚子湯に入る流れで」
「……よろしいんですか?」
「一人暮らしだとこういう行事も疎かになってしまうんで…こういうのも良いでしょう。オディナさんが当時やってたお祭りみたいに騒げないのは申し訳ないですけど──」
「とんでもありません!郷に入れば郷に従え。ニホンのしきたりに沿って過ごさせて頂きます!」


ぽいぽいと南瓜と柚子をカゴに投げ込んだオディナさんは「柚子湯が楽しみです」と顔を綻ばせた。確かに、柚子湯は気になる。ただ柚子を湯船に浮かせるだけの風呂なんだろうが、匂いとか、あと柚子が浮いているというだけで気持ちも変わるだろう。衛宮邸でお世話になっていた頃は、衛宮と二人でいとこ煮を作ったぐらいだったから何だか新鮮である。



***





精算を終え、店内から出てきた私を迎えたのは凍りつくような北風だった。
思わず縮こまる私に、輝く貌の槍兵はコートをお貸ししましょうかと申し出たが、即行で首を横に振る。多分オディナさんのコートの下は薄いワイシャツだ。そんな寒い格好を──例えサーヴァントが温度に左右されないつくりになっているとしても──させるわけにはいかない。

割と重いであろう荷物を難なく持ったオディナさんは「寒いですね」と私に笑いかけた。少し暖かかった所から急に冷えた所に出た所為か、そのサングラスは白く曇っている。そして頬が少し赤い。


「サーヴァントは気温に左右されないつくりではなかったんですか?」
「ああ、戦いにおいては、ですよ。俺の場合、基本的に戦闘以外では人間の体感温度とほとんど変わりないつくりに切り替えてます。余程寒ければ一時的に関係なくなるようにはしますが……他のサーヴァントがどうしているかは知りません」
「寒いなら切り替えちゃえばいいのに」
「そんな。俺が一人だけそうするわけには参りません。何故なら…」


荷物を持っていない方の手が伸ばされ、私の頬を撫でる。あの時は氷のように冷たかった手は、今はとても温かい。


「主が寒がっていますから」
「…別にいいのに」
「そんな。寒さを共有することが出来て楽しいですよ、俺は。…寒いのでしたら、お手を……」


頬から手が離れる。そして手袋も何もしていない私の左手を握ると、オディナさんは自身のコートのポケットの中へと手を突っ込んだ。
これも買い物カゴ同様、流れるようなスムーズな動作であった為、止めることが出来なかった。ポケットにカイロあるんで大丈夫です、と言う雰囲気でもなかった。オディナさんを見つめていた女性陣の視線が痛い。鋭い殺気は感じ取れるくせに、こういう湿った殺意は感じ取れないらしい。

視界の端に映ったあの人は、近所のアパートに住んでいる人だ。以前オディナさんに猛烈アタックをかまして断られていた女の人。誤解されてしまっただろうか。

…夜道に後ろから刺されないよう、気を付かなくてはいけないかもしれない。



「右手が凍瘡にならない内に戻りましょうか。…英雄王も首を長くしていることでしょう…どうかされましたか?」
「……いえ。ギルガメッシュさんに怒られたら面倒だなと。だいぶ時間かかっちゃったし」
「その時は俺がお守りします!」
「…お願いします」


……今の状況からも守って欲しいんだけど。まあいい。自分の身は自分で守るとしよう。

此処から早く去りたかったので、ギルガメッシュさんに怒られないことを名目に早足気味で帰っている途中、何かに気付いたらしいオディナさんが立ち止まった。