羊飼いの憂鬱-another | ナノ
半ば勢いで出てきたものの、特に行き先は決めていなかった。ギルガメッシュは苛立ちをそのままに、道の真ん中を堂々と歩きながらその辺に転がる石ころを蹴り飛ばす。石ころは静かに転がっていくと、排水溝にぽとりと落ちていった。
石の一つや二つ蹴ったところで何かが変わるわけでもないのだ。

名前とディルムッドの関係はもちろん、名前と自分の関係も。

そう分かっていても尚、彼は自身の心に溜まる「焦燥や悋気、寂寞が混ぜこぜになった名の付けたくない感情」が、蹴った拍子に何処かに消えてくれるのを無意識に願わずにはいられなかった。


楽しそうな顔でホットケーキ作りに勤しむ二人の顔が脳裏に過ぎり、古来の王は微かに顔を歪める。あのような(個人的に)腐敗している(と思っている)雰囲気を味わうくらいならば、夜の住人になる方がよっぽどマシだ。そう思った彼は、ほとんど目的も決めぬまま街の方へ歩き始めた。




***




太陽に沈む気配など欠片もない。こんな八つ時を少し過ぎた時間では、夜の蝶もゆっくりと羽を休ませているだろう。
庶民王は冬木で一番大きなショッピングモールとされるヴェルデに入り、ゲーセンをうろつき、食品売り場で惣菜を眺めたりと庶民らしい時間の潰し方をしていた。今日は何時頃に半額の値引きシールが貼られるのだろうとぼんやり考えて、現在の拠点としているアパートに居る臣下のことを思い出せば大きく舌打ちをかます。
他のことを考えようにも、あの無気力臣下といる時間が多い所為で奴を連想させるものが至る所にあるのだ。ふとしたことで思い出し、苛立ちを募らすのは仕方のないことかもしれない。

ギルガメッシュの端正な顔の造りに惹かれていた数人の主婦がびくりと肩を震わせる中、そんな雑種に興味のない唯我独尊の塊は目もくれずに食品売り場を出るとそのまま店の扉を開いた。






「…から…!…して、…」
「……だと………は、…ッ!」



「───……?」




店を出て少し歩き出したところで覚えのある声が幾つか聞こえ、思わず立ち止まる。気配を辿れば、自らと同じ英霊のものであることが分かった。しかも、その内の一つは溺愛に溺愛を重ねる女のものだ。彼はすくすくと芽生えてきた好奇心を摘み取るなどということはせず、苛々とした感情も少し引っ込ませるとその者達がいるであろう場所──多分、この近くにある広場だ──へと歩を進めることにした。





「その玩具…虎聖杯があるからアホみたいなお手軽ワクワク聖杯戦争が起こるんだ!私が破壊する!三分クッキング感覚で聖杯戦争が起こるのはもううんざりだ!」
「これはッ…これは私がシロウと二人きりで過ごす為には必須とされる物!そんなことはさせない!」
「ハァ〜?何言ってるのよ。これは私と宗一郎様のイチャイチャラブラブ生活を更にグレードアップさせるものよ!二人とも家に帰っておねんねでもなさい!」



一般人から見ればコスプレかと勘違いされそうな奇抜な格好に身を包んだ男一人と女が二人。
三人の並々ならぬ迫力とオーラによって、この時間ならばわんさかいるであろう子供の姿が見えない。
(人目なんて既になくなってしまったが)人目も憚らず、広場のど真ん中で輪になり押し問答を繰り広げている様子は益々ギルガメッシュの興味を引いた。


虎聖杯、(ワクワク)聖杯戦争。


このワードで導かれることは一つである。



(──あるのか、虎聖杯が!)


武器を片手に言い争う三人の様子を見、にやつく口元を隠そうともせずギルガメッシュは大股で子供達の遊び場を占拠している者達に近寄った。


「雑種が三人集まっても文殊の知恵など浮かばんぞ!」


バァーン!と効果音が似合いそうな仁王立ちのポーズと共に前に現れれば、三人は王気の漂う男に視線を送り、そしてピシリと固まった。




「っ…英雄王!何故貴方が此処に!貴方がいることで更に事態が拗れ、悪化することは分かっているので帰ってください」


一番はじめに硬直が解けたのはこの中で最も彼から被害を被っている暴食王ならぬ騎士王セイバーであった。彼女は直ぐさま暴君に帰宅を促すと、それに続いて「そーよそーよ!この場にジャイアンは不要よ!」「…英雄王、貴様の相手をしている暇はない!帰れ!」と声が上がる。


言葉は異なりつつも、総じて「帰れ」という意見は全員一致していた。こうも美男美女に退場を促されると帰りたくのが道理であるが、ギルガメッシュという男は残念ながら道理も常識も遥か昔から持ち合わせてなどいなかった。「何故我が帰らねばならない」と言わんばかりに鼻を鳴らせば、品の悪い笑みを引っ込ませる。それから一言、「虎聖杯は何処にある」と何を考えているのかは窺い知ることの出来ない表情で三人に尋ねた。その体からは肌を突き刺すような殺気が若干漂いつつある。



「……はぁ…お前もあの下らん聖杯を狙う気か…残念だが、何処にあると問われて答える莫迦は此処にはいない」
「この葛木メディア、アンタなんかに宗一郎様との幸せを邪魔されるわけにはいかないわ!」

「……雑種が揃いも揃って喧しい。そもそもあの道化が創り出した聖杯だろうがなんだろうが、この世の物はすべて我のものだ!」
「このジャイアニストめ…っ!……まったく…名前が貴様に愛想を尽かさないのか不思議でならないな…」
「…………」

「……?」



アーチャーとキャスター、二人の英霊が庶民王を威嚇する中、同じく王の立場に立つ女は少々違和感を覚えた。

アーチャーが「名前」の名を出した時、僅かにたじろいだような。ほんの一瞬のことだっので、断言は出来なかったが。
いつもは──自惚れというわけではないが──もっと「我が」「我は」「我!」「我!!」と煩いし、ジャイアニズムをこれでもかという程に垣間見せ、一言で表すならば「ウザい」筈だ。


それなのに、目の前の男はどうだろう。不敵に浮かべる笑みも何処に、どこかふて腐れているような。普段の姿だといえばそうなのだが、何処かが、何かが違うように見えて仕方がない。


「英雄王、貴方──」


微かに感じる違和感を解消するべく、騎士王は口を開く。



…が、彼女が男へ声を掛けるその前に、目映ゆい黄金の光と共に大きな衝撃が脳天を襲った。それは彼女以外の二人にもそれぞれ加減のない衝撃が与えられる。

あっという間の出来事だった。

三人は成す術もなく、呆気なく虎聖杯を得る権利を失ってしまったのである。


「ふん、所詮雑種は雑種だな」



三人の脳天を直撃させた得物を拾い上げたギルガメッシュは、改めてその得物をしげしげと眺めた。その表情は、先程までは消えていた笑みがうっすらと浮かんでいた。使い方によっては凶器になりうるハンマーを模した形状ではあるが、本物のハンマーとは違ってプラスチックで出来ている為に殺傷性はない。黄色と赤というシンプルな色合いは殺人の「さ」の字とも結び付かない。「よい子のみんなが安全に叩ける」「ハリセンに替わる玩具」をコンセプトとして製造された玩具──ピコピコハンマーは、どうやら彼の御眼鏡に適ったらしい。
ゲームの影響に違いないだろうピコピコハンマーを宝物庫に仕舞い込むと、彼はきょろきょろと辺りを見回した。目当てのもの──虎聖杯は何処か異空間にでもあるのかと思われたが、案外それは簡単に見付かった。
伸びている三人から少し離れた所で何故か丸焦げになっているランサーがアメフト選手の如く大事そうに両手で抱えていたのである。無残な姿の英雄を足で転がし、ギルガメッシュは虎聖杯を片手で持ち上げた。




「…………」




どんな願いでも叶えることが出来るまでになってしまった虎聖杯。これがあれば望むものは何だって手に入るし、何だって消すことも可能だ。


(自分のことは棚に上げ)我が物顔でアパートに居座るディルムッドが頭に浮かぶ。顔を顰めた庶民王は虎聖杯に願いを叶えてもらうべく、その薄い唇を開くと静かに願望をこぼした。