右心室と汚い揶揄 | ナノ

ソフィアリ家といえば有名な御貴族様だし兄妹揃ってなかなか良い素質を持っていると聞くよ。…だから君の魔貌に魅了されたりなんて有り得ないと思っていたんだが…。


ナマエは俺の顔を一瞥し、へらりと腑抜けた笑顔を見せた。気の入らない笑みの中には今までこの呪いと共に生きていた俺に対する同情が含まれている。

飛行機は何事もなく無事に日本──冬木に着陸し、車で移動すること数時間。太陽も西に沈んだ頃。ケイネス殿が工房をつくる為に借りた冬木ハイアット・ホテルの一室、ナマエが持ってきた荷物を整理しているところを邪魔してソラウ様のことを話せば、彼女は「やっぱりか」と特に慌てふためくこともなくすんなりと納得した。

「美丈夫も大変だな。心中お察しするよ」
「………」
「気にするなよ。私とランサーの仲じゃないか…と言っても出会って間もない奴に言われても反応に困るかな?」
「いや…そう言ってくれる方が助かる」
「そうか」

ケイネス殿との間があまり上手くまわらない今、ナマエの明るい態度には少なからず助けられていることは確かだ。

ナマエはトランクから幾つか大きな電子機器を取り出し、ヘッドフォンのコードを接続しながらそれをかけるとチューナーを少しずついじくり始めた。その顔はとても真剣だ。何をやっているのか俺にはさっぱりだが、機械に疎いであろうケイネス殿の代わりにナマエが機械いじりに一役買っているのだろう。

「…冬木はご当地ラジオがあるからいち早く情報が入ってくる。いつでも聴けるようにするにこしたことはないからな」
「ナマエは冬木の地に住んでいたのか?」
「一時の間だけだけどね。なかなか住みやすかったよ…明日は探索にでも行こうかな。所々変わっているようだし」
「…俺も主に冬木の地を頭に叩き込むよう言われている」
「私はまだ何も指示されていないなぁ…」

その時、部屋の向こうからソラウ様の俺を呼ぶ声が聞こえてきた。フロア全体を貸し切っている為に何処にいるのか分からないのか、歩きながら小さく俺の名を繰り返し呼んでいる。ナマエを振り返れば、少し苦笑を浮かばせながらトランクをベッドの近くに置いて「行ってきなよ」と俺にしか聞こえない声で囁いた。

「ここで私と二人でいるところを彼女に悟られたら色々面倒だ。君は先に行け。私は少し部屋に篭ってからケイネス先生に指示を仰ぐとするよ。霊体化して出ていってくれ」
「……すまない」

彼女は俺に邪気のない笑顔を見せてから携帯に触り始める。
ナマエは淡泊な女だ。淡泊ではあるが、ほとんどの女から意味の含まれた視線しか向けられていた俺にとって、ナマエは奇異な女であり、そして居心地の良さを感じさせてくれる女だった。こんな短期間で心を許せてしまうくらい、彼女はヒトを引き寄せる力を持っているのだ。
間違いなく、俺はナマエという人間に惹かれている。
それは、女を魅力する呪いを持つ俺とはまた違う呪いに似た何かというべきか。

霊体化し、暫くナマエの後ろ姿を眺めていたがいつまでもこうしているわけにはいかないだろう。扉をすり抜けてソラウ様の目の前に現れると、彼女は頬を染めて一度俺の真名を呼ぶ。欲の篭められたその瞳より、ナマエの親愛に満ちた瞳を見ていたいと、そう思ってしまう。

「ディナーの時間よ、ランサー」

人間が最も警戒を欠く時間は、三大欲求を満たしている時間以外に他ならない。ソラウ様の言葉に無言で頷き、今まで一緒に居なかったとでもいうように、白々しくナマエのいる部屋のドアを数度叩く。そうすると少し経ってからナマエのわざとらしい返事が聞こえてきた。

「食事の時間らしい」
「んん、そうか。……先に行っててくれ。場所は何処だ?」
「場所はどこですか?」
「……九〇七号室よ」
「九〇七だ」
「了解した。すぐに行くよ」

「彼女もそう言っていることだし、先に行きましょう」
「…わかりました」

ソラウ様の笑顔の後に待っているのはケイネス殿の仏頂面だ。遅れて来ると言ったナマエはその場の雰囲気を感じ取ると再び二人に隠れて腹部を押さえるのだろうか。