右心室と汚い揶揄 | ナノ
イギリスから戦争が始まる冬木の地へと発つ当日、ナマエはトランクを両手で抱えて待ち合わせ場所である時計塔の前に現れた。俺は毎度お馴染み霊体のまま主の後ろで控えさせていただいている。ケイネス殿の隣に立っていたソラウ様は動物か何かを観察するようにナマエを眺めるとケイネス殿の方を振り返り、ナマエのことを尋ねる。どうやら何も聞かされてはいなかったようだ。ケイネス殿はナマエに自己紹介するよう促すと、彼女は素を覆い隠した口調で至極丁寧にソラウ様に挨拶をした。…彼女の素を知っている俺としてはちぐはぐさを感じる光景である。

「彼女は私の補佐として共に行動してもらうことになっている」
「…確かに姓は聞いたことがあるわ。そして今はだいぶ落ちぶれてしまっていることもね。ケイネス、貴方こんな子供に頼らなければならない程自身の実力に自信を持っていなかったわけ?アーチボルト家の後継者ともあろう人間が心外だわ」
「…そういう訳では…ただ彼女には一流で活躍する魔術師を凌ぐ程度の能力を身につけているから利用したまでだ」
「…私はアーチボルト先生が扱うヒト型の魔術礼装のようなものですので、ソラウ様、どうか私のことはお構いなく」


「…………ふうん…精々ランサーの足を引っ張らないことね。ケイネス、車の準備はできているわ。早く行きしょう」
「…分かっている」

ナマエにそう言い放つソラウ様の瞳はいつになく冷たさが秘められていた。ぎすぎすとした空気が辺りに漂う。少し遠くに見える車に向かって歩き出す二人の後を続きながら、少し離れて歩くナマエに目を向けると、彼女はぼんやりと二人の背中を眺めたのち、軽く溜息をつく。それから小さく低い声で俺のクラス名を二、三度呼んだ。ナマエの傍に寄らずとも人間離れした聴覚から彼女が何を喋っているかは理解出来る。

「なあランサー、いるんだろ?彼女は何故あんなにも私に攻撃的なのだろうね。私が何をしたっていうんだ…」

口を尖らせる彼女は不満げな様子だ。ソラウ様が本来併せ持つ高慢さと、それに俺の黒子の魔力による魅了が加算された所為に違いない。ナマエには悪いことをしてしまっていると思う。こうなれば一昨日の内に大まかにでも説明すべきだったかもしれない。ナマエは運転手に荷物を手渡すとケイネス殿に言われて助手席の方に乗り込んだ。全員が乗り込み、車が走り出すも車内は誰も言葉を発することはなく、重苦しい沈黙が全てを支配している。


これから何日間もこのような沈黙と沈黙が混ざり合い殺伐とした空気の中で生活を送るのだ。

ナマエはげっそりと窶れた表情で、腹部に手を添えた。