Fate | ナノ
「……魔力」
「え…っと…」
「最近、カルデア以外の魔力が化け狐(タマモキャット)に溜まっていたのは“これ”の所為か。そうか、道理で……」
「?──あっ!」


どういうことだ…どういうことだ…と疑問符を浮かべていると、次の瞬間焼き立てのホットパンケーキが乗せられた皿ごと、私の掌から消え去っていた。その代わり、バーサーカーの方のクー・フーリンの口が動いている。もぐもぐと擬音が付きそうなその動かし方は、言うまでもなく私が作り、タマモキャットがトッピングしたホットパンケーキを咀嚼している動きだった。


“あの”バーサーカーが。
食事など不要、戦いが全てだと主張するバーサーカーのクー・フーリンが。
食べ物を、しかも女子が好むスイーツを食べている。あのアイスが。ソースが、クリームが。彼の鋭利な歯によって蹂躙されていく。

マスターと女王メイヴが見たら卒倒しそうなその光景に私は思わず視線を逸らした。

…………これを目にしてはいけない。
なんだか、見てはいけないものを見ている気がしているから。


仏頂面で咀嚼を続け、ごくりと音を立てて嚥下した彼は、持っている皿をその辺に捨てるように落とすと──瀬戸物が割れるとびきり良い音が響いたがまるで気にしていない──口元についたクリームを拭う。口端にイチゴソースが付いていたが、指摘する程の勇気はない。一通り咀嚼を終え、嚥下した狂王は顔を顰めると一言「くどい」と呟いた。


「甘過ぎる。どうして女共がこんなモンに群がるのか、理解に苦しむ」
「……す、すいません…」



甘いか否かは見れば分かることなのだから、食べなければよかったのでは?!などと言ってはいけない。私の心臓が抉り取られてしまう。
とりあえずここはそうは思っておらずとも、謝っておくに限る。謝罪を聞いているのか、いないのか。彼は「だが」と言葉を続けた。


「魔力の質は悪くねえ。腹に溜まる味だ。この程度だとマスターとしての適正さえあれば──」


「アタシのホットパンケーキ」
「──ああ?」
「タ、タマモキャット……」
「ナマエが作り、アタシが仕上げたホットパンケーキ……」


狂王の後ろには、奴がいた。
耳も尻尾も、元気がなさそうにへなへなと垂れ落ちている。眉を八の字に下げて涙目の彼女は、無惨に割れ落ちた皿を見下ろした。それから私に救いを求めるかのように視線を送ってきたが、生憎蜂蜜も木苺もタマモキャットが調達してくれた物だ。私が奮発して作った山のように盛り上がっていたホイップクリームは、残念ながら殆ど残っていない。
「あの豪華版を作り直すのは無理ですよ」という意味で首を振れば、とうとう彼女の金色の瞳から真珠のような涙がぽろぽろとこぼれ落ち始めた。


「ナマエと食べるホットパンケーキ……美味しかったら四口、五口だけでもマスターにお裾分けするつもりが……」
「そんなこと考えてたんですか…」

言ってくれればマスターにあげる分くらい取り分けておいたのに。


「クー・フーリン亜種に獲物を奪われた…!これはキャットの玉藻地獄を見せるしかあるまい。食い物を奪う罪は重い物だ。命を投げ出す覚悟はいいか?アタシは出来てる」
「そんな甘っちょろい覚悟は元より出来てる。出来ていねえのに戦場に立つなど愚か者のすることだろう。貴様のような輩と戦ることになるとは思わなかったが、女とて容赦はしない」


わー……わー…………。

完全に殺る気だ。たかがホットパンケーキでこんな事態にまで発展するとは誰が想像出来ただろう。

まずい。非常にまずい。事の発端が私の夜食作りなので流れ的に夜食を作っていたことも偽造工作をしていたこともエミヤにはバレてしまうだろうが、背に腹はかえられない。

両者が睨み合ったまま一歩も動かない様子を見ながら、苦労していたもののダ・ヴィンチちゃんの召喚により、あっさり完成してしまった魔術回路式インカムへと手を触れる。

「もしもしダ・ヴィンチちゃん」
『はいはい。こんばんは、ナマエ。君が深夜に連絡をしてくるのは珍しいね?何かあった?ロマニはー?』
「人間では対処できないので、至急食堂前の廊下へバーサーカー二騎を確実に止められるサーヴァントの手配を要請します」
『はーい了解』

特に追及されることなく了承してくれる辺り、「ああ、いつものか」と察したのだろう。ダ・ヴィンチちゃんの柔軟な対応に感謝しつつ、これ以上騒ぎが大きくなると真っ先に来るであろう人物が頭に浮かんだ。名指しでの指名はしなかったが、食堂付近での騒動とあればそこを取り仕切っているサーヴァントを手配するだろうことは今までのパターンから考えずとも分かる。
このまま赤い弓兵にちくちく小言攻撃を受けるルートへ突入するのも時間の問題だったが、出来ることならそれは避けたい。私にとってあの人の小言攻撃はデッドエンドルートよりも悪いバッドエンドルートだ。


「戦うならシュミレーター室の所でやって下さいね、此処で何かあったらあの厨房の赤鬼が──ああああぁぁぁぁッッ??!」



とりあえず食料庫の方に隠れて、騒動がある程度収束しそうになったらどさくさに紛れて出てこよう。気配隠しの魔術も何重に掛ければ多少なりとも誤魔化しは効く筈だ。

良し、と意気込み食堂の方へ一歩踏み出した瞬間、タマモキャットが文字通り吹っ飛んできた。ぽーん、とボールでも投げるが如く飛ばされた彼女は思い切り壁に叩き付けられる。その衝撃で食堂と廊下を隔てる壁はみしみしと嫌な音を立て、耐え切れずに一部が崩壊していく。
それだけの被害で収まってくれれば良かったものの、狂王は一切手加減をしなかったのかタマモキャットは更に奥へ、厨房へと吹っ飛んでいった。
あろう事か狙ったように、彼女が手際よく片付けたであろう調理器具が積まれた場所へ突っ込んで行く。器具同士がぶつかり、けたたましい音が周囲に響き渡った。食堂も厨房も滅茶苦茶だ。


その音といったら、“彼”を召喚するには充分すぎる程の音量だろう。最早、時間の問題だった。

タマモキャットはむくりと起き上がり、頭の上へと上手い具合に乗ったボウルをその辺にぶん投げるとオルタの方のクー・フーリンの方へと向かっていく。
それと同時、遠くから物凄い勢いでこちらに向かってくる魔力反応が感じられた。


やばい、やばい。絶対怒られる。


いや、別にそんな悪いことしてないけど。そもそも夜にホットパンケーキ作ってるだけで小言をぐちぐち言われる理由も分からないが、とにかく此処にずっと居れば私も絶対怒られることは確かだ。


奴が此処に辿り着くまでの僅かな時間の中、食堂の隅っこに身を潜める。とにかく死角になることが大事なのだ。私はこんな時間からお説教を受ける気などさらさらない。

そうこうしている内に、タマモキャットとオルタの方のクー・フーリンによる激しい戦闘音の中、一際大きな怒声が聞こえた。確認しなくても分かる。分かってしまう。


……赤い外套を纏った方のエミヤだ。



「何をやっているんだ貴様等!!公共の場での私闘は禁止だと十三の掟にもあっただろう!」
「知るか」
「下がれエミヤ!このキャット、大好きなマスターが作った掟を破ってでも戦わねばならない理由があるのだ!横槍はよくないゾ!弓兵のくせに剣も槍も使うとは何事だ!雑種サーヴァントか貴様!」
「横槍を入れたつもりはないが?……ええい、君も黙ってないで止めに入らないか!」
「あー、もー、うるせーな。人がいーい気持ちで寝てるとこ起こされちゃあ止める気も起きねえよ。ほらオルタのオレ!この口うるせえアーチャーがうっせーからさっさと部屋戻るぞ!!何してんだオメー。食堂に来るの珍しくねえ?…っつーかその魔力──」
「貴様には関係ない」
「……はいはい、そうかい。ほら帰んぞ。今ならマスターも心臓集めだけにしてくれるって言ってたぜ」
「…………チッ」
「逃げるのか、狂王!敵前逃亡とは随分と──むぐ」
「君は少し黙っていてくれ」


止めに来たもう一騎のサーヴァントはランサーの方のクー・フーリンらしい。クー・フーリンズが出て行く足音が聞こえる。あっという間に鎮静化した様子に、ほっと肩を撫で下ろした。
後はエミヤが退場してくれると丸く収まる。そのタマモキャットを連れてマスターの所に連行してくれさえすれば、「なんか物音聞こえてから来てみたら凄い惨状だったんで修復作業やってました」とか何とか理由を付けて此処に来た振りをすればいい。

バレなければどうということはない。バレなければ。


「──そしてなまえ、一体君もこんな時間に何をしているのかね」
「え」
「ナマエ、アタシを置いて隠れるとは少し狡い!だが生きる上で多少なりとも狡くなることは大事だ。うんうん」


恐る恐る後ろを振り返る。そこにはアーチャー・エミヤと首根っこを掴まれたタマモキャットが私を見ていた。エミヤの方は、シンクに重ねている調理器具へと目をやり軽く溜息を吐いて、呆れた視線を私に戻す。


「その気配隠しの魔術、焦ったようだな。完全に完成されていないぞ」
「げ……」
「そしてまた夜食作りか?あれだけやめろと言ったのにも関わらず……君も学ばないな」
「あーもー、相変わらず煩いなあ!私が太ろうがモテカワスリムになろうがエミヤさんには一ミリも関係無くないですか?!」
「そうだぞエミヤ。女子の体型を口にする男は風上にも置けない。お前とよくいがみ合う光の御子だってナマエにセクハラ発言こそすれど、そのようなガミガミ小言は言わない。な、ナマエ」
「ええ、まあ」


話が拗れそうなので、前に私に対してセクハラ働こうとして大火傷負ったことはありますけどね、とは言わないでおいた。

白い目で見る私とタマモキャットに観念したのか、エミヤは二対一で不利な立場にある自分の失態を嘆くかのような溜息を吐いて両手を上げながらタマモキャットを解放する。自由の身となった彼女は、自慢の肉球を上手く使い見事な着地をしてのけた。


「デリカシナシヤは放っておいてだな。ナマエ。アタシはナマエの魔力が含まれたおやつが欲しい!今からでも遅くはなかろう。よし作るぞ!まだ何枚か焼けるくらいの素は残っていることをキャットは知っている」


こんな時間からまた一からやり直すのか?とも思ったものの、狂王に食べられたくらいで泣いてしまう程楽しみにしてくれていたキャットに「今日はもうやめません?」と言える程、私は冷酷な人間ではない。
作るぞ、作るぞ、と肉球を押し付けてくるタマモキャットの頭を優しくぽんぽんと叩いて撫で上げてやる。
そうすると彼女は良い返事と取ったのか小さく喉を鳴らした。

……可愛い。とても可愛い。

一夜にしてこんなにもタマモキャットに対するイメージが覆るとは、タマモナイン恐るべし。


「作りますかー……なーんか無かったかな、トッピング……バナナ一本あれば砂糖まぶせば形にはなりそうですけど……っていうかタマモキャットさん、猫型のやつ一枚だけ別にしてませんでした?あれは無事ですか?」
「おうさ。辛うじて無事だ!だがあれだけで満足するような安いネコだと思われるのは癪だワン!作るぞ作るぞ!夢はでっかく聖杯島!夜はまだ始まったばかり!」

「…………コホン」


わいわいと盛り上がり始める私とタマモキャットの話を折るかのように、わざとらしい咳払いが一つ。

思わずジト目で咳払いをした張本人を見上げれば、無言の圧力に幾分か彼はたじろいだ。それに追い打ちをかけるようにタマモキャットが口を開く。

「まだ居たのか?クー・フーリンズも帰ったのだし、さっさとデリカシナシヤも帰るがよい。正直言って、邪魔だぞ」


「……あ、甘いパンケーキには……」
「?」
「美味い飲み物が必要だと、思わないかね」
「……と、言いますと」
「……紅茶を淹れよう、と言っているのだが?」


私とタマモキャットから視線を逸らしつつ僅かに頬を染め、気まずそうにしながらも提案を物申す弓兵に思わずタマモキャットと目を合わせる。わざわざ私に近付き「知っているかナマエ、あやつの心は硝子なのだぞ」とひそひそ耳打ちをしてくる間、彼は目の前で内緒話などするなと言わんばかりに先ほどの表情からは一転し、眉間に皺を寄せていた。これのどこが心は硝子なのか。防弾硝子の間違いじゃないのか。

硝子談議は後にしておくとして。
──折角の申し出だ。しかも相手は紅茶を淹れる達人ときた。

これはもう、答えなんて決まっている。



「……それじゃあお願いします。ロイヤルミルクティーで」
「アタシはぬるめのミルクを所望する。人肌より少しぬるめだ!」
「了解した」

注文すれば、そんな眉間も皺も瞬く間に消え去り、彼は顔を綻ばせて控え目の笑顔を浮かべた。タマモキャット同様扱いやすいのか、扱いづらいのか。何とも言い難いが、それはさておき。


こうして突発的に始まることとなったささやかな夜のティータイムは、今後定期的に行われることとなる。


塩素にひたした脳にはケーキがいい
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