Fate | ナノ
厨房から、私の部屋までの道のりは少しだけ遠い。
なるべく物音を立てないように気を付けつつ忍び足で、そして美しく完璧にトッピングされたホットパンケーキを崩すことがないように細心の注意を払いながら歩を進める。明かりは点いているものの、夜間故に省エネモードに切り替えられている廊下は少し薄暗く、そして歩きづらい。
少し歩いて、立ち止まり、無意識に止めていた息を深く吐き出す。それを繰り返すから、殆ど距離も出発地点である食堂から進んでいない。
一刻も早く暗闇に目を慣らさなければと何度か瞬きを繰り返し、そろそろと足を動かした。
そもそも、生身の人間である私よりも人間の何倍も力と魔力があり、格段も上の存在のサーヴァントであるタマモキャットの方にパンケーキの運搬を頼んだ方が良かったのではと、今更ながら気付く。夜目も効くだろう。
…猫だし。
「ワン」と鳴いたり、ニンジンが好きだと公言しているけれども。


のろのろと足を進め、突き当たりを右に曲がる。そして暫く歩いて、また突き当たりを左に曲がれば私の部屋だ。
あと少しで、この並々ならぬ緊張感からは解放され、私はキャットとこの夜中に食べるにはあまりにもボリューミーなホットパンケーキを食すことが出来るのだ。
仄かに香る蜂蜜と木苺の甘い匂いが鼻腔を擽り、思わず笑みを零れる。
私にスイーツを作って欲しいからと、種火集めのついでにせっせこ採集していたと言われては多少の我儘も許してしまうだろう。

今度、もしキャットが木苺を持ってきてくれるなら、次は何を作ろうか。
カレーを作った時に合わせる物として、苺のラッシーなんてどうだろう。あれは案外簡単に作れるのだ。
ああ、でも夜食にカレーは流石に重い。



──なんて、考えていた所為で気付かなかった。


「──おい」

「ッッ!!??」



後ろから声を掛けられ、思わず口から心臓が飛び出るかと思った。
反射的にびくりと肩が震え、体ごと飛び上がりたいのをホットパンケーキが乗せられた皿をぎゅっと握ることでどうにか耐える。
突如動悸が激しくなる体を落ち着かせようと深く呼吸を二度ほど繰り返し、油を切らし錆び付いたロボットの如く後ろを振り返る私はさぞ滑稽だったことだろう。


こんな至近距離に人が居たのに、気付くことが出来ないのも無理はない。


「邪魔だ。抉られたいのか」


──なんせ向こうは反転した歴戦の戦士なのだ。
気配を消すことなんて呼吸をするように容易いだろう。戦闘に関してはからっきしの私が気付けるわけがないのである。
フードから覗く血のように赤く鋭いその目は、つまらなさそうに私を捉えていた。苛立ちを表すかのように、海獣クリードを模した尻尾がゆるりと揺れる。
このカルデアきっての戦闘の主軸を担うバーサーカーであるクー・フーリン〔オルタ〕が私を見下ろしていた。

なんてとんでもないサーヴァントとエンカウントしてしまったのだろう。
普段は女王メイヴから逃れる為に霊体化して身を潜めあまり実体を現すことはないと言われている狂王と出くわすとは。
運が良いのか、悪いのか──恐らく…いや、絶対に後者なのだが──益々運搬係をタマモキャットに頼まなかった己の頭の回らなさを恨みつつ、一礼して謝罪を述べる。
私闘は、このカルデアでは御法度だ。
だが、幾らマスターがそう取り決めたからといって、全員が全員その決まり事を素直に聞いてくれるような良い子ちゃんだけではない。


特に、目の前にいるクー・フーリン〔オルタ〕なんか、アラフィフ紳士ことジェームズ・モリアーティとやることは違えど私闘をするしカルデアの備品もぶっ壊す。
騒動を起こす黒幕として暗躍する教授と比べれば多少は可愛いかもしれないが、備品の修理や壊れたシミュレータの回復を図る為に日々駆り出される私からしてみれば、やること成すことは教授のやらかしよりも勘弁して欲しい気持ちしかなかった。


「申し訳ありません。決して貴方の邪魔をするつもりはありませんでした。次は気を付けます。それでは失礼します」
「……待て」


……ま、待て?

いや私は待ちたくないんだけども。このまま小走りで私の部屋まで駆け抜けてしまいたいんだけども。
彼の言葉に内心「何故なぜ何故なぜ……」と疑問の言葉を浮かばせながら、彼の顔色をそっと窺う。爽やかに笑う槍の彼と外見は瓜二つだが、表情筋が死に絶え眉間に皺しか寄ることがデフォになっている目の前の狂った戦士の視線は、私が持っているスイーツに注がれていた。