Fate | ナノ
パンケーキとホットケーキに、明確な違いはないそうだ。

生地を円に広げ、適度に焼いて好きにトッピングするという過程はどちらも変わりない。
世間的には、大量のクリームに色々なフルーツを盛るのがパンケーキ。蜂蜜をかけてバターをちょんと置くのがホットケーキ、という認識があるようだが、店によってはパンケーキを頼むと蜂蜜とバターの組み合わせの物が出てきたりする所もある。
パンケーキとホットケーキを線引きし、境界線を作るにはどうすればよいのだろう。


牛乳と、卵、砂糖に小麦粉。それと数滴のバニラエッセンスを混ぜて出来た生地が焼かれていく様子を眺めながら、私はいつも何を作っているのだろうと考える。

深夜二時。
カルデアスタッフの夜勤組以外のスタッフは睡眠に身を費やしている時間だ。なので、廊下にも休憩室にも、日頃歩き回っているスタッフの姿は見当たらない。
睡眠を必要としないサーヴァントも「深夜零時以降は無闇矢鱈と活動しない」「問題を起こした場合は一週間心臓もしくは毒針集め」という、マスターが発令した『カルデアサーヴァント十三の掟』に従い、夜はそこそこに大人しくしている。サーヴァントによっては極力音を立てずに色々としでかしているのか、時折「私は○○をした悪いサーヴァントです」と書かれたホワイトボードを首に掛けながら廊下に正座をしている姿を見掛けることが時折見られるものの、基本的にはそう騒動も頻繁には起こらない。

そんなわけで、厨房には夜勤組ではないスタッフの私しかおらず。一人でこの無駄に広い食堂のキッチンを占拠しているというのも中々爽快であった。
ただ一つ杞憂なのは、キッチンの使用形跡を少しでも残すと、普段此処を厳しく取り締まっている赤い弓兵が小煩く「一体何を作った」だの「そんな高カロリーの物を作って…」「簡単な軽食くらい私が作ろう」「余計な物を使われては堪らないからな。料理をする際は私かブーディカに申告するように」と言ってくるので、完全犯罪を目論む殺人犯の如く、証拠隠滅を施さなければならないことだ。

私は時々、夜になると無性にパンケーキだかホットケーキだか、どちらの名前を付けて呼ぶべきか分からないが、まあ、それを食べたくなるのである。
別に誰にも迷惑はかけていない。
食材だって、元より私が自前に持っていた物だけで作っているわけだし、食べて太るのは私だけだ。夜食ほど甘美な誘惑はない。
夜食万歳。
ダイエットなんてクソ喰らえだ。

生地にぽつぽつと気泡が出てくれば、ひっくり返してもいいサインである。フライ返しを水に浸してから、慎重にひっくり返す。
うん、いい焼き加減だ。
店でよく見る感じの焼き加減だ。この戦いが終わったら小さな喫茶店でも開くべきではないだろうか。もしお店を出すなら、やはりホットケーキなのか、パンケーキであるのかメニュー名を付けなければならない。

無論、甘い匂いを漂わせるわけにはいかないので、換気扇は回している。念のため、料理を作る音も、換気扇で吸いきれなかった匂いも消えるように幾らか魔術は施してある。私以外に、この優雅な一時を邪魔されたくないからだ。何より、このかけがえない軽食の取り分を減らしたくはなかった。食い意地が張っていると思われたっていい。ケチだと言われてもいい。これは、世界を救う為に日々尽力している私へのささやかな褒美なのだから。




「甘い香り……それ即ち恋の香りなのだワン!」

「…………………」



……褒美、なのだから。


ひょっこりと壁から顔を出しているのは、狐の耳に尻尾、そして裸エプロンという危険極まりない格好をしているバーサーカーだった。しきりに鼻をひくつかせては、尻尾を左右に動かしている。

犬だ。狐なのに犬がいる。獣に食べさせる食べ物はないので、帰って欲しい。

「……また出たな」
「そうやってあからさまに嫌な顔されると、流石のアタシも傷付くのだな。これでもアタシはサブチーフだというのに…?」
「嫌ですよ!前にこうして来た時めちゃくちゃ食べ荒らして帰ったじゃないですか貴女…そこにサブチーフも何も関係ないです」
「ナマエの作るデザートにキャットあり、なのだ!」
「どうぞ、食料庫はそちらです」
「パンケーキが先か、ホットケーキが先か。ホットパンケーキ戦争の始まりだっ!」



ああ、もう。これだからバーサーカーは!

まるで話が通じていない。このバーサーカー──タマモキャットの場合は幾らか話が通じる場合と、そうでない場合の落差が激しく、一度言葉のキャッチボールが出来たかと思えば次の瞬間ドッジボールと化することが多々あるので、本当に話がしづらい。……かと思えば真面目なやり取りも出来たりするので、本当に難しい。

サーヴァントはどれも一癖二癖あるが、ある程度意思の疎通が図れればあまり問題はない。その中で、意思の疎通が元々図れそうにないバーサーカークラスが、私はあまり好きではなかった。まともに話せるバーサーカーなんて、現段階では数えられる程しかいない。その中で、話せるんだか話せないんだか微妙な線を辿るタマモキャットはどちらかといえば避けて通りたいサーヴァントだった。単純に言ってしまえば、苦手なのだ。

マスターは「お昼寝する時間を摂れば、特に問題はないし可愛いサーヴァントだよ」と言っていた。
だが、このバーサーカーが夜な夜な夜食を作る私を嗅ぎ付けては、魔術なんて関係ねえとばかりにやってくるこの犬なんだか猫なんだか狐なんだかよく分からないコイツの実態を知っているのだろうか?私の細やかな楽しみを奪うサーヴァントに可愛いも可愛くないもないのだ。


「貴女に差し上げるおやつはありません」
「!!」

……何故だ?と言いたげな顔は止めて欲しい。それから涙目になるのも止めて欲しい。虐めている気分になってしまう。


「どうしても駄目なのか………?キャットはナマエの作る甘くてふわふわしたおやつが大好物。ニンジンも大好物。どちらも食べると毛並みがアップしてしまう」
「貴女の毛並みがアップするのは種火食べた時だけでしょうが。ニンジン食ってて下さい。食料庫にありますよ」
「うう…駄目か。ナマエのスイーツを求めて三千里。野を越え山越え、槍を求める先導者の屍を越え、歴戦の戦士(バーサーカー)となったアタシに…得られるものは、虚無感か?」
「ちょっと待って今キャスターの方のクー・フーリンさんのこと言いました?屍って…」


また何かやらかして死んでるの?あのサーヴァント。


「その情報を知りたくば、この間違いなく美味なホットパンケーキと交換だっ!」
「ええぇええぇ……」


……キャスターの方のクー・フーリンさん死亡の件は、聞かなかったことにしよう。無視だ、無視無視。


キラキラと目を輝かせ、私が交換条件をのむのだと思い込んでいるらしいタマモキャットをそのままに、小さめの生地を焼いていく。片面を焼き終えた頃に、ようやく無視されたことを理解したらしい。彼女は異を唱えるようにぬいぐるみのような形態の手に付いている肉球を無言でぐいぐいと頬へ押し付けてきた。
どういった主張の仕方だ。


「ちょっと、危ない、危ない。火事起きたらどうするんですか。っていうか静かにして…」
「キャットと人肉の丸焼きが出来るのだな」
「そうじゃない」
「前の反省を踏まえたアタシは、禁断の甘い蜜と甘酸っぱい恋の果実を拵えて来たというのに……むう。やはり駄目なのだろうか」
「はい?」

タマモキャットは私から離れると、あろうことか突然自身の胸を下から上へ押し上げるような動作を繰り返し始めた。

一体何をやっているんだこのバーサーカーは?!

エプロンの上からでも分かる豊満な胸の形が変えられていく様子を眺めるわけにもいかず、かと止めに入れば、その立派なお胸に触れてしまいそうで怖い。「マスター、そこなスタッフがセクハラしてきたのである……」なんてうるうるお目々で告げ口されてしまえば、この閉鎖空間の中での私の立場が危うくなってしまう。


「ちょっと!!あの!そういうことはマスターの前でやっていただけますかー!ここは厨房!厨房でーす!聖域なる厨房でーす!」
「む、む……よいしょ」

私の抗議の声も何のその。谷間から小瓶、というには些か大きい瓶が出てきた。しかも二つ。一体全体どうやって入れていたのだろう。谷間の中は異空間に繋がっているとでもいうのか。
思わず胸を凝視する私を知ってか知らずか、にこにこと愛らしい笑みを浮かべたキャットは私に瓶を渡してきた。琥珀色の物体と、赤色の物体がそれぞれ入っているそれは、恐らく──

「蜂蜜と苺?」
「苺ではない。木苺だ。レイシフトした時に採ってきたのである」
「なんと」
「漲る野生が爆発すれば、お茶の子さいさい。臍ならぬ肉球で茶を沸かす。このような芸当は容易いナ!」
「いいなぁ、私もマスターみたいにレイシフト出来れば山菜摘みに行ったり魚釣りに行ったりするのに……」

長らく山菜の天ぷらとか食べてないし。
じゅわじゅわと揚げた熱々の紫蘇の天ぷら、こごみの天ぷら……めんつゆが少量かかった大根おろしに浸して食べようものなら──………それはそれは筆舌に尽くしがたい。
昔食べて以来縁がない天ぷらに思いを馳せていると、意識が向けられていないことに気付いたらしいバーサーカーはぐいぐいと両頬に瓶を押し付けてきた。長らく谷間に閉じこめていた為か、体温が移って気持ち生温かい。
タマモキャットがお胸で温めていた逸品ですよと黒髭氏に与えようものなら目は血走り鼻血を垂らして吹っ飛ぶことだろう。文字通り木っ端微塵になって座に還る。


「というわけで、キャットはナマエにこれを渡しホットパンケーキに彩りを加えるという功績を残すことで、ナマエのホットパンケーキを得る!うむ、win-winの関係というやつだ」
「うーん……」
「料理は勿論だが、トッピングも上手い方だぞ。アタシは」
「うーん……」
「………………ナマエのホットパンケーキが食べたく、種火集めの最中、特異点にて蜂蜜や木苺探しをしたキャットの苦労は徒労に終わる……?」
「うっ……」
「終わってしまうのか?」
「し、仕方ないなぁ……」
「やったッ!第三部完ッ!」

とんだ捻くれた返答をしたにも関わらず、タマモキャットは天真爛漫な笑顔でよく分からない喜びの声を上げた。第三部ってことは第一部と第二部が蜂蜜と木苺集めで、三部が私に物申す話になるのだろうか。……いや、今はそういう無意味な推測を立てている場合ではない。
そしてそろそろもう片面を焼き上がりそうだ。ひっくり返しながら「これだけ豪華なら他にも色々トッピングしてみますか」と声を掛ければ、彼女は頭の上にビックリマークを浮かべた……ように見えた。

「……!!盛りを更に盛るのか」
「クリームがね、何個かあった筈だから店並みにクリーム山盛りにしましょう」
「なんとなんとっ!!ねこまんまに高級キャットフードを乗せ、更にマタタビのふりかけも乗せてしまうような……禁忌の高カロリー世界に突入してしまうのかワン?!」


尻尾がはち切れんばかりにぶんぶんと動き、目は先程よりも輝きを増して私を見ていた。
…控え目に言って可愛い。
むず痒い気持ちに気付かない振りをしながら、一旦火を止める。大きな冷蔵庫の中の、奥の奥には私の名前が書かれたホイップクリームの素が三つ。

「クリームを生成するのはアタシがやるぞ。ふわとろでありながら舌に触れ甘い余韻を残しつつも溶けて消えていくクリームに震えるがよい!!」
「かき混ぜるの面倒ですからね。どうぞ」
「むっふっふ……キャットに任せよ!」

よく分からない奇妙なポーズを決めたタマモキャットは「ホットパンケーキのことは任せたぞ!」と私に念を押すと、慣れた手付きでかちゃかちゃとボウルや牛乳を用意し始めた。
そこには理性が失せたバーサーカーとしての姿は見えない。
バーサーカーであるナイチンゲール女史から天使の鉄拳を貰っている他のバーサーカーの姿を踏まえて見てみると、ただの猫耳と尻尾が生えて、多少頓珍漢でありつつも時折鋭い指摘を入れるだけの、他のクラスとそんなに変わらないサーヴァントなのだ。
よくよく話してみれば、狂化のランクが低い坂田金時とあまり差がない気もしないでもない。

今まで、バーサーカーだからとあまり深く話も聞かずに苦手だ嫌だと避けていた己の行いに羞恥と後悔を覚えながら、顔に熱が集まっていることが彼女にバレませんように、と願いつつ。
今までの非礼と、これから仲良く出来たらいいなという思いを込めて、猫の形のパンケーキを作るべく生地にお玉を沈めた。