Fate | ナノ
朝起きると隣で雨生龍之介が寝ていた。
それは別にいい。手に取る程の、問題にする程のことじゃない。この人間が私の家に不法侵入を繰り返すのは今に始まったことではない。そもそもこれは不法侵入ではない。雨生が部屋に入りやすいようわざわざ合鍵を作り、渡したのは紛れも無い私自身だ。合鍵を渡したのには理由が幾つか存在する。一つはアパートに住む住人に変な噂を立てられるのが嫌だから。見た所定職にも就かずに遊び歩いてそうな男──実際にそうなのだが──が大学の授業を終え、バイトをして帰ってくる私を日中から、下手すれば夜まで扉の前でしゃがみ込み待つ姿は異様としか言いようがなかった。あることないことを並び立てられ話の中心にされるのは何とも堪え難いことだった。要は私の体裁を取り繕う為だ。
そしてもう一つは、その間の雨生龍之介の姿を見ていたくないからである。バイト帰りで疲労の溜まった体を引きずりながら階段を上り、その先で見た扉の前でしゃがみ込む雨生龍之介の姿は何とも捨てられた犬のそのものだった。それから私の姿を確認した雨生龍之介が何とも輝かしい顔であったかは、私のボキャブラリーが貧困なお陰で上手く表現することが出来ないので各々想像していただくことを希望する。とりあえずまるで捨てられた子犬が通りすがりにふと目のあった人間を新しい主人だと勝手に思い込み、尻尾を振るような、そんな感じだ。
その顔は確かに母性本能を擽らせ、見るに飽きないものではあったが、長時間外で待たせるのは風邪を引かせてしまう可能性もあったし、そして何よりも上記の理由が私を鍵屋に足を運ばせたのだった。

少しばかり口を開けて寝息を立てて寝ている雨生を見ていて、ふと部屋が鉄臭いことに気付く。嫌な予感がするなと、無意識に歪む顔はそのままにして掛け布団を捲り上げれば血が滲んだシーツが。血塗れの服を着込んだ雨生は掛け布団を引っ剥がせられたのにも関わらず相も変わらずくうくうと寝ている。よく見れば髪の毛が血で少し固まっているではないか。怒りを通り越して呆れ返ってしまう。

これで何度目だ。

一際長い溜息をついて、ひたすら睡眠を貪る彼の肩を揺すり上げる。

「雨生、ちょっと。……おい、起きろ」
「……ん……みょうじ、おはよー…」
「おはよーじゃないから。前も言ったじゃん。血ぃ付いた服で布団入るのやめてくんない」
「あー、ごめんって。洗うから許してよ」

当然のことだろう、それは。そういう意味を含めて睨むと雨生は少したじろいで、そして罰が悪そうに小さく謝罪の言葉を口にする。視線はあちこちに飛ばして忙しない。朝っぱらから怒る気力も元気もない私は寝癖のついた髪を手で撫で付けながら彼にしっしと手を振る。

「謝るならさっさとシーツ持って風呂行って。ついでに頭も洗ってくれば。……その格好誰にも見られてないよね?」
「その辺は抜かりないから安心してくれていいよ」

血の所為で固まった髪の毛を触った雨生は大きな欠伸をしてから何か思い出したように私に顔を寄せてくる。その顔はどこか嬉しそうで、人懐こさが滲み出ていた。急にどうしたのだろうか。どうしたのか問うと元気の有り余る声で「誕生日なんだよ!」と返してきた。

「へえー…おめでとう」
「……へ?…そんだけ?軽くね?」
「軽いも何も…祝ったことに変わりはないでしょ」
「雨生龍之介という登場人物がこの物語に登場したんだよ?それって奇跡じゃん。すげーじゃん。もっと喜んでくれてもいいじゃん!」
「そうだね奇跡だね嬉しい嬉しい。だから早く風呂行って、シーツ洗ってきて」
「………はあ、みょうじって奇跡とか、神様とかまじで信じてないでしょ」
「神様がこのシーツを元の白いシーツに戻してくれんなら信じてもいいけど」


「みょうじに祝って欲しくて急いで来たのにさぁ…」

そうぼやいた雨生はシーツを両腕で巻き付けるようにかき抱くと拗ねた表情で浴室に向かっていく。若干空気が悪くなった気がする。今日はバイトもないし、受けなければならない講義も特にない。一日部屋に引きこもってレポートを片付ける予定だ。今までのパターンから雨生はきっと夜まで此処にいるだろう。今からこんな雰囲気では居心地が悪いなとすっかり眠気の消えた頭でそう判断した私は扉の向こうに消えかけた彼の名前を呼んだ。
くるりと振り返り私を見つめる雨生はどこかほんの微かな期待を含ませた瞳を私に向けていた。それに多少の呆れと愛らしさを感じながら立ち上がる。


財布の中身は数日前が給料日だった為に余裕があるのだ。

バースデーケーキを買いに行く程度には。


「……ケーキでも買いに行く?」


そう言えば雨生はあの純真な笑顔を浮かばせ、こくりと一度頷いた。

愛のある背骨
1/31 Happy Birthday Dear Ryunosuke!