Fate | ナノ
彼の名前を呼んでやれば、彼──ランサーはこちらに向かって駆けてくる私に笑顔を浮かべて、私の名前を呼んだ。彼の大きな手にはリールの付いていない釣竿が握り締められている。挨拶をしながらバケツを覗き込むと、そこにはまだ一匹の魚しかいなかった。

「今日は不調?」
「だな。こんなにお天道様も出てんのにツイてねえ」

まあ幸運Eだしね。
ランサーを怒らせる一言はきちんと心の中にしまい込んで、隣に座る。それに対してランサーは何も言わずに、ただじっと釣竿の先を見つめていた。潮風が頬を撫でていく。決して途切れることのない静かな波の音が聞こえる。そして隣にはランサーが。見た目が自由業を営んでいる方々にしか見えないお陰でここには私とランサーしかいない。一見開放的に見えるこの閉鎖的な空間が私はとても気に入っていた。空高く飛んでいる鴎の鳴き声を耳にしながらひざ小僧の上に腕をのせてどこまでも広がる海を見渡す。遠くの方には何隻か船が見えた。

「しっかしお嬢ちゃんも暇だねえ。オレ的には隣に華があって嬉しいことこの上ねーがお嬢ちゃんはやることないしつまんねーだろ。あの金ぴかに会いに行った方が楽しいと思うがな」
「こうやってぼうっとしながら過ごすのが好きだからいいの。王様と一緒にいたらそれが堪能出来ない」
「まーあいつはな…うん…」

二人で金色に輝く王様を思い浮かべ、顔を見合わせて乾いた笑い声を漏らす。あの人の隣にいると疲れるってレベルじゃないのは身をもって理解していた。

顔を見合わせたその時、ふとランサーの後ろ髪に目が惹かれた。深海より深い奥底を連想させるような青い髪は私が見てきたたどの青色よりも綺麗な色をしていると思う。
彼の隣から背中にまわり、何だ何だと疑問符を頭の上に浮かべる彼をそのままに、その綺麗な髪を手に収める。少々傷んでいるものの、肌色との配色が良い所為か、ますます綺麗に見えた。

「急にどうした?」
「綺麗だなと思って……突然ごめん」
「気にすんなよ。少しくすぐったかっただけだ。触っててもいいぜ。オレの髪で良かったらだけどな」
「ありがとう」

両手を使って解すように適度に髪の束を触ってから、他人の髪をいじるにあたって必ずやるであろう恒例行事を試みる。髪の感覚を通じて私が何をしてしているのか察したらしいランサーは「やめろって」と抵抗の声を上げた。

「いいじゃん、三つ編み」
「よかねーよ!解いた時にくにゃくにゃになんだろーが!…ったく…」

竿を掴んでいた両手の内の片方を三つ編みに結ばれている髪にのばし、ぐしゃぐしゃと乱雑に解される。ランサーの言った通り若干緩い波が立ってしまっていた。後ろ髪を手にとったランサーは小さな溜息をつく。

「男前が下がっちまったぜ」
「髪の毛で男の価値が決まるわけでもなし…年とれば大概男は皆ハゲるよ」
「やった張本人が言う科白じゃねーよそれ!…あとオレは人間じゃねーから年もとらねーしハゲねーの」
「人為的にならハゲるんだ。了解した」
「了解すんな!」

振り向きざまに頭に拳を入れられ、私は殴られた箇所を覆いながら考えた。少しひりひりと痛みはするものの、彼なりに手加減はしてくれたらしい。

ランサーが庶民的過ぎていて忘れていたが、彼は私とは同じに見えて異なる時間を歩んでいるのだ。彼は英霊だから、この世に留まる間は限られているし、留まっている間は年を食うこともない。私がどんどん婆さんになっていく過程をランサーは若い姿のままでそれを眺めるのだろう。…そんなにランサーが留まるとは思っていないけれど。


「……ランサーはいつまで現世に居られるの?」
「どうしたよ、急に」
「ちょっと気になって…」
「そうだなぁ…──っと」

その時彼の持つ竿がぐいっと海の方へ引っ張られる。ランサーは慌てることもなく両手で竿を掴み直すとぐいぐい竿を陸側の方へ引っ張った。そうすれば案外あっさりと魚が釣れる。赤い体を持つ大きなそれは誰がどう見ても大物と言える代物だろう。

「鯛なんて冬木で釣れたんだ」
「この辺結構色々いんぞ。……で、さっきの返事だけどよ。オレが消えるのなんてあの人使い悪ぃマスターにしか分かんねーから何とも言えねーわ」
「そっか」
「何だ、寂しいのか?」
「…そりゃあ、まあ、わりと」
「素直じゃねーなぁ。まあそういう所がカワイイんだけどよ」

無言で背中を殴ってやれば、ランサーは笑い声と共に「痛ェ!」と声を上げる。ランサーはいつも不意打ちでこういうことを言ってくるので困ってしまう。前に一度そのことを伝えると、その困っている様子を見ているのが面白いらしい。マスターの性悪なところが似てしまったのだ、多分。



「ふーん、そう」
「ああ。バゼットと良い勝負してると思うぜ。あいつ少し褒めたらすげー顔真っ赤に染めんだよ。それが面白くてなぁ…」



心の奥底から想っている女性がいるのに私や通りすがりの女の人に声をかけたりするところも、ランサーの悪い癖だ。

ランサーが海の方を見ているのをいいことに、熱くなった頬に風を送りながら口を開く。

「毎度思うけどさぁ、ほんとやめた方がいいって、そういうこと言うの」
「はぁ?何がだよ。オレは思ったことしか言ってねーぞ」

また一匹魚を(…今度は鯖だ)吊り上げながらランサーは言う。
ランサーは嘘を付かないのは出会った頃から分かっている。ランサーが私にくれる言葉が全部本物であることも、ちゃんと分かっている。だが、その偽りのない言葉で自らを恋愛対象として捉え見られていることは、何一つ知らない。

「ランサーは酷い奴だなぁ」
「何言ってんだ、お前。オレはいつでも男前のかっこいい男だろ」
「……そうだね」



無関心なくせして残酷な言葉を吐くお前が良い奴であってたまるものか。

悪意と少しの好意を込めて髪の毛を引っ張ると彼の情けない声が聞こえた。

どうしてもわたしを見てくれないね
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