Fate | ナノ
死体という死体が所狭しに散らばっていた用水路からボクらが住まう家の前に到着した途端、なまえはその場で吐いた。ボクが吐いていた時はこんな惨殺死体なんか余裕ですみたいな表情でボクの背中を撫でていたくせに。結局お前だって恐がってたんじゃないか。馬鹿にしやがって。ずっと我慢していたらしいなまえと、なまえのことすら考える余裕もなかった数十分前の自分にすごく腹が立った。

幾粒も涙を零し、若干嗚咽を漏らしながら昼間に食べた物をその場にこぼれ落とすなまえの背中を撫でてやる。さっきとは真逆の立場だ。いいんだか悪いんだか分からない。女にとって──いや、誰でもあんなグロテスクなもの見せられちゃ平常心ではいられないだろう。さっきの光景を頭に少しだけ思い浮かべるだけで鳥肌が立つし、眩暈がする。無理矢理頭からそれを振り払い、なまえの背中を撫でることに専念していると今まで黙っていたライダーが豪快に笑う。近所迷惑も甚だしい。一通り笑ってから「やはり小娘も人の子よな!余は安心したぞ」とかあまりにも空気の読めない台詞を言う征服王に対し、先に家の中に入るようジェスチャーを送るが、奴は一向に霊体化する気配はない。くそ!ここは日本でいう「空気を読む」ところだぞ!空気読め!バカ!

「……げほッ、…あー…ごめんウェイバー」
「…!…別にこのぐらい気にするなよ。ライダーだって言ってたじゃないか。あれを見て動揺しない奴はおかしいって」
「…………そういうんじゃない…いや、それもあるんだけど…」
「…じゃあ何だっていうんだよ?」
「………」

なまえは手の甲で口元を押さえたまま無言を貫いている。一体何に対しての謝罪なのか、見当もつかない。ボクはエスパーなんかじゃないから言ってくれなきゃわかんないっての…。

「なまえよ、今日は口を濯いでしっかり休息をとるが良い。坊主もそうだ。ゆっくり休め」
「あっ、おい──」

突然のライダーの提案に思わず声を上げるが、こちらを振り返ったなまえはその言葉を待っていたかのようにライダーの顔を見上げ頷いた。

「……はい、お先に失礼します、征服王。お休み、ウェイバー」
「………ああ。お休み」

なまえはボクらを振り返ることなく家の中に入っていってしまった。隣で仁王立ちをしているライダーはどこか遠い目をしてなまえが消えた扉を見ている。

「あいつ、何が言いたかったんだろう」

時計塔に帰りたいと言い出したとしてもボク達はアイツから遺物を持ち出した共犯だ。きっとアイツは──ケイネス・エルメロイ・アーチボルトはボク達に罰を与えんとしているようだから、無事に日本を出ることは難しいだろう。

「さあな、そういうことは本人に尋ねる他あるまいて」
「あーあ…もっと言っときゃ良かったよ。オマエは時計塔で待ってろって」
「坊主といい小娘といい聞かん奴を生産する場所なのか?時計塔というものは」
「ンなわけないだろ、馬鹿!ボクももう寝るからな!」

とかなんとかギャーギャー言った後、なまえの吐瀉物を掃除した為に床につけたのはかなり時間が経ってからだった。





***





「……ん…」


顔に太陽の直射日光が突き刺さり、ボクはずっと瞑っていた瞼をゆっくり開けた。……もう朝かよ。…寝たのが結構遅かった所為だ。あとグロいものを見せられて目が冴えてたっていうのが大部分だと思う。くそ、絶対にキャスターなんかブッ倒してやる…。

聖杯戦争って成長期の人間にあんまり優しくないよなと下らないことを考えながら階段を下りて居間に続くドアを開けようとする。

…………?

ドアの向こう側から何やら話し声が聞こえる。…なまえとライダーだ。
ライダーの奴、勝手に下に下りやがって…と思ったものの、今日は早朝からお爺さんとお婆さんは用事があって出かけてるから特に下に下りられて困ることはなかった。それでも許可なく実体化するのはやめて欲しい。

ドアノブに触れた手を離してそっと耳をドアに寄せる。怒鳴りたい衝動を耐えながらボクはなまえとライダーの会話に耳を澄ました。聞き耳なんて人としてやってはいけない行為だとは分かっている。分かってはいるが、ボクはライダーとなまえを二人きりにさせたことは今までなかったから、だからこそ、ボクがいない状態での二人の会話内容がとても気になったのだ。
あれだよ、あれ…今後の人間関係を考えていく上にも大事なことなんだ、これは。

「征服王のお口に合えばいいんですけど」
「これもそれも美味い!現代の食べ物はとても美味いものばかりだな!」

……なまえの飯食ってんのか、アイツ…。
ボクのお腹も空腹だと叫びつつあるので何か腹に詰め込みたいところだが、我慢して二人の会話を聞くことに専念する。


「それはそうと…もう体の方は万全か?」
「はい、大丈夫です。キャスター討伐に向かうのなら是非ともお供願いたいのですが」
「…女子供が戦場に連れて行くのはあまり好かんのだがな…しかもあんな非道外道を繰り返す連中の元に向かうのだぞ?」
「征服王にとって失礼な言葉になってしまいますが…魔術師に女子供は関係ありませんよ。そしてこの戦争にも女子供も…それこそ女も男も、大人も子供も関係ない。死ぬか生きるか──それだけではないでしょうか。微力ですが、ウェイバーの手助けをすると決めた時から何があろうと最後までウェイバーの傍にいようと誓った身ですから。昨夜はあのような無様な姿をお見せしてしまった人間が言っても説得力はないですが…彼が聖杯を得ることに繋がるなら、再び死体が転がる場に赴くことにも躊躇いはありません。二度とあのような無様な姿は見せない所存です」
「そうかそうか!お主もお主なりに覚悟を決めていたのだな。余は主を幾らか見誤っていたようだ。その心意気は評価するに値する!」
「勿体なきお言葉です、征服王」

なんだよ…なまえの奴、いっつもボクの馬鹿にしてからかうくせにそんなこと考えてたのかよ。なんか恥ずかしいな…。顔にじわじわ集まってくる熱を散らばすようにぶんぶんと顔を振り、少し速い心臓の鼓動を落ち着かせるように小さく深呼吸を繰り返す。


「そういえばお主、昨日坊主に対して何か言いかけたことがあったのではないか?」

ナイスだぞ、ライダー。ボクもそれは気になってた。
やけにタイミングのいいライダーの言葉にボクはいつにもなく真剣になってしまう。もしかしたら講義を受ける時以上に集中しているかもしれない。表情は分からないが、どことなくなまえの戸惑ったような雰囲気が伝わってくる。ライダーからそんなことを訊かれるとは思っていなかったようだ。

「──ああ……あれは…貴方にとってとても侮辱ととれるような話になってしまいます」
「構わぬ!今からお主が話すことは全て無礼な内容であっても征服王たる余が寛大なる心で許そうではないか」
「…深海より深く、空より広いそのお心に感謝します。……あの、用水路で見た子供達の酷い末路を見た時に、」
「うむ」
「ウェイバーと重ねて見てしまって…。ウェイバーは貴方が命を懸けて守るであろう人間です。それを、何というか…その、サーヴァントである貴方の実力を知っていて…マスターを危険に晒すような真似なんてする筈がないのに、ウェイバーをむざむざ殺されるようなことを…そのような愚かなことを一瞬でも考えてしまった自分が許せなかったんです。ウェイバーにも申し訳なくって。貴方を侮辱してしまったも当然です」

……だから「ごめん」って言ったのか。
ライダーは何も言わずに黙っていて、なまえも何も言わなかった。
暫く沈黙が溢れた後、ライダーは静かになまえの名前を呼ぶ。

「なん…うわっ、わっ、!」

何が起きてるかは何となく分かった。きっとボクにいつもしてるみたいになまえの頭をぐしゃぐしゃと撫でてるんだろう。ボクだってなまえの頭なんか撫でたことないのに…ライダーに先取りされている気が…って、今はこんなこと言ってる場合じゃないな。ライダーの豪快な笑い声は、どこも怒気なんて混じっていなくて、というかその声はむしろ活き活きしている。そりゃそうだよなぁ、ライダーだし…こんなことで怒ってたらとっくにボクなんか首根っこぽっきり折られて死んでる。

「そのような小さきことで沈んでおったのか!」
「小さいって…」
「何、余はまだお主にも坊主にも真の実力を見せておらん。多少の憂慮などあって当然のことよ」
「…ですが、」
「時になまえ、お主は坊主のことが好きか?」

「?!」

突然の話題の切り替えにボクは思わず絶句してしまう。な、何を言いやがってんですかコイツは…?!
話の変わりようにも程があるだろ。っていうか、何しに訊いてんだ…?え?!
ボクの慌て様を知ってか知らずか、まあ知られてたら今頃ボクはこんなドアの前で聞き耳を立てているわけがないけど、二人の会話はとんとん拍子で進んでいく。なまえは至って普通に答えた。

「好きじゃなかったら命懸けの戦争になんて付き合ってませんよ」
「訳もなく好意を寄せる者に対しての心配や杞憂はいつの時代になっても変わらんものよ。よってなまえ、お主の無礼だと恥じている行為は当然のことと思って良い。余が許そうではないか。断じて恥じぬことではないぞ」
「……貴方のような寛大な王が支配する国の民になってみたいものです」
「では坊主が聖杯を勝ち取った暁にはお主を余の臣下として仕えさせようではないか」
「はは、いいかもしれませんね……あ、もうこんな時間か。そろそろウェイバー起こした方がいいですよね」
「いや、それは余の仕事だ。お主は坊主の朝食の支度をするといい」

のっしのっしとライダーの歩く音がどんどんボクの方に近づいてくる。
…まずい。
くるりと体を半回転させて階段を駆け上がろうとするが、その前にドアを開けてやってきたライダーに首根っこを掴まれてボクは呆気なくその場に宙ぶらりんにさせられる。今のボク、凄く滑稽だ。叫ぼうと口を開きかけるが、それは奴のボクとは大違いの大きな手で阻まれてしまった。何すんだよ!
もごもごともがくボクを何でもないように二階まで連れて行くライダーは、どうやら最初からボクが聞き耳を立てていたことなんて分かってたみたいだ。顔が…顔がすごくニヤけてる。

「なまえのような女に好かれるマスターで余としては鼻が高いぞ」
「…何勝手にボクの命令もなしに訊いてんだよ!馬鹿!この馬鹿!!こんのアホっ!」
「だが女に守られるというのはなぁ…今度からはもう少し男を見せんといかんな」
「話を聞け!!」

下には聞こえない程度の声を出しながらぽかぽかとライダーの体を殴る。
ライダーはそんなのお構いなしに、ニヤけた顔を隠さないままうんうんと頷いてボクの頭をわっさわっさと撫でてきた。
ほんと、いい加減やめろ、これ結構辛いんだよ…!

「なかなかおらんぞ。あそこまで大事に想ってくれるような女は。余が現代に生きていたならば真っ先に落としていただろうに。残念でならん」
「なまえがオマエみたいなのに惚れるわけないだろ!バカ!」
「ほお…なかなか言うようになったではないか、坊主。…しかし、決まらんな。その林檎のような顔色で言われても全くもって迫力が無いわ」
「………」
「幸いなまえは余のマスターが聞き耳を立てていたことについては何も知らん。せめて下りてくるならその林檎の皮を剥いてからにするのだな」

そう言ってライダーはボクの部屋を出て行く。下で何やらまた話をしているようだが、ここからだと何を話しているかはいまいち聞こえなかった。きっともっとボクを寝かせておこうーだとか、そんなことを言ってるんだろう。くそ、色々考えることがありすぎて頭が爆発しそうだ。あまり睡眠をとっていない体だ。もうちょっと寝ておかないと今夜に響く。そう考えて再びベッドに潜り込んだものの、色々なものがぐちゃぐちゃになってかき混ぜられたボクの頭の中は一切の眠気を消し去っていた。


露と星屑は空から落ちて、ぼくの目のまえではじける