Fate | ナノ
日中ずっと惰眠を貪っていた所為か眠るに眠れない状況から早数時間。幾ら目を瞑ってじっと大人しくしていても眠れず。少し軽い運動をすれば疲れも出て休めるかと腹筋背筋腕立て伏せを繰り返した結果、でてきたのは眠気ではなく運動によってでてきた汗だけだった。寝間着を取り替える羽目になってしまったので、自然と眠りにつくことができるまでこうして再び目を瞑りじっとしているわけだが──暇というかなんというか。こうなりゃもういっそまた夜がくるまで起きた方がいいかもしれない。でもそしたらまた日中眠くなって日中に爆睡、夜中は目が冴えて、の悪循環が始まってしまうだろう。それだけは避けたい。じっとしていることが耐え切れず、ベッドの中で何度か寝返りを打ってから枕元の目覚まし時計を見上げる。時計の短針は三と四の間を歩んでいる最中だ。いい加減眠気の一つや二つやってこないだろうか。

軽く溜息をついていると、部屋の外からノックが二回小さくこつこつと鳴った。……こんな非常識な時間にやって来る人間は知れている。っていうか、奴しかいない。

「……どうぞー」
「なんだ、起きていたのか」
「眠れなくて」
「…夕方まで寝ていたからだろう。規則正しい生活を送らないのが悪い」

綺礼は少し人を小馬鹿にしたような笑みを零してからベッドの端に座った。仮にも聖職者ともあろう人間がこんな夜更けに女の部屋に入るなんてと思ってはいたけども、綺礼にそんな常識なんて関係なかった。常識なんて欠片も持ち合わせていない。聖職者じゃなくて単なる異常者の間違いだ。それでいてその異常者スキルを発揮するのは私と、あと彼が追い求めて止まない衛宮切嗣の二人だけだと限定されているだけに余計性質が悪い。面識はないが衛宮切嗣とは綺礼の恐さについて一晩は語り明かすことができるのではないかと思っている。

「…で、何。何か用。傷の手当てなら自分でやってよ」
「なまえの顔が見たくなった」
「……はぁ?」

顔色一つ変えないでそう言った綺礼に思わず変な声で応答すると、彼は死んでいるんだかよく分からない霞んだ瞳で私を見つめてくる。

「なまえの顔が見たくなった」

綺礼は今の言葉をもう一度繰り返すと、ベッドの端から私の方にゆっくり近付いてきた。何をするのかと思えば、その鍛え上げられた腕を伸ばして私の顔をむんずと掴んで引き寄せる。至近距離で彼の顔を見るのはこれが初めてではないが、こんなにも近いとやはり息が詰まる。

「…ど、どうせ歪んでる綺礼のことだから私の顔じゃなくて私の苦しむ顔が見たいとか思ってるんでしょ…」
「…!」

若干目を見開いた綺礼を見て心の中で溜息を吐いた。やっぱりか……言峰綺礼は、そういう男だ。私の顔が見たいなんて綺礼が思う筈がない。何で自分のことがよく分かっていない綺礼より私の方が綺礼を分かっているんだろう。綺礼はもっと自分のことを知るべきだと思う。

「そうか…ずっとお前の顔を見てもあまりしっくりこなかった理由が分かった」
「…生憎だけど今はそんな顔浮かべる予定なんてないから。さっさと寝れば。明日も夜になったら偵察するんでしょ」
「偵察はアサシンがやるもので私のすることではない。……なまえ、」

私の名前を呼んで、綺礼は私の首筋にその綺麗に並ぶ白い歯を突き立てた。あまりにも突然のことで、一瞬何も反応することが出来なかった。少し遅れてでてきた呻き声は彼の手によってくぐもったものに変わる。足をばたつかせようとも、手を使って押し返そうともがくが、綺礼はびくともしない。じんわり浮かび上がった涙が頬を伝って枕に染み込んだ後、綺礼はようやく私の首筋から口を離すとまじまじと私の顔を覗き込んでくる。その顔は部屋に入ってきた時より幾分か浮足立っているように見えた。じりじりと鈍い熱が首筋に集まっていて苦しい。鏡を見なければ分からないが、もしかしたら血が滲んでいるかもしれない。

「予定がないならつくればいい……お前が苦しむ顔は見ていて実に興奮する」
「…全っ然嬉しくない」
「あれと情事を行った時に見た苦悶に耐える表情よりも興奮する」
「…うわ…」

言うな。それを。言うか。それを。
思わず白い目で綺礼を見てしまったが、当の本人は何も反応せず、私の首筋に付けた傷をゆっくり撫ではじめた。痛いと眉間に皺を寄せる私を見てどこか嬉しそうな雰囲気を醸し出す綺礼はどこまでも外道の道を歩む聖職者だった。

「もしお前と行為に及ぶのなら…それは愉悦を得る行為になり得るだろうか」
「……え…」
「なまえ」

綺礼は私が会ってきた今までの人間の中で最も性質が悪く、人格が既に破綻してしまっている異常者の中の異常者だ。そんな人間に体を求められる私は、また彼と毛色の違う異常者なんだろうか。

生まれたその時から既に人間の道を踏み外している人間は、一度私の名前を呼んで、自分とは対照的なその首元にかじりついた。

静々と流れるくらやみ