あなた | ナノ
目の前に現れた僕を見て彼は笑ったんだ。多分僕が自分の命を吸い取ろうとしてやってきたのを悟ったんだろう。現に彼の残り少ない命を狙いに外のゴーストポケモンが周囲にいたからね。その中で彼は「この中で頼みを聞いてくれるものはいないか」なんて言ったんだ。おかしな話だよ。自分の命を狙うやつらに頼み事をするんだから。まあ、その時僕は空腹で仕方がなかったから誰よりも早く彼の傍に近寄った。そこで彼に言われたんだ。「この石をホウエン地方の日照りの岩戸の近くにある家の人間に渡して欲しい。そうすれば自分の魂を僕にあげる」とね。何度も言うが僕は空腹だった為に、彼の頼みに軽く頷いて彼が持っていた白い袋を受け取ったんだ。その時「もし出来ることなら僕の姿に化けて鉱山の話でもしてくれないか」と言ってね。人に化けるのは得意だったからこうして僕は彼の姿になって君の前にいる。

「彼の魂は僕が食べた」
「……」
「そして僕が鋼鉄島を離れる時に落盤が起きたんだ」
「……ダイゴの体は、」
「今はどうなっているかは分からないけど、君の知り合いから連絡がきたなら今頃はきっと人やポケモンの手によって瓦礫から救い出されている筈さ」

彼は一旦口を紡いで私の顔を見上げた。そうか。私がユウキくんと会話をしてる合間にそんなことがあったのか。……ダイゴは病気を患っていたと彼は言った。彼の言う通り、彼が病気を患っていたならそれはいつから患っていたのだろう。私がダイゴと喫茶店で会話を交わしていた時には既にそうだったのだろうか。彼はいつも通りの調子で私に笑いかけてくれていたのだ。思いもよらない話が彼の口から流れるものだから、ゆっくりと状況を飲み込んでいくしかなかった。

「……あ、」
「どうかしたかい」
「シンオウからホウエンまではどんな移動手段を?」

シンオウからホウエンに行くには、カントーやジョウトを経由して行かなければならない上に、半日はかかる。それなのに彼はたった数時間でここに来たのである。私の些細な疑問に彼はうっすら笑い、「ツテがね」とだけ答えた。答えになっていない。

「……ツテ?」
「ああ。それ以上はちょっとね」
「…そう」
「…僕が話せるのはこれくらいだ。彼には僕が彼の姿になって話をしてくれと頼まれたけど、自分の最期を話さないでくれとは言われていないからね」
「いや、むしろ話してくれてありがとう」
「ふふ、お役に立てて光栄だね。僕は彼の魂を食ったから、これくらいやって当然だけど……それよりなまえ、このアップルティー全然美味しくないよ。今なら彼の飲みたくないっていった気持ちが分かる」
「………ミルクティーでも作る?」
「是非」

にやにやと意地が悪い笑顔の彼に私は溜息を吐きたくなるのを堪えて立ち上がる。そんなに私の作るアップルティーやレモンティーは美味しくないんだろうか。単なる舌が肥え過ぎているとかそういうんじゃなくて、ただ純粋に美味しくないと。

「…何が悪いんだろう」
「……さあ…僕はアップルティーなんて初めて飲んだけどね、何て言うんだろう…味が落ちているんだ。今度から違うものに変えることをお勧めするよ」
「…そうする」

キッチンに向かい、新しくヤカンに水を注ぎ込む。牛乳はまだ残っているから作れる筈だ。

「そういえば、貴方はポケモンなの?」
「……ポケモンでも幽霊でも死神でも、なまえの好きなように考えればいいさ」

その時外から何かが吠えているような声が響き渡った。地響きのようなそれに慌てて火を止めて窓から外に目を向ける。何だ、何かがいるのか?もうとっくに太陽は沈んで辺りはどうなっているかは窺い知ることが出来ない。窓に張り付く私の背後に彼が近寄ってくる。

「…迎えが来たみたいだ」
「……迎え?」
「ああ、迎えさ。僕がさっき言っていたツテってやつ。……まあ、これが最後なんだしツテが知りたければ見てくといい」

じゃあ失礼するよ。

そう言うなりすたすたと玄関の方に歩いて行く彼の後ろ姿を慌てて追う。玄関のドアノブを握って私を振り返り、一度だけ私の頭を撫でた。それから撫でるように頬から、唇へ指をなぞる。その指はとても冷たくて、死人のようだった。彼ははじめから死んでいたのだろうか。きこうにもその冷たさによって口を開くことが出来ない。

「……どうせなら彼が唯一飲んでたミルクティーでも飲みたかったんだけどね。…残念だな」
「………、」
「なまえ、僕と君はもう出会うことはないだろう。君は僕の本当の姿を知らないし、僕はもうここへ来ることもない。さよならってやつだ」
「…」
「元気でいてくれ…その為にも彼はお守り代わりに君へ光の石をあげたんだろう。──元気でね。…なまえ」

彼はそう言い残しドアを開き外に出ていく。それと同時にがちゃりとどこからか音がしてパッチールとガーディが飛び出してきた。ガーディは私の傍に来ると立ち止まり、彼を見ながら低い唸り声を出すだけだった。パッチールはというと立ち止まろうとしたようだが、奴にぴたりと瞬時に立ち止まるなんて芸当が出来る筈もなく、そのまま彼に突っ込み、そしてすり抜けていった。

「…こんなポケモンも世の中にはいるんだね。はじめて見たよ」
「……ごめん、この子どっかズレてて…」
「いや、シンオウに住んでる僕から見て、見たことがないってだけでね」

パッチールを見ながら彼が話す彼の後ろに何やらどんどん黒い影のような靄が集まっていく。じっと見ているとその靄は段々と何かの形を模していき、次第にそれは私が本でしか見たことのないポケモンになっていった。

「──ギラティナ」

そうか、これが彼のいうツテなのかと納得する。ギラティナに乗って裏の、破れた世界からこっちに来たのか。あっちの世界には常識も通じることはない。あんな短時間でここまで来れるのも頷ける。彼はギラティナを一撫でして、腰を低く下げた彼の上にふわりと飛び乗った。

「それじゃあ本当にさよならだ」
「……貴方も元気で。…ありがとう」

彼は深く頷き、ギラティナに何事か話し掛ける。ギラティナはちらりと私を一瞥するともう一度大きな咆哮をして瞬時にその大きな体をかき消した。本当に突然のことで、私は何も言えずただ立ちすくむだけしか出来なかった。


***


「なまえさん……なまえさん?」
「…!どうかしました?」
「君がぼうっとしていたものだから心配で」

ミクリさんの気遣うような視線に私は何でもないですと手を振った。自分も辛い筈なのに他人を気遣うなんてなかなか出来ないなと頭の隅で考える。

「…何でもないです。じゃあ私はそろそろ…夕飯の準備もあるので」
「そうか。……そういえば君のガーディ、ウインディにしたんだね」
「はい。家のセキュリティも上がって安心ですよ。メシ代が馬鹿にならないですけど」

お互いに小さく笑ってそれぞれの帰路につく。後ろからはゆっくりウインディがついてきた。今日のご飯はどうしようか。昨日の晩に作ったカレーは昼で食べ切ってしまったから、今の冷蔵庫には冷えきった白飯と調味料、それに卵しかはいっていない。そろそろまた買い出しに行った方が良さそうだ。それに飲み物も少ないし、ブラッシング用のブラシも買ってしまいたい。他にも生活用品も必要だ。どんどん増えていく出費に思わず溜息をつく。買わなければならない物はいっぱいだ。その中でもまず買いに行かなければならないものといえば──……

「……紅茶」

ダイゴの姿をした彼が言って通り、一度紅茶を買い替えなければならないだろう。ウインディがぶらついていた私の手に鼻を擦りつける。湿った鼻先を撫でてやりながらふと考えた。

「ウインディ、今からヒワマキシティまで行ける?」

すぐに返ってきた優しい声に私はウインディの背中に飛び乗った。景色が瞬く間に変わっていく様を横目に、これからのことを何気なく思う。紅茶を新しく買い替えようともダイゴはもうやって来ないのは分かっている。…いや、それよりも…私には気になることが幾らかあった。ダイゴは病気だったと彼は言っていたし、落盤から引き出されて検死をされたダイゴの死因は彼の予想通り病死だった。だが葬式に参列していた人々は皆彼が病気を患っていたと知らずに、ツワブキ氏の話を聞くまで落盤によって亡くなったと思い込んでいたようで、つまり誰も知らなかった。それに、ダイゴが婚約していたという話すら誰もしておらず、婚約者だと思われる人間すら見当たりはしなかった。ダイゴは確実に私に何かを隠して、そのうえから嘘を塗り固めていたのは間違いない。彼が私に隠した真実は一体幾つあるのだろう。

「……ウインディ!ストップ!」

私の突然の指示にウインディは怯むことなくその場に立ち止まった。砂煙が辺りに立ち込めたので、目や鼻を覆い隠してから砂煙が収まるのを待った。

「紅茶は後にして一旦家に戻ろう」

どうして、と問い掛けるウインディの視線に私はウインディの耳を掻いてやりながら答える。もうすぐ日も暮れてしまうから早く戻らないと。

「家に戻ったら準備して、それからシンオウに帰ろう」

私の言葉に反論することもなくウインディは一鳴きすると方向を転換させて再び走り出す。ダイゴの葬儀の間、涙は一粒も出てこなかったのはあまりにも彼が謎に包まれていたからだ。多分、私はダイゴが死んだことをまだ上手く納得していない。その為にも私は彼が最期に過ごした土地に行って色々確かめなくてはならないのだ。

あの日、私がダイゴと別れた際に見た彼の背中を追い駆けるように、故郷のシンオウへと想いを馳せた。

あなたが埋まった土のうえに