あなた | ナノ
周囲の人々がぞろぞろと帰っていく中で私はただぼんやりと目の前にある墓石を眺めていた。辺りが夕闇に染められていく中で、周囲に並んでいる墓石には特に興味なんて湧く筈もない。用があるのは──あったのは、この墓石にだけだ。この石の下には彼が──ダイゴが眠っているのだと、埋められていく経過を見ていたのに余り実感が湧かなかった。一段と強い風が吹いて、思わず目を瞑る。すぐ脇にいたウインディが私の足元に擦り寄ってきたので、軽く撫でてあげると気持ち良さそうに尻尾を何度か動かした。ガーディの時よりも幾分か大きくなったその体はとても温かくて、無意識に笑みがこぼれてしまう。
暫くそうしていると、ウインディは突然耳をぴくりと動かして後ろを振り返る。連られて私も振り向くと、そこには喫茶店で話をして以来一度も会っていなかった彼の姿があった。


「なまえさん」
「…ミクリさん、こんばんは。どうかされたんですか?」
「こんばんは。少し君が気になってね。帰らないのかい?このままだと風邪を引いてしまう」
「…もう少しだけこのままでいたいので…」


喪服に身を包んだミクリさんにいつもの輝きはどこにも見当たらなかった。やはりこの人には暗い色よりいつもの、あの白くて明るい色の方が似合うなと思う。私がそう言うと彼は「そうかい」とだけ言って私と同じくダイゴの墓石を見詰めた。この人は私よりもずっとダイゴとの付き合いが長いのだ。付き合いが長ければ思い出も数多く存在するだろう。ミクリさんが黙って目元の涙を拭う動作を見ないようにして、私は数日前のことを思い出していた。




***




「──え?」


彼、いや、ダイゴに似た彼と言った方があっている気がするが、いちいちそう説明していると面倒臭いことこのうえないからこのまま彼と呼ぶことにしよう。彼は一瞬唖然としていたがどこか可笑しそうに私を見て笑った。


「僕がダイゴじゃないなら誰なんだ?」
「分からないからきいてるんだけど」
「僕は僕。ツワブキダイゴ以外の誰でもないさ。それよりヤカン、いい加減止めた方がいいんじゃないかな」
「……そうだね」


とりあえず彼の言う通り一旦火を止めた方がいいだろう。一先ず彼から受け取った石の入った袋をキッチンテーブルに置き、そのまま火を止めてから紅茶の封を切りながら彼に話しかける。彼がどんな表情を浮かべているかは背を向けている為に伺えない。どことなくこの部屋の雰囲気が張り詰めていた。


「ダイゴじゃないことは見た時から分かったよ」
「……まだそのネタ引っ張るつもりかい?」
「ダイゴは私が炒れるアップルティーもレモンティーも飲まないよ。前にいれたらミルクティー以外二度と飲みたくないって言ってた」
「…たまにはいいかなと思ったんだよ」
「ダイゴの瞳はそんなに青くない。もっと薄くて澄んでるし、ガーディが前の飼い主相手にあんなに警戒する訳がない。それに──」


カップにお湯を流し込み、それぞれティーバッグを静かに落とす。


「ツワブキダイゴは三時間前に鋼鉄島で起きた落盤事故で死んでるから」
「………」


ティーバッグの紐をゆるゆると振り、お湯に色が点いていく過程を無言で見詰めた。彼は何も言わないし答えもしない。パッチールかガーティかは判別がつかなかったが、扉を開けようとしているのかがたがたと寝室の方から音が聞こえるのみで、それ以外は無音がこの場を支配している。紅茶は程よく色がついているから、そろそろこれ位でいいだろうか。ティーバッグを引き上げてそのまま彼の座るソファーの前にカップを運ぶ。彼の前に白い湯気がふわりと上がるアップルティーを置いて、私はレモンティーを軽く啜った。猫舌気味の舌はそれを受け付けずにすぐ様カップから唇を離す。少し冷まさないと飲めそうにはないなと、ぼんやり考える。お互いが沈黙を貫く中、最初に折れたのは彼の方だった。彼は一つ軽く溜息をついて薄い唇に困った笑いを貼り付けて話し出す。


「…どうしてそんな事きくんだよ」
「…?」
「黙ってくれれば、僕は君に石を渡す役目を終えて帰ることが出来たし、君はプレゼントを貰えて、万々歳で、それ終わりだったのに」
「……ダイゴじゃない人にダイゴのふりをされてるのが気持ち悪いことこの上なくて」
「どうしてあの人が死んだって知ってるんだ?」

とにかくそれが不思議でたまらないのか、彼はダイゴより青い瞳で私を見詰める。

「私がシンオウに住んでたのはダイゴからきいた?」
「いや、聞いてない」
「私は生まれも育ちもクロガネで、鉱山とかそっち方面の知り合いがいるから」
「──成る程ね。だから連絡がきたんだ」
「そんな感じ……それで、何故貴方はこんなことを?さっき役目って言ってたけど…」
「死に際の彼に頼まれたのさ」

彼は視線を落とし、目の前に置いてあるスプーンを掴むとそのままカップの中をぐるぐると掻き回し始める。

「その時の僕は飢えが酷くてね。とにかくポケモンでも人間でも何でもいいから魂を食べてしまいたかったんだ。……その時だよ、彼に出会ったのは」
「………」
「弱々しい魂の匂いを嗅ぎ付け、たどり着くとそこには吐血した彼がいた。それはそれはとても苦しそうだった」
「…吐血?」
「ああ。口周りが血だらけだったよ。肌もやけに青白くてね、何人も死にかけの人間を見てきた僕からすればあれば病気だと思う」
「……病気?」

病気。どういうことだ。意味が分からない。突然入ってきた情報に、ばくばくと心臓の動きが早まる。訳が分からないという私に気付いたのか彼は何とも形容し難い表情を浮かべた。

「何やら混乱してるようだけど、確かに彼は病気を患っていたよ。きっとその内遺体が引き上げられるから、死因も判明されるだろう……辛いだろうが、話の続きをしてもいいかな?」
「──あ、うん」

彼はスプーンをカップから掬い上げてそのまま口に含む。少しばかり眉間に皺を寄せながら口を開いた。