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※44話視聴前妄想
※最終決戦後捏造




「あれ、セイレーンさま。」
 お久しぶりです、どうしたんですかぁ。ファルセットはその出入口にかつての上司の姿を認め、やけに間延びした声を出した。身体でほぼ唯一自由になる右手元には随分ぶ厚いノートがあり、それに何事か書き込んでいたのだろう。利き手には鉛筆が握られ、ベッドサイドの小さなチェストの上には剥き身の消しゴムが無造作に転がっていた。
 黒川エレン、そう名乗り少女の姿をしているセイレーンは、それを見ながら、自ら開いた扉に手をかけたまま佇んでいる。なかなか室内に立ち入ろうとしない彼女を不思議がって、ファルセットは微かに首を傾げた。入らないんですかぁ?それを聞き咎めたセイレーンは、形の良い眉をぴいんと跳ね上げ、無言のままずかずかと近寄って――桃色のふわふわした頭をばしりと叩いた。手にしていた花束で、それはもう勢いよく。
「あ痛ぁー!何するんですかぁー!」
「あんたねぇ!」
セイレーンには彼に言いたいことが山とあったので、それをすべてぶちまけてやろうと意気込んで来たのだが。酷いよぉぉと頭に花弁をくっつけたまま甲高い泣き声を出す成人男性を見て、なんだかどうでもよくなって、結局吸い込んだ息は溜め息に変わった。

 セイレーンがその知らせを受けたのは、あの悍ましいマイナーランドで世界中の幸福を賭して死闘を繰り広げた、実に数週間後のことだった。あわやというところで何とか勝利をもぎ取り、ついでにその頃には完全に操り人形と化していたファルセットの首根っこを引っ掴んで、崩壊するマイナーランドから人間世界に帰還した。それからは目が回るような忙しさで、響達と共に招待された城でのアフロディテ様主催パーティやら、今後の方針の話し合いやら、救世主とも言うべきプリキュア一行はあちらこちらで引っ張り凧だったのである。
 それらが一段落着いたとき、まるでタイミングを見計らったかのようにバリトンから電話で連絡があった。曰く――ファルセットが目を覚ました、と。
 ファルセットは決戦後からしばらく昏睡状態にあった。ノイズの洗脳は根が深く、度重なる強力なそれは彼の脳に深刻なダメージを与えていた。雷撃などそもそも彼は使えなかったのだが、それを怪音波で脳を弄繰り倒して無理矢理使えるようにしたと言うのだから、その凄まじさたるや推して計るべきである。一時期は命さえ危ぶまれ、その危機を脱しても、回復しきることなく廃人になる可能性は十分あった。それが無事に目を覚まし、意識もはっきりしているという。当然、喜ばしいことには違いない。だがセイレーンは手放しにはしゃぐこともせず、それを伝えたバリトンにただ一言だけ返した。そう、と。その声色から込められた思いを正確に読み取ったのだろう。彼は深く追及することもなく、病院の場所と部屋番号だけを告げて通話を切った。その見様によっては冷淡とも取れる気遣いが、ひどく難解で複雑な思いを抱えたセイレーンには有り難かった。
 ファルセットは加音町の病院に入院しているらしかった。メイジャーランド人でも人間世界の住人と身体の造りはそうそう変わらないらしい。三銃士といえばメイジャーランドでは名の知れた英雄であるから、無用な混乱を避けるための措置だったのかもしれない。ファルセットが、この町にいる。それは当面人間世界で暮らすことを決めたセイレーンに、会おうと思えばいつでも会えるのだという事実を突き付けていた。
 セイレーンは、ファルセットに会うつもりはなかった。かつて闇に染まっていたメフィストの配下であったとき、彼女はトリオ・ザ・マイナー相手に奔放に振る舞っていたが、その中でも特にファルセットに対してはいっそ傍若無人ですらあった。彼の頭の上が定位置で、強く言われないのをいいことに、機嫌が悪くなればその髪を毟ったりとやりたい放題だった。ファルセットにしてみれば災難以外の何物でもなかっただろうが、言ってみれば、つまりそれだけ心を許していたということである。自らが大きく出られる相手を選ぶというと聞こえが悪いが、それはあながち間違いではない。彼も彼で、黒猫の姿をした彼女を甲斐甲斐しく世話していたし、若干それを楽しんでいた節がある。ギブアンドテイクの関係を越えて、セイレーンにはファルセットを信頼する心が芽生えはじめていた。だからこそ、なにもかも丸く収まるのではないかと期待した矢先の、彼の豹変が辛かった。先に裏切ったのは自分だと、彼女は考える。例えその選択が限りなく正解に近いたった一つの答えであっても、彼の側に立てばそれは純粋な経験でしかない。自分に嘆く権利はなく、身勝手な感傷を吐露して皆を困らせるわけにはいかない、そう口を噤んだ分だけフラストレーションは身の内に降り積もっていった。
 セイレーンは賢く用心深い。傷付くことには人一倍敏感だ。目覚めたファルセットと再会したとき、果たして彼は、彼女のよく知る呑気で陽気でうっかり者の彼だろうか。何も偽る必要のない素のままの彼は、穏やかで少し困ったように笑う彼だろうか。独りよがりな想像でも、失望するのは痛くてこわい。痛みを恐れる心を抱えて、セイレーンはファルセットに会うわけにはいかなかった。
 そう、会いに行きはしないと決めていたのだが。
 花屋の前を通りかかったのが偶然なら、そこに並んでいた花に目を留めたのもまた偶然だった。放課後、足の赴くままに街中を散策していて、普段なら通り過ぎるだけの花屋の店先に小さなプランターを見た。派手で豪華な花々に埋もれるようにあったそれは、今にも咲きそうな桃色のふうわりした蕾を戴きに、真っ直ぐ天を指していた。セイレーンはそれによく似たものを知っている。思い浮かぶのはあの狂的な瞳ではなく、暗闇に似つかわしくない間抜けな笑顔ばかりだ。――あの男を花に例えるのは、少し無理があるけれど。セイレーンはくすりと笑った。
 気付いたときにはもう見舞いの花束を購入した後で、彼女はすっぱり開き直ることにした。そうだ、聞きたいことも言いたいことも沢山ある。あんたが三銃士だなんて聞いてないとか、あの全然顔を隠していない無意味な仮面は何だったのかとか、よく見たらあの格好はダサいにも程があるとか――いつからあんたは演技していたの、とか。そこにセイレーンの望むような答えがなくても、もうそれで構わない。恐れるだけでは何も始まらないのだ。ファルセットの口から真実を聞いて、きっと私は過去と決別できる。そう思った。
 彼女は淡い色味の花束を握りしめ、半ば駆けるようにして、一路病院を目指した。加音町を少女の黒髪が翻り、天頂から傾いた太陽はその背中を押すように優しく照っている。じわりと染みる暖かさに勇気付けられて、そして話はようやく冒頭に戻るのである。

 ファルセットは日当たりの良い個室で、上体を起こしベッドに横たわっていた。セイレーンはその右側に折り畳み式の簡易スツールが出しっぱなしになっているのを認め、そこに腰掛けた。先程まで誰かが来ていたのかもしれない。誰か、なんて思い浮かぶのは精々二人くらいのものだが、簡素なそれは何も伝えることなく沈黙している。
「……聞いてない」
口火を切ったのはセイレーンだった。
「あんたが三銃士だったなんて、聞いてないわよ」
しっかり覚悟を決めてここに来たというのに、ファルセットのあまりのかわらなさに出鼻をくじかれて、それがやや拗ねたような口調になってしまったのは仕方ないだろう。メフィストの口から彼らの身分が語られたとき、セイレーン達はまったくもって鷹揚に構え聞いていられる状況ではなかったのだが、後から色々と考えるうちに、彼女は大層な衝撃を受けた。三銃士。三銃士って。メイジャーランドに住む者なら誰しもが知っている英雄だ。彼女は直接見たことはなかったが、その活躍はある種伝説として広く語り種になっている。それがあのボケた三人組とは、タチの悪い冗談を聞いているようだった。
「あ、はい、実はそうなんですよぉ。僕もアフロディテ様を勾引かしに城に行くまではすーっかり忘れてたんですけどねぇ」
涙目を引っ込めて、情けない顔で髪についた花弁を引っぺがしていたファルセットは若干申し訳なさそうにそう言った。洗脳の影響だとはわかっていても、セイレーンはますますジト目になる。彼の癖とか、好物とか、正体とか。共に活動する内にわかったような気になっていたが、それが勘違いなのだとわかって、恥ずかしい。責めるような視線には羞恥をごまかす意味も含まれていたのだが、残念ながらファルセットはそれを知る由もない。
「それなら、あんたいつまで私に敬語使うつもり?」
「えぇ、駄目なんですかぁ?」
「駄目っていうか……もう私はあんたの上司じゃないし、あんた達は三銃士なんでしょ。だったら本当は私が敬語使わなきゃいけないじゃない」
そう言いつつもアコのときと同様にセイレーンが敬語で話さないのは、いくら操られていたとはいえ、ファルセットが一時は宿敵かつ諸悪の根源として対立していた相手だからである。そうでなくとも、以前には散々馬鹿にしたり爪を立てたりしていたのだ。理解と共感が勘違いであったにせよどうにも今更感が拭えず、結局ずるずると機会を逃し続けている。
「セイレーンさまから敬語使われるなんて気持ち悪いですよぉ、それに僕はもう慣れちゃいましたから」
「気持ち悪いって……」
別に、あんたがそれでいいならいいけど。セイレーンは脱力して肩を落としながら口の中で呟いた。なんとなくファルセットの顔が見れない。わざわざ確認しなくても、相変わらずふにゃりとだらしの無い顔でセイレーンを見ているのはわかっていた。その瞳には、それこそ見間違いでも思い込みでもない、柔らかな光が灯っていることも。
 左肩へ逃がした視線を下げてみると、腕に刺さった点滴の針が見えた。それが数週間に渡り昏睡状態に陥っていた彼の命を繋いだのだ。ぷつぷつと疎らに散るその名残以外にも、捲り上げられた袖から覗く彼の腕全体は細かな傷痕で覆われていた。古いものも新しいものも、英雄として負った怪我も闇に染まる過程で付けられた傷も、混在しているのだろう。彼は大人で、自分よりも遥かに長く生きている。その事実は、ほんの少しだけセイレーンの心をちくりと突いた。
 そのまま手首を伝って目線を落とすと、手元のノートに辿り着いた。よく見るとそれはぶ厚いだけではなく、相当草臥れた様子だった。飾り気も素っ気もない実用重視の表紙が、一層使い込まれた感を強調している。捲り癖がついているのか、前半分ほどのページは閉じてあっても膨れていて、さらにノートに厚みを持たせているようだった。
「……楽譜?」
「うわあああ何見てるんですかセイレーンさまあああ!」
セイレーンが手を伸ばしそれをぱらりと開いてみたのは実に無意識下の行為で、特に深い意味もなかったのだが、持ち主であるファルセットは情けない悲鳴を上げてそれを取り上げた。突然のことにむっとしたのはセイレーンだ。持ち主の了承も得ず勝手に中を覗いた自分も確かに悪いが、しかしそこまで大袈裟に騒がれると、この何の変哲もないノートに何やら重大な秘密が隠されているのでは、と妙な勘繰りを働かせてしまう。書かれていた内容といえば、セイレーンの一瞬見た限り、ベーシックな五線譜に黒々とした音符が横たわっていたことくらいなものだ。メイジャーランド人が音楽と生きるのはごく自然のことなのだから、ファルセットには疚しいことなど一つもないはず。勿論、その中身が真実楽譜であるならの話だが。
「なによ、見られて困るもんなわけ?」
「いえ、ただの楽譜ですけどぉ……」
「けど?」
セイレーンの不信感も顕わな眼差しに、たじたじとしていたファルセットは笑わないで下さいよ、と念を押してから白状した。
「作曲も割と得意なんですよ、僕」
勿論趣味の範囲はでませんけど。そう言ってファルセットはぼこぼこと凹凸の多い表紙を撫でた。つまりそれは彼のアイデアノートとかそういう類のものらしい。そのゆったりとした愛おしむような手つきは妙にセイレーンのカンに障った。作曲は、の間違いじゃないの。そう厭味を投げたが、あははそうかもしれませんねと穏やかに返されてしまっては立つ瀬がない。てっきり反論してくるものと思っていたのに。自分の子供っぽさがより強調されたようで、セイレーンは少し不機嫌になった。
「それなら別に見せてくれたっていいじゃない」
なんだかんだ言って彼がどんな音楽を生み出すのか少し興味があったセイレーンだ。馬鹿になんかしないわよ、僅かに口を尖らせながら言うと、ファルセットは随分と慌てたようだった。
「見せられないとかじゃないんですよぉ、そうじゃなくって……あーでもやっぱり見せられないというか……その……」
「なに、煮え切らないわね!どっち!」
「すみません見せれませぇん!だってそしたらサプライズにならな…………あ。」
あーうーとぼやけた態度でごまかしていたファルセットはうっかり余計なことまで言ったようだった。無論それをうかうかと聞き逃すようなセイレーンではない。何の話!とさらに追及すると、逃げられないことを悟ったファルセットは渋々と告白した。その様はさながら鬼警官に供述を促される容疑者のような様相を呈していたことをここに記しておこう。もちろんこの場所は病院の日当たりの良い個室であって、薄暗い取調室などではないはずなのだが。
「結構前からちょっとずつ書き溜めてたフレーズを纏めて一つの曲にして、出来上がったらセイレーンさまにプレゼントしようと思ったんですよぉ……それであわよくば歌ってもらえたらなー、とかぁ……」
あああもう何言わせるんですか勘弁してくださあああいと身もだえするファルセットにきょとんとして、ようやくセイレーンはそのサプライズというものが自分に対するものだということに思い至った。それはちょっと悪いことしたかしらとも思うが、しかしやはり腑に落ちない。彼女の中でサプライズとは、誕生日やおめでたい日にその本人を驚かせるためにするもの、という認識である。誕生日が近いわけでも特におめでたい出来事があったわけでもない。強いて挙げるならノイズを倒したことだが、操られていたとはいえ倒された本人がそれを祝うのも不自然だ。
 微妙な顔をしているセイレーンに、諦めて踏ん切りがついたらしいファルセットはため息を吐きながら解説した。まだ自分が三銃士だった頃、幸福のメロディを歌うセイレーンの歌声にすっかり虜になったこと。その時、趣味でやっているとはいえ自分も作曲家の端くれであるから、自分の作った曲をこの歌姫が歌ってくれたらどんなに幸せかと思ったということ。けれど実際そんな機会が簡単に巡ってくるはずもなく、生み出した音符がノートに溜まっていくばかりであったこと。そうこうしている内にメフィスト様が魔響の森に赴き、供していた自分達ごと悪に染まってしまったこと。そして洗脳から覚めた今、メイジャーランドの自室からノートをバスドラに持って来てもらい、続きを書いていること。完成したそれを何かの折にサプライズと称して贈れば、歌ってもらえるかもしれないと思い付いたこと。半分はセイレーンを喜ばせたい純粋な気持ちだが、もう半分は彼女に歌って欲しいという、いわば彼の下心だ。それを見透かされたと勘違いしたらしいファルセットは力無くすみませぇんと謝った。けれどセイレーンの顔は曇ったままで、これ以上何を謝れば、とファルセットが見当違いに焦りはじめたときである。
「それ、なんで私なのよ。ハミィにあげたらいいじゃない、その方がずっと綺麗に歌ってもらえるわ」
そうだ、その方がきっといい。彼が作曲家であるならば、尚更。
 セイレーンにとってハミィは大切で大好きな親友だ。一度は嫉妬からその絆を壊してしまおうとしたけれど、結局それを成し遂げることはできなくて、もう二度とあんな過ちは侵さないと固く心に誓った。今となっては彼女への憎しみで身を焦がすということもないが、その美しい歌声を羨む気持ちがまったく一欠片もないかというと、なかなかそうも言い切れない。私は私、あの子はあの子と割り切ったつもりでも、やはり同じ歌う者として、自分が長い時間をかけて積み上げてきたものを一瞬で掻っ攫われたように感じてしまう。それは自尊心に癒えることのない傷を残し、セイレーンは自分でも意識しないうちに卑屈になっていた。
 ファルセットは自分と彼女の認識の食い違いに気がついて、それを修正して、次いで呆れた。彼女が心の底からそう思っていることが伝わってきて、それはもう盛大に呆れ返った。僕の話聞いてましたぁ?とむしろ少し凹んだ。彼にしては随分はっきりと伝えた方だというのに、その意味するところをセイレーンは全然わかっていない。だからぁ。
「セイレーンさまがいいんです。セイレーンさまじゃなきゃ駄目なんです。他の誰でも意味がない、だって僕は貴女に歌って貰うためにこれを作ってるんですから。これは貴女が歌って初めて完成する曲なんですから。そうでしょう?」
今度こそわかってくれましたか、というかこれでわかってくれなかったら僕はもうどうすればいいんですか。ファルセットは心持ち俯いてしまったセイレーンの面を覗き込んで――ぎょっとした。
「セ、セイレーンさま真っ赤ですよどおしたんですか大丈夫ですかあああ!?」
セイレーンの首から上は茹蛸のように真っ赤に茹だっていた。頬といわず、額も耳も首筋も、湯気が噴き出す勢いである。
 ――まったくこの男は!求めていた、本当に欲しくて、諦めていた言葉を、特別を、こうもやすやすと、それも本人に自覚がないから余計にタチが悪い。こんな、まるで愛の告白みたいに。愛の告白!セイレーンは脳が沸騰して死ぬかと思った。自分で考えたことにのたうち回っていたら世話がない。セイレーンは混乱していた。
 とはいえまさか脳内の出来事であるそれが他人に伝わるはずもない。気の強い彼女ばかり見ていたファルセットは涙目で真っ赤なセイレーンを見て瞬間的にパニックに陥った。今助けを呼びますから死なないでくださいセイレーンさま!と叫びながらナースコールを連打しようとする始末だ。我にかえって、死ぬわけないでしょ馬鹿!と叫び返しながらナースコールを奪取するべく必死のセイレーンとの相乗効果で、病室は阿鼻叫喚である。
 無理矢理もぎ取ったコード式のナースコールを壊れない程度にサイドテーブルに叩き付けて、セイレーンは腰掛けていたスツールを蹴倒しながら立ち上がった。
「私、帰る!」
「ええっもう帰っちゃうんですかあ!?」
「今ナース呼ぼうとしてた奴が何言ってんのよ!」
「そうですけど!入院って結構退屈なんですよ他にやることないし歌ったら怒られちゃうし!あっじゃあまたお見舞い来てくださいね!毎日じゃなくていいですから、暇なときにでも!」
「なによバリトンかバスドラに来てもらいなさいよ三銃士でしょ!」
「あいつらも来ますけど!僕はセイレーンさまに来て欲しいんですってばあああ!」
「あんたの都合なんて知るか!」
「ひどい!」
セイレーンは手にしていた花束で再びファルセットの頭をぶった。先日まで生死の境をさ迷っていたとは思えない騒がしさで喚くファルセットに、二度も武器にされ少々ぐったりと萎れてしまった花束を押し付ける。花とそれを包んでくれた花屋のお姉さんに内心平謝りしながら、ファルセットを黙らせるべくセイレーンは叫んだ。
「ああもう、じゃあまた明日!」
本当にそれを最後の挨拶にして、この場所が病院であるということも忘れ、セイレーンはばたばたと騒がしく倒れたスツールをさらに蹴り飛ばして出ていった。当のファルセットと言えば、流石にはしゃぎすぎて頭が痛い。暴れる心臓を宥めすかして息を整えているうちに病室から遠ざかっていく足音は徐々に聞こえなくなり、後には花束と落ち着いた息遣いだけが残された。ファルセットは疲れたように起こしていた上体を深くベッドに沈み込ませて、それから――

「はい、セイレーンさま。また、明日」

暖かな西日は、加音町と白い個室を優しい橙色に染め上げている。もうじき日が暮れて、彼女の毛並みのように滑らかな闇が町全体を包み込むことだろう。天には零れ落ちそうな星屑の海が広がり、人々は欲するままに柔和の眠りへと導かれる。そしてまた日が昇れば、目覚めた町は騒々しくて楽しい、踊るような音楽を奏でるに違いない。また明日。そこには確かに約束された未来がある。その喜びを噛み締めて、ファルセットはただひっそりと微笑んだ。



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2011.12.25 F・shock!企画様提出物




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