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 かの有名なエスカ・バメル、略してエスカバがこのオレ――ミストレーネ・カルスに恋をしていると気が付いたのは、それなりに最近のことだった。
 そもそもそれ以前、オレとエスカバは大して接点がなかった。女の子達に囲まれて華々しい学園生活を送っているオレと違って、いつもむさ苦しい野郎どもに囲まれていたエスカバ。成績は悔しいことに時々オレと同率二位になることもあったけど(もちろん一位が誰かは言うまでもない、腹立たしい)それでも基本的にオレの方が勝っていたし、美しさという観点から見ると、奴はオレの足元どころか小指の爪にも及ばない。クラスだって違ったから、成績開示やその他諸々で名前と容姿は知っていても、言葉を交わしたことも直接手合わせしたこともなかった。
 きっかけは王牙学園の威信を賭けた極秘任務、『オペレーション・サンダーブレイク』だ。オレの美的感覚から言わせて貰うならちょっと、いやかなりダサい作戦名だったけど、その中身はとんでもなく危険で刺激的だった。まあ結局作戦は失敗に終わってしまったわけだけど、それに関してオレはもうとやかく言うつもりはない。過去にこだわることよりも、今をどう未来に繋げていくかが大切だと、その一件で十分に身に染みたからね。
 そんなこんなで、オレとエスカバとバダップはそれなりに行動を共にするようになった。無意味に反目しあうよりも、志を同じくするなら互いに協力したほうがいい。それは決して効率だけの問題じゃなかった。かつてのオレなら間違いなく鼻先で笑い飛ばしていたであろう、信頼とか、仲間とか、そういう類のことだ。と、そうすんなり考えられる程度には、オレは新たな価値観を手に入れていた。
 そして丁度その頃からだった。エスカバが時折、オレを熱心に見詰めるようになったのは。
 バダップを通じて作戦を知り、それが終結を迎えるまで、もちろん他にかまけている暇なんてものは存在していなかったし、存在してはいけなかった。オレもエスカバも、もっと言うならバダップだって、この国の未来のために必死だった。だからそれが呆気なく終息してしまって、以前のあまりにも普遍的な日常が返って来たことにエスカバはうまく適応出来ていないんだろうかと、それほど深く考えていなかったオレは最初そう結論付けた。けれど奴は粗野な見た目に反して器用な男だ。無理して生活に馴染もうとしているようには見えなかったし、チームオーガの他の面子がややぎくしゃくしている中でも自然体だったから、オレは早々にその勘違いを打ち消すことになった。
 視線の意味はすぐ知れた。オレは今まで数え切れないくらいそれと同じものを受けていて、既に呼吸するような感覚ですらあった。この成績優秀眉目秀麗才色兼備なオレに、ひとつ微笑んでやれば異性はおろか同性からでさえも注がれる熱い眼差し。生まれてこの方美しいオレは他人を魅了し続けて、一体何人が叶わぬ思いに身を焦がし、眠れない夜を過ごしたことか。まあ、つまり早い話が恋愛だ。

 エスカバが、このオレに、恋をしている!

 それに気付いたその日の晩、オレは自室のベッドの上で笑い転げた。なんて愉快なことだろう。エスカバの趣味といえば、大国が介入したかつての紛争などの作戦を、ひたすら検証し修正することだ。戦略家と言えば聞こえはいいが、要するに軍事オタクと言って差し支えない。そのいかにも色恋沙汰に興味なさそうな軍事オタクが、恋!しかも相手はオレ!これ以上面白いことなんてそうそうない。やっぱりこの美貌は武器になると自信を深めもしたし、優越感でいっぱいだったオレはとにかく有頂天だった。
 それからしばらくは、何をやっていても楽しかった。エスカバは気付かれていないつもりなのか、オレが何かに気を取られているフリをすると、高確率でオレのことを見ている。流石に訓練中や演習中にそんな馬鹿な真似はしなかったが、食堂で一緒に食事しているときや、休日に一対一で議論を戦わせたあと、消灯までの空き時間でチェスをしているときは特にそれが顕著だった。その度に腹の中で大笑いして、オレがエスカバと過ごす時間は段々と増えていった。
 そしてそのうち、オレ以外にもエスカバの異変に気付く者が出始めた。当然だ。ただでさえ有名人であるエスカバが、学園中の生徒でごった返す食堂廊下エトセトラで、ぽけらっと間抜け面を晒しながら、学園一の美しさを誇るオレをまじまじと見詰めているのだから。噂はあっという間に広まった。学園内でトップレベルの実力を持ち教官の信認も厚いあのバメル家次男のエスカ・バメルが、実は男色家だとか、叶わない片思いをしているとか、しかもその相手が友人のミストレーネ・カルスだとか――。オレの名誉を損なうようなものは適当に揉み消して、カルス家にはなんの害もない、しかし根も葉もある噂が、さりげなく、ときにはあからさまに耳に入る度、オレは笑いを堪えるのに必死だった。
 一人でいても周囲からひそひそ話が聞こえてくるようになった頃、その日のオレは久しぶりに女の子達と夕食を共にしていた。王牙学園は基本的に三食食堂で、最近はエスカバとばかり相席していたから、女の子達には随分と寂しい思いをさせたらしい。エスカバとの共通の友人なんてチームオーガを除くと皆無だから、誰も近付いてこれないのだ。ひっきりなしに話し掛けてくる彼女達に愛想良く適当な相槌を打ちながら、オレは視界の端に、三つばかり向こうのテーブルに着席しているエスカバと、その正面のサンダユウを捉えていた。
 二人は食事を済ませ、茶を飲みながら取り留めのない話をしているだけのようだった。最近の国の政策に対する批評、隣国との外交、紛争。ベーシックな話題を一通りなぞったあと、サンダユウは僅かにこちらを窺う素振りを見せた。もちろんオレは女の子達との会話を楽しんでいる、ポーズを取っている。実際そんなものは右から左に流れて行くばかりとしても、どうやら上手く騙せたようだ。サンダユウは心持ち声を落としただけで、エスカバに新たな話題を振った。
 曰く、どこもかしこもお前がミストレに片思いしてるなんて噂で持ち切りだが、実際のところどうなのか、と。
 オレは五感に関しても優れていたから、ざわざわと煩い食堂でも二人の会話を聞き取ることができた。それが今回に限っては裏目に出たのかもしれない。オレは思わず手にしていた水のカップを取り落とすところだった。
 ――は、お前あんな噂マジで信じてんの?おいおい、勘弁しろよ……。
 エスカバはサンダユウを相手にするとだいたいの場合本音で喋る。サンダユウの人となりや相性もそこには関係しているみたいだけど、今そんなことはどうだっていい。エスカバが心底うんざりしたような口調だったのが問題なのだ。オレはその続きを聞いてはいけないと思った。けれど耳は閉じれない。凍りついたオレとは裏腹に、聴覚と視覚は優秀に働いた。
 ――いやだってお前ミストレのことしょっちゅう見てるだろ。
 ――まあそれは否定しねぇけど。
 ――じゃあなんでそんな紛らわしいことしてんだ?それ周りに勘違いしてくださいって言ってるようなもんだぞ。
 ――いやほら、あいつ顔綺麗じゃん。
 ――はあ?今更だろそんなこと。
 ――悪かったな今更で。あの作戦のときはそんなん見てる余裕もなかったけどさ、改めて見たら綺麗だよなって。
 ――で?
 ――でってなんだよ。
 ――え、それだけなのか?
 ――それ以外に何があんだよ。
 ――つい目で追うとか、見てるうちに本気で好きになったとか。
 ――ありえねーだろ……あいつ男だぞ。
 ――ソッチの趣味は?
 ――ねーよ馬鹿。第一ミストレは仲間だ。やっぱそろそろ噂も対処するべきだよなァ。
 オレは危うく椅子を蹴倒して立ち上がるところだった。それをしなかったのは、目の前で突然黙り込んだオレを心配そうに見ている女の子達に気が付いたからで。ミストレくん、すっごく顔色悪いよ、大丈夫?大丈夫じゃない、なんて大人げないことを言うつもりはない。でも本当にオレは気分が悪くなってきて、今にも倒れそうだったから、彼女らに手短に謝ってから食堂を飛び出した。悪いけど食器は片付けておいてもらおう。そんなことを脳みその端の端でぼんやり考えた。
 なんとか自室に駆け込み、しっかりロックをかけた。途端に足から力が抜けて、それでも無理矢理ベッドまで身体を引きずって、今度こそ本当に倒れ込んだ。なんだ、全部オレの思い違いだったのか。恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。猛烈に恥ずかしかった。一人で馬鹿みたいに浮かれて、優越感に浸って、振り回しているつもりが実はオレが空回っていただけで。じわじわと涙が出て来た。羞恥のためだけじゃなくて、オレは確かに傷付いていた。
 そう思い至って初めて、やっと自分を理解した。エスカバがオレに恋していると思ったときに、あんなに愉快だったのも、勝ったような気になったのも、笑いが止まらないくらい嬉しかったのも、なんて単純な話だろう。全部エスカバだったからだ。まるきり武闘派な見た目のくせに几帳面な戦略家で、オレより成績が下なのに実力は互角で、酷薄そうで情に厚くて、この国の未来を真剣に憂いている。恋をしていたのはオレだ。視線が向けられただけであんなに浮ついた気分になるなんて。『馬鹿みたい』じゃなくて、オレは正真正銘の馬鹿だった。
 自覚と同時に失恋だなんて酷すぎる。足音を殺して忍び寄ってきた絶望がオレの首をぎりぎりと締め付けた。この恋が実を結ぶことは未来永劫決してない。惨めだった。奴はオレを見ているようで見ていない。お気に入りの絵画を、ただ愛でているようなものだから。今までのオレならそんなこと気にも留めなかったし、それが最高の賛美だとも思っていたのに。でもエスカバにだけはオレを見ていてほしかった。美術品じゃない、人間のオレを。
 気道が握り潰されたみたいに息が出来ない。視界の端が黒ずんで崩れていくようだった。全部質の悪い夢だなんて、都合のいい夢想でさえも浮かべることができなかった。認めたくない現実ばかりを突き付けられて、それでもオレは逃亡を図れない。自分の手で逃げ場を潰して、そこに追い詰められている。罠にかかった兎だって今のオレよりはマシだろう。だってどんな顔をしたらいい。エスカバは何も知らない、知る由もないから、オレの顔を鑑賞する。明日も明後日もその次の日も、延々と、いつかあいつが飽きるまで。オレの望む意味をちっとも含んでいないそれが軟い部分をめった刺しにして、心臓が止まるのとどちらが早いだろうか。期待するのは無意味だと、受け入れないと苦しいのに、受け入れたらもっと苦しい。

 オレは生まれて初めて、自分の顔を憎んだ。



悲劇的アイロニー
2011.08.25




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