inzm11 | ナノ






 まだわたしと彼が無知で幼くて透明だったころ、いまと変わらずうつくしい花が咲き乱れるヘブンズガーデンで、わたしたちはちいさな約束をしました。不器用なりに作った花の冠をおたがいの頭上へ乗せて、手をとりあったその瞬間を、わたしはいまでもおぼえています。そうすることの意味だとかわたしたちの使命だとかそんなことはぜんぶ抜きにして、ふわふわとただようような多幸感に、その感情の名前もしらないで、わたしたちは純粋にいつかこの約束は違うことなく果たされるとそう信じていたのです。
 それから間もなくして、彼は選ばれ、わたしもまた戦うことを選びました。我々の先祖と子孫の、誓いと誇りと命をかけて。

「下界に降りてみたのだが。」
 そう言った彼はひどく冷静な顔をしていたのですが、ほんのり色付いた頬が、無理矢理取り繕ったようなそれを雄弁に裏切っていました。
「下界はなにもかも騒々しいな。見たこともないほどの数の人間がひしめきあい、ヘブンズガーデンでは決して聴かないような音が鳴っている。あれも音楽の一種なのかと驚いた。花は一つ一つが大きく派手な色をしていた。海も見たぞ。話に聞いていた通りだ、どこまでも続いていた。色は想像していたよりも鮮やかだった。なぜ波というものがあるのか不思議だ。」
 それほどお喋りとも言えない彼、セインがあまりにも勢いづいて話しをするので、わたしは呆気にとられ座るようにすすめることも忘れて、気が済むまで彼の顔をじっと見つめていました。祭壇の外壁に腰掛け書物を読んでいたわたしの傍らに唐突にあらわれた彼は、隠しようもないほど瞳をきらきらと輝かせ、それでも声を張り上げることなくなるべく押さえ付けたような声色で、下界に関してのことを滔々と語り出しました。
 しばらくそのまま話を聞いていたのですが、流石に立ったままというのもどうかと思い、隣をすすめると、ようやく気付いた彼はひどく恥ずかしそうな顔をしました。おとなしく腰を下ろして、けれど先程までの勢いはすっかり削がれて、それから少し黙りこんだあと、ぽつりと言いました。
「大きくて赤い花を見た。あれほど自己主張のはげしい花があるとは思わなかった。出来ることなら一株持ち帰り育ててみたかったが、多分ここでは無理だろう。」
 その横顔を見てわたしは、ああ彼はきっと寂しいのだ、と思いました。我々は冗談ではなく、雲よりも天に近いところで生きてきたのです。気の遠くなるような昔々から、それはごく自然なことでした。少数であると自ら認めてしまったら、どうしようもなく大多数に目がいってしまって、その差異はたった数日数ヶ月で埋まるような溝ではありません。
「ギュエール、そのうち一緒に見に行かないか。」
 そうね、ふたりでいけたらたのしいでしょう。そうは思えども、わたしの喉はうまく機能しませんでした。待ち構えていたというわけでもない不意打ちの言葉でしたが、おののいた声帯とは裏腹に、どこかでそれを静かに思っている自分がいたのです。わたしでは彼の望む返事を与えられません。それが何故なのか、彼にはきっとわからないでしょう。わかるはずもありません。持ったままの書物を手持ち無沙汰にもてあそびながら、わたしと彼の視線は一度も絡むことなく、太陽は雲の下へ沈んでいきました。

 この場所にたどり着くまでに、わたしは多くのものを捨てなければなりませんでした。ひとつを選ぶならば、もうひとつは選べません。どんなに手放し難いものでも、気が付いたらわたしのてのひらからはするりと抜け落ち、いつの間にか誰にもみえなくなって、わたしはあとからそれを失ってしまったことに気が付くのです。悲しい、我が身の非力が身に染みて、ひどくつらい。積み重なった感情に押し潰されてしまう前に、わたしは自分の指で捕らえていられるもの以外は、手放してしまわなくてはならないのでした。
 背中に生えた白い羽は捨てました。もともと儀式のための装束に付属していたものですから、それをなくすのは簡単でした。使命感と闘争心も捨てました。きっと今ではもう元のように戦うことはできないでしょう。彼らと戦う以外の道を探しはじめた我々は、そうしなければならなかったのです。憎しみで互いの陣をぬりつぶしあうような、連綿と続いてきた争いに終止符を打つために、そちらをたてればこちらがたたぬのです。仕方ない、どうしようもありません。わたしはわたしを捨てました。堅牢な矜持に雁字搦めに捕われていた彼が、はじめて下界に焦がれたような瞳を向けたとき、わたしにはなんの躊躇いもありませんでした。半ば自棄になっていたのは否めません。自分勝手にも、裏切られたような気がしていたのです。
 わたしはわたしを捨てました。そしてようやく、今しがた捨てたものを得るために捨てたものに、思い至ったのです。頭頂に触れても、指は何の異物の感触も伝えません。それではあの日贈りあった冠は、いったいどこへいってしまったのでしょうか。白くて小さな花を集めた、無垢で、純粋で、閉じた幸福の象徴だったあの花冠は。
 わたしを捨てたわたしは狼狽し、絶望しました。鮮やかに思い出すことのできる光景に、今のわたしは映ってはいません。わたしは手を離してしまったのです。ただ憧憬ばかりが募って、やる瀬ない。花冠と一緒に、まだ芽生えてすらいなかった恋心を刈りとってしまいました。それは約束を果たす資格を放棄してしまったということです。いつからだなんてわかりきっていること、彼とともに戦うことを選んだあの日に、すべては決まってしまっていたのです。
 絶望し、けれどわたしに捨てられたわたしはそれを確かに祝福しました。このわたしがいきつく先には、花冠も、約束も、気付かずなくした恋心も、すべてがあるからです。やさしくあまい夢にひたっていられるのは、不要と見做された側の唯一勝ち得た特権でした。けれどわたしと彼の未来は、もう一生平行線を辿りつづけることがわかりきっていたので、わたしはわたしをうらやましがって、もうどうすることもできず、きっとずっとこのままなのでしょう。

 わたしはわたしよりも先にこちらにいます。わたしも彼もいつかは行き着く先です。どうぞわたしにはできなかった回り道をして、ながい時間をかけて、でもやっぱりひとりは寂しいので、散々悩んで苦しんで楽しんで、それから必ず来てくださいね。



最果てで待っています
2011.04.10 Eden様提出物




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