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不動から突然電話がかかってきた。自宅で寛ぎながらそろそろ夕食の準備をしようと考えていたときだった。なんでも無性に焼肉が食べたくなったらしい。長らく音信不通だった友人(と、少なくとも俺は思っている)は、今から住所教えるから肉持って家に来い、と一方的に番地をまくし立てるとさっさと通話を切ってしまった。久しぶり、だとか、元気か、などの挨拶は一切なかった。あまりに急な話だが、なんともあいつらしい。妙な懐かしさを覚えながら携帯電話で地図を検索したら、そこまで自宅から電車を乗り継いでおよそ四十分程度だった。予想外に不動が近くに住んでいて驚いた。てっきり愛媛に帰ったのかと思っていたのだ。通話履歴から不動の番号を登録して出掛ける用意をする。まあ迷子になることもないだろう。お互いもう子供ではない。焼肉が出来るような器材が向こうにあることを祈りつつ、近所のスーパーで肉のセットを買った。タイムセールで二割引きだった。スーパーは戦場の様相を呈していたが、財布には優しい。

不動が住んでいるのはアパートだった。ポストで部屋番号を確認してギシギシと叫ぶ階段を上り、冷や冷やとした保冷剤の冷気を腿の辺りに感じながらドアホンを鳴らす。足音と共に不動が顔を出した。もうずっと見ていなかった顔のはずなのに、特に変わった様子もなく記憶のそれと一致する。よォ。俺の左手にあるスーパーの袋を確認してにやりと口を歪めた不動は、そのまま部屋に引っ込んだ。どうやら上がってもいいらしい。お邪魔しますと一声かけたら奥から捩くれた笑い声が聞こえた。

挨拶だとか再会の言葉だとか、不動が何も言わないから俺も何も言わなかった。何をしていたとかなんで急に消えたとか、多分聞いても無駄だ。狐あるいはハイエナ的な賢さを誇る不動は、目的の為に手段を選ぶような人間ではない。もし仮に不動になんらかの目的があり、それを考慮した上での行動だったのなら、どれだけ執拗に食い下がったとしても奴は何も語らないだろう。友人として一抹の寂しさが残るが、こうして無事再会できたのだからもういい。そういう奴であることを、俺は昔から知っていた。それより今一番の重大事は焼肉だ。困ったことにどうやら不動は金網ないし鉄板ないしホットプレートを持っていないらしかった。一人暮らしでいつそんなもん使うんだよと突っ込まれたので俺は持っていると答えたら無言で頭を叩かれてしまった。

そのままではどうしようもないから、とりあえずカセットコンロを引っ張りだして、その上にフライパンをセットした。食卓の上にどんと置かれた様はどうにも奇妙だ。もやもやした違和感を抱きながら、その場でざっとカットした野菜と肉を並べる。よく考えてみなくても焼肉とは本来肉を網で焼くのであって、これじゃあただの肉炒めだ。本当にいいのかこれで。しかし不動の様子を見ればその視線は早くも変色しはじめた肉に注がれていたので、俺も気にしないことにした。まあ食べられるならこの際何でも構わないだろう。

姦しく音と油を跳ねながら焼けていく肉を自分の領域に確保しながら、俺は一方的に話をした。俺と不動の間にある共通の話題なんていったら、サッカーと影山総帥、真帝国のことくらいしかない。社交辞令のように今あいつはどうしてるとかこうしてるとか思い付くままに声に出して、早々に会話は立ち消えてしまった。不動は最早過去となった人物にはからきし興味がないのだろう。相槌もおざなりで、ひたすら肉を消費することに一生懸命のようだ。ただこの男は聞いていないようでその実しっかり聞いているので、今この瞬間にも、俺が列挙した名前をしっかり記憶して、再び連絡をとるべき人物について考えているのかもしれない。

それまで食べ続けていた不動が箸を止めた。休めたわけではなく、焼き上がった肉を一枚宙吊りにして、しげしげとそれを眺めている。肉のパックを見れば早くも三分の二がすっぺりとなくなっていた。端から順繰りに焼いていったので、今不動が箸でぶら下げている楕円形のひらひらとした薄い肉はどうやら牛タンらしい。なあ、お前これさ、どう思う?。ぼんやりしていたので反応に困った。これというのはパックの肉全般のことなのか、牛タンという種類なのか、それともその肉単体のことなのか。不動は代名詞をやたら使ってそれが当然に理解できることを要求する。前後の文脈から判断しようにも、必ずしも話が繋がってるわけではないし、突然喋りだしたりもするから俺はしばしば混乱し困惑した。数年見ないうちになくなった癖かと思ったがどうやらそうではなかったようだ。俺との共通の知り合いである佐久間はそんな不動を気違いだと形容した。サッカー以外で会話が成立した試しがないらしい。不動を友人だと絶対に言わない佐久間の気持ちもわからなくはないし、その思考回路が多少の意外性に富んでいることも否定できないが、気違いはすこし言い過ぎな気がした。あれは頭の回転が速いものだから脳内で自己完結しているだけだ。と俺は勝手に考えている。

返事を返さずにいたが特に咎められることはなかった。虫の居所が悪いと容赦なく殴ってくるので機嫌は悪くないらしい。不動は上下に牛タンを振りながら勢い込んで喋り始めた。

鶏のベロって食わねぇじゃん豚の舌はまあ探したらあるけどあんま食わねぇし羊のベロとか源田お前聞いたことあるかよねぇよな俺ねぇしあー犬とか猫は論外なそしたら牛タンしか食わねぇじゃんってことはさあ牛って家畜としては唯一人間様と、キスできるケモノってことだろぉ!?

牛とベロチュー!ギャハハまじウケる!食卓の端をばしばしと叩きながら大笑いする不動を尻目に俺は少し考え込むことになった。牛タンとは言うまでもなく、人間が食べるために本体から切り離された牛の身体の一部だ。それを食べてもキスという愛情表現をしたことにはならないような気がする。そもそも誰に親愛の情を表すんだ。牛か。既に死んでいるが。
愛と欲なんて兌換可能だろぉ!とわかりやす過ぎる解答を投げて寄越した不動は、それでも訝しげな俺の視線に気付いていないはずなどないのに、しかし構うことなく上向きに口を開いた。その上空にびろんと肉を釣り下げて、ゆっくり降ろしていく。あまり行儀がいいとは言えない動作を、俺は咎めることができなかった。それよりも何よりも、目が離せなかったので。

屠殺された家畜の舌が、不動の舌に、触れる。引き込まれる。口膣でぐちゃぐちゃに絡み合って、擦り切られて、呑まれる。よく動く舌が、赤い色をひらめかせ、口の端に付いた油を嘗めとった。にたにたといやらしく釣り上げられた口角の上で、深緑の目が暗く煌めいている。片目を眇める仕種が妙に扇情的で、俺は知らず知らずに生唾を飲み込んだ。突き詰めてしまえば今胃袋に引き込まれていった肉と同じただのタンパク質の塊が、暴力的な魅力を蜘蛛の巣のように広げていく。身動きのとれない俺はそれに搦め捕られてしまったのかもしれない。チラチラと視界に映り込むのは不動のあかい舌だ。網膜に焼き付いたその色に思考はゆっくりと麻痺していく。食欲ではない別の何かが沸き上がり、飢餓感が俺を苛んだ。そうだ、これは欲であって愛なんかでは決してない。もし俺がそれを引きずり出して食したら、果してキスしたことになるのだろうか。



その唇は愛を囁かない
2011.02.05 title by にやり




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