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じりりりり。けたたましく目覚まし時計が鳴った。手探りでそれをぱちんと止めて、落ちそうになる瞼をなんとか引き上げ伸びをする。
午前八時、わたしは暖かな誘惑を発する布団から抜け出した。カーテンを引いて、途端に明るくなった部屋に満足する。おはようわたし。今日もとってもいい天気。

ふわふわした足どりで階段を降りて、洗面所で顔を洗った。今日の朝ごはん当番は誰だっけ。もしかしたらわたしかなあ。そろそろ覚醒してきた頭で考えながらリビングに出ると、とんとんとん、と規則的な音が聞こえてきた。きっと彼だ。リビングから庭を覗く。ガラスを一枚隔てた向こう側に、リフティングを続ける彼が見えた。やっぱり。

「おはよう、不動くん」

ガラス戸を開けて朝から熱心な不動くんに挨拶する。不動くんは一際高く跳ね上げたサッカーボールをぽすりと手で受けて、挨拶を返してくれた。

「……おう」
「不動くん、今日の朝ごはんは、」
「あー俺。今日の当番俺だから」

もう食うか?と聞いてきた不動くんにわたしは首を縦に振った。

「じゃあちょっと待ってろ」
「わたし、オムレツがいいな」
「ハイハイ、その間に久遠監督起こして来いよ」
「うん」

不動くんは手に持っていたサッカーボールを花壇の横の定位置に置いて、わたしが開けたガラス戸からリビングに入って来た。もちろん運動靴は入口に揃えて脱いである。見た目に反して不動くんは几帳面だ。

不動くんは手を洗いに洗面所へ行って、わたしは朝降りてきた階段を上りお父さんの部屋に向かった。お父さんは低血圧で、朝に弱い。起こしても起こしてもなかなか起きてくれないから、お父さんを起こすのは休日の朝の大仕事だ。平日は自発的に起きるから、疲れの溜まっている休日くらいは寝かせてあげたいけど、でも、朝ごはんが冷めてしまってはもったいないから。

「お父さん!」




なんとかベッドから引っ張りだしたお父さんを連れて階下に降りると、ふわりといい匂いがした。お父さんを洗面所に押し込めてリビングに戻ってくると、不動くんはちょうどフライパンの火を止めたところらしい。大きなオムレツを三等分してサラダの乗ったプレートに盛りつけていく。流れるような手際に見とれてぼうっとしていると、不動くんはこちらに構うことなく彩り豊かなプレートを三枚一度に運ぼうとしていた。慌てて配膳を手伝う。とってもおいしそう。
冷蔵庫からジャムの瓶を出してスプーンを添えると、チンという軽い音と共にトースターから食パンが飛び出してきた。不動くんは食パンをそれぞれのプレートに置いて、もう一枚パンをセットした。カチカチとダイヤルを回す。このトースターは一度に二枚までしか焼けない。
そうこうしているとお父さんが洗面所から出て来た。流石に顔を洗ったら目が覚めたのか、さっきとは違いしっかりと台所まで歩いてくる。お父さんは食器棚からガラスのコップを三つ取り出して、冷蔵庫から取り出した牛乳を注いだ。牛乳を仕舞おうと冷蔵庫を開いたお父さんの横から、不動くんの手がさっと伸びる。ヨーグルトだ。それを横目で見届けたお父さんは、無言のまま冷蔵庫の扉をぱたんと閉めた。
不動くんはかぱりと開けたヨーグルトをガラスの器にざっくり分配する。中身を綺麗にこそぎ落として、流し台に空っぽのプラスチックパックを置いた。二等分するには少し大きいヨーグルトも、三等分すればあっという間だ。不動くんはあらかじめ皮をとって置いていたグレープフルーツを器の中に落としていく。それからバナナを一本剥いて、小さな果物ナイフでそれをスライスし直接器に入れていった。

「おい、これも食卓持ってけ」
「フォークとスプーンは?」
「それなら私が持っていった」

再び軽い音を響かせたトースターから食パンを取り出して、わたしたちの朝ごはんは完成した。テーブルに並んだそれは見た目も綺麗で、栄養バランスだってばっちりだ。
不動くんとお父さんが席についたのを見て、わたしはいただきますと言った。それを合図にして、みんな思い思いに食べはじめる。
優しい黄色をしたオムレツは、まだ温かかった。フォークで切り取ると断面からふわりと湯気がたった。中は生焼けではないのにとろとろだ。ちょっとだけかかっているコショウが、いいアクセントになっている。ケチャップはかけない。きっとかけてもおいしいけれど、プレーンでもしっかり味のするオムレツはそれだけでとってもおいしくて、あの強烈な酸味で塗り潰してしまうのはなんだかもったいない気がした。

「おいしい」
「……そりゃどーも」

お父さんは何も言わないけど、ちらりと窺った顔がいつもよりほんの少し優しかったから、たぶんわたしと同じことを思っている。

不動くんの得意な卵料理は、オムレツじゃなくて卵焼きだ。この家に来たころ、不動くんの料理のレパートリーは全体的に和食に偏っていて、オムレツは作ったことがないみたいだった。だから不動くんのオムレツはわたしとお父さんの味がする。不動くんにオムレツの作り方を教えたのはわたしで、そのわたしはお父さんから教えてもらったからだ。教えたと言っても不動くんはとっても器用だったから、見よう見真似でさっさと作ってしまえたのだけど。
不動くんの卵焼きには、砂糖が入っていない。不動くん曰く卵焼きは甘いものじゃないんだそうだ。醤油と塩の味がする卵焼きもおいしかったけれど、なんだかわたしには不思議な味に感じられた。わたしやお父さんの作った卵焼きを食べた不動くんも同じことを感じたのだろう、なんとも微妙な顔をしていた。
不動くんには、わたしもお父さんも知らない不動くんだけの人生があって、生きてきた時間や生活がある。当たり前だ。それはわたしにもあるし、お父さんにもある。だからそんな風に思うようなことではないとわかってはいるのだけれど、わたしはそれが、ほんのちょっとだけ寂しくて不安だった。不動くんの卵焼きは不動くんの味がする。だからこそ、オムレツに見え隠れするわたしとお父さんの影が、堪らなく嬉しかった。

つまるところ、わたしはとても臆病なのだ。『家族』という曖昧で不確かな繋がりが切れないように、細い糸を一生懸命寄り合わせている。そんなことをしたって切れるときには切れるのに、臆病なわたしはそれを認められないでいる。


「不動」
「あ?なんだよ監督サン」

突然のことに、わたしは驚いた。お父さんが不動くんに話かけたからだ。テーブルを囲むわたしを含めた三人は、三人ともお喋りなタイプじゃなかった。自発的に話を振ることは滅多にない。食事の間は基本的にみんな黙ったままだったから、突然のお父さんの発言にわたしはちょっと動揺してしまった。でもお父さんも人間なんだから、喋ることだってある。わたしはちょっとばつが悪くなって、パンをかじってごまかした。それにしても、なんだろう。何か重要な話かもしれない。それこそ、不動くんの将来に関わるような。
お父さんは返事をした不動くんを一瞥してから、視線をもとにもどした。フォークで刺したサラダを口に運んで、咀嚼して、飲み込んだ。

「私はもうお前の監督ではない」
「……はあ」

不動くんは食べるのが早い。もうデザートのヨーグルトに手をつけている。


「お父さんと呼べ」


不動くんがヨーグルトを噴いた。
わたしは食べていたパンが喉に詰まって、あわてて牛乳で流し込んだ。不動くんは食卓に少しこぼれたヨーグルトをティッシュで拭っている。爆弾を落とした張本人のお父さんは、サラダを食べ終えてヨーグルトを食べはじめた。

「おいオッサン……」
「オッサンではない、だから」
「あーもうウルセェっての!」

無表情で言いつのるお父さんに、不動くんはやけになってデザートの残りをかき込んだ。やや乱暴に食器を置いて、がたんと椅子から立ち上がる。ごっそーさん!食器を流し台にほうり込んで不動くんは逃げるようにしてリビングから出ていった。

「……行っちゃった」

わたしはフォークを動かすことも忘れて、ぽかんとそれを見ていた。急に静かになったリビングに、お父さんが動かすスプーンとガラスのこすれるかすかな音だけが響いている。

「冬花」
「はい」
「食べ終わったら車を出して買い物に行く。要るものをリストアップしておきなさい。」
「うん」

とりあえず、朝ごはんだけは冷めないうちに食べてしまおうと思った。




しばらくして、わたしは不動くんお手製の朝ごはんをやっと食べ終えた。お父さんはとっくに食べ終わっていて、庭の花壇に水をやっている。そのサアサアという音を聞きながら、手を合わせて、ごちそうさまでした。すると横からにゅっと現れた白い腕が、空っぽの食器を持ち上げて運んでいった。不動くんが戻ってきたんだ。そのまま皿洗いをはじめたみたいで、庭とは違う方向から水の落ちる音が聞こえてくる。ごちそうさま、不動くん、おいしかったよ。不動くんは何も言わずに、こっちに背中を向けたままだ。

そうだ今夜はカレーにしよう。
さっきほんの少しだけ見えてしまった不動くんの、ほんのり染まった赤い耳を思い出しながら、わたしはそんなことを思った。




今日も世界はうつくしい
2010.09.10




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テーマ「人外ファンタジー」
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