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学校の授業が終わりいつもなら部活で練習を始める時間、今日のわたしはそうせずに一人で家路についていました。注意力が酷く散漫で思考がまとまらない上に、心なしか頭痛もして、とても部活に集中できるような状態ではなかったためです。部活をするつもりで部室に行って、そこで地木流先生に追い返されてしまいました。ここで無理に練習してこじらせては大事ですよ。病人というわけでもないのですが、自分のことは自分が一番よくわかっています。わたしは先生の忠告におとなしく従って、家に帰ることにしました。それが15分ほど前のことです。
わたしの家は学校までそう近いわけではありません。しばらく歩いて、それ以上進むのがどうにも面倒になってしまいました。帰る道すがら、小さな公園が目に入ったので、休憩のつもりでそこに入りました。塗装の剥げたベンチに座ると、鬱蒼と繁った木の枝葉の隙間から青い空がみえました。呆けたようにそれを眺めているうちに、じわじわと苦いものが胸に込み上げてきました。
雷門に負け、秋葉名戸に負けました。悔しくて悔しくて、わたしたちはもっと強くなることを決意しました。自分たちの力で、なんとしてでも這い上がろう。意気込みも新たに、サッカーとひたむきに付き合う仲間たち。そんな彼らを横目に、一体わたしは何をしているというのでしょう。キャプテンのわたし。そう、わたしが尾刈斗サッカー部のキャプテンなのです。
何故わたしがキャプテンなのでしょうか。尾刈斗の部活はそれなりに引退が遅く、高校受験を控えた三年生でも、秋頃まで大会に出ることができます。とはいえやはり部活の主軸となるのは二年生、そして本来キャプテンとはその中から選ばれてしかるべきものなのです。この時期一年生であるわたしがキャプテンを務めているのは、異常なことです。
わたしは知っています。本来なら、わたしがいつも腕に嵌めているキャプテン腕章は、鉈先輩の物になるはずだったのです。いつも底抜けに明るく、尾刈斗サッカー部の雰囲気を引き上げてくれる鉈先輩。人望も厚く、先輩から一目置かれ、後輩に慕われている鉈先輩。それに比べ、わたしはとても頼りない。中学に上がるまで、わたしのサッカーは一人でするものでした。幼いわたしは周りから奇異の目で見られることに耐えられず、いつも空き地で一人でボールを蹴っていたのです。生者ではありませんが指導者には恵まれていたので、それなりにうまい自信はありました。けれど、サッカーは一人でする競技ではありません。個人の能力も重要ですが、仲間との連携が何より大事。キャプテンに抜擢されて、わたしは上手くチームを引っ張っていけていたのでしょうか。的確な指示を飛ばせていたでしょうか。たった一人だったわたしは、皆の支えに、なれていたでしょうか。
何故キャプテンが経験豊かな先輩ではないのでしょう。度重なる敗北は、わたしの力量不足のせいでもあるのです。キャプテンが不甲斐ないせいなのです。それなのに、何故わたしなのですか。何故。

「幽谷」

鬱々と沈み込むように考えていると、名前が呼ばれました。わたしはその声の主を確認しようとしませんでした。聞こえてくるはずのない声だったからです。あらかた影だか霊だかが遊んでいるのだろうと見当付け、無視しました。

「幽谷!」

強く名前を呼ばれました。肩を揺すられて、わたしは弾かれたように顔をあげました。

「……鉈先輩」
「どうした、幽谷」

心底驚きました。鉈先輩はどうしてここにいるのでしょう。先輩はユニフォームを着ていました。着替えもせず学校からここまで来たことは明らかです。

「それはこちらの台詞です、一体どうしたんですか」
「いやなに、あまりにも幽谷が暗い顔をしているのが見えたものでね」

追い掛けてきたよ。そう言って先輩は肩をすくめると、すとんとベンチに腰を下ろしました。わたしはその言葉がうまく飲み込めず、頭の中で二回三回反芻して、呆れ返ってしまいました。

「たったそれだけのことで抜け出して来たんですか……」
「ノーノー!もちろんそれだけじゃないさ」
「じゃあなんなんです」
「幽谷、」

先輩はわたしの問い掛けに答えず、一度名前を呼びました。それから困ったように頭を掻き回して、あーとかうーとか言った後に、わたしの肩をばんばんと強く叩きました。痛い。

「幽谷!」
「なんなんですか」
「ドントクライ!泣くな!」
「はあ?」

やけくそのように鉈先輩が叫んだ言葉は、予想外なものでした。泣くな、ですか。わたしは泣いていません。バンダナは濡れていないし、自分でも泣いていないと思っているのですから、事実わたしは泣いていないのです。

「先輩にはわたしが泣いているように見えるんですか」
「イエス。見えるとも」
「わたしは別に泣いてなんか、」
「幽谷、勘違いしているな」

先輩はチッチッと人差し指を振りました。

「はたして目から水が滴る状態のことだけを泣いているというのか?答えはノー。そんなものはただの生理現象だ。ナンセンス。いいか、ここで最も重要なのは、ハート。そう、ハートだ!ハートが悲しんでいるなら、たとえ涙がでていなくとも、それは泣いていると言えるのだ!」

半ば腰を浮かせた状態で熱弁をふるっていた鉈先輩は、ふうと息を吐いてベンチに深く腰を下ろしました。

「大方、自分がキャプテンであることの責任やらについて考えていたんだろう。真面目なのはいいことだが、それがすぎるのも考えものだな」

図星でした。鉈先輩のマスクの奥から、何もかも見透かしているような鋭い眼差しを感じました。こわい。鉈先輩にそんな感情を持つのははじめてです。

「……何故そう思うんです」

先輩は『みえない』人でしょう。
わたしは、思わず口をついて出そうになった言葉を、慌てて飲み込みました。先輩にわたしの考えてることなんて、わかるはずがない。吐き出し損ねた棘は喉をちくりと突いて、ついでにもっと奥深くの、心というやつに刺さったようです。鈍いようで鋭い痛みが胸を苛んで、苦しくてたまりません。

「そりゃわかるさ!なんたってオレはお前の先輩で、尾刈斗サッカー部のゴールキーパーだからな!」

……なんですか、それ。
知らず知らず身構えていたわたしは、拍子抜けしました。けれど明るい調子で言い切った鉈先輩は、まあそれは置いといて、とすぐに声色を改めてしまいました。

「オレがキャプテンになるはずだったのは知ってるだろ?」
「ええ」
「じゃあお前をキャプテンに推薦したのがオレだってことは?」
「……それは初耳です」
「一年生がまだ仮入部だったときの練習試合で、オレはお前のプレーを見た。鳥肌が立ったよ。一年の中で飛び抜けて上手かった。センスがあった。下手すれば、先輩よりもだ。」
「だからですか」
「いや、そうじゃない。ただ上手いだけなら、エースストライカーの座はお前のものでも、キャプテンはオレだった」
「では、何が」
「まあ落ち着け。……確かにお前は上手かった。尾刈斗サッカー部期待の新人だった。だけどな、お前のプレーはなんというか、自己完結してたんだ」
「……」
「それじゃ駄目なんだ。そうなった理由はオレにはわからないが、このままだったら、お前のプレーはいつか破綻すると思った。だからキャプテン……そのときのキャプテンに相談した。というか頼んだ。奴を次期キャプテンにしてくださいってな。何故だかわかるか?」
「……わかりません」
「キャプテンは皆の中心となって仲間をまとめ、支えるのが役目だからだ。指示に従うだけでなく、指示を出すだけでもない。そんなのになったら、自己完結とかしてる場合じゃなくなるだろ?」
「……つまりわたしのためだったというのですか。わたしを鍛えるためだったと」
「ザッツライト!よくわかってるじゃないか」

だから幽谷、お前は先の試合でキャプテンとしてよくやった!ただそれでも足りない、足りなかったと思うなら、泣くのをやめて周りを見てみろ!お前にはこれから苦楽を共にする、素晴らしい仲間がいる!

「ってなんかこういうこと言うのは照れ臭いというか恥ずかしいな……まあ幽谷、そんなに肩肘張ることはない。まだまだオレ達は中学生で、青臭いガキだ」

鉈先輩は腕を組んで、ベンチに踏ん反り返りました。偉そうな態度をとっている割に、反らされた顔の横についている耳が、ほんのり赤く染まっています。これも一種の照れ隠しなのです。いつも明るく社交的なくせに、妙なところで先輩はシャイです。わたしは自分の口が半開きなのに気が付いて、慌てて閉じました。
お互い、しばらく無言でした。緩く吹いている風が、頭上の木をざわざわ揺らします。わたしの体内時計で数分たったころ、一片の葉が膝の上に落ちてきました。胸のつかえはもうありません。それを拾いあげながら、わたしはやっと口を開く決心がついたのでした。


「鉈先輩」
「なんだ?」
「これからも、わたしと一緒にサッカーをしていただけますか」
「オフコース!当然だとも」

やっと泣き止んだな!そう言って、鉈先輩は白いマスクの下でニッと笑いました。みえなくてもわかります。みなくてもわかります。何故ならわたしはあなたの後輩で、尾刈斗サッカー部の、キャプテンなんですからね。




とある金曜日の話
2010.08.13.Fri




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テーマ「人外ファンタジー」
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