inzm11 | ナノ






***




目頭が熱い。形容しがたい感情が溢れ返って、胸の内が洪水のようだった。
喉から手が出るほどに欲していた。けれど、手に入らないことは解りきっていた。分別臭い顔して、諦めたつもりだった。諦めたはずだった、のに。
そうすい。軋んだ喉から漏れた音に、意味などなかった。やっと、やっと手に入った。不動は、慟哭した。




***




源田と佐久間が迎えに来た。図ったようなタイミングだった。一瞬、罠ではないかと疑う程だった。
帝国学園に来ないか。
頷く以外の選択肢は、ない。




***




ぬるり。不動は、無心に指を動かしていた。爪を立てないように注意しながら、指の腹でなでるように擦る。ずるりと綺麗にとれるものもあれば、こびりついてなかなかとれないものもあった。生暖かい臭いが嗅覚を刺激した。それでも構わなかった。ある程度とれたら、ちゃぽんと水面下に沈める。手が滑って落とさないよう、へりはしっかり掴んだままにする。水中で軽く払うようになで、引き上げて、また指を動かす。ひたすらに同じことを繰り返して、しかしルーティンなそれに、不動はこの上なく満ち足りていた。恍惚、と言い換えてもいい。彼は、その先に約束されたものを知っている。




***




不動は新幹線に乗っていた。通路側の隣に佐久間が座っていて、向かいの座席は源田だった。新幹線とはいえ、愛媛から東京までの道のりは長い。帝国学園から埠頭まで不動を迎えに来て、二人とも気が緩んだのか、それとも単に疲労からか、きっちりと制服に身を包んだ彼らは座席に身を沈めるようにして眠っていた。
不動は眠らなかった。正確には、眠れなかった。極度の興奮状態にあった。それがもう、ずっと続いている。源田と佐久間が迎えに来る前からだ。帝国に向かう緊張とか、そんなものではなかった。生憎自分はそんな可愛らしい感情を持ち合わせていない、と彼は思っていたし、ある側面に置いてそれは正しかった。
彼の心を占めているのは、たったひとつの事だ。

影山さんが、帝国学園に帰還する!

そしてそれに供するのは、最後の最後まで影山が執着していた自身の最高傑作ではなく、二流の烙印を押し出来損ないと蔑み軽んじた、不動なのだ。
あまりに面白おかしくて、腹を抱えて笑い転げてしまいたかった。もちろん人目のあるところでそんな端から見ると異常な行動をとって、無駄な注目を浴びることはよくないとわかっている。それでも釣り上がる口の端を、抑えることができない。
横目にちらりと佐久間を見て、源田を見た。まぬけ面だと思った。彼らは知らない。影山が帝国学園に帰ってくるなんてことは、夢にも思ってないに違いなかった。利用されて捨てられたのは、こいつらも俺も同じなのにな。捨てられたという自覚が、不動にはあった。影山にとって自分達の価値は、道端で配っているポケットティッシュより軽い。くるくる丸めて、ポイ。けれど源田と佐久間はそうは思っていないことを、不動はよく知っている。なにせこいつらは憑き物が落ちたみたいな顔して俺の前に現れたからな、自分達の方が影山さんを捨てたとか、そう思ってんだろうよ、馬鹿馬鹿しい。不動は馬鹿は嫌いだった。しかしそれを忘れるほどには上機嫌だったから、そんな彼らでさえ愛おしかった。
不動はここ数日、ろくに睡眠をとっていない。だが眠れないからといって眠らなくていいわけではないことは、解りきっていることだ。不動の体力は随分衰えている。帝国学園に着いたらごちゃごちゃと面倒が起こることは目に見えているから、今の内に寝て体力を少しでも回復しておかなければならない。眠れないなら、目を閉じてじっとしておくだけでもかなり違う。
不動は手荷物を大切に、胸に抱えなおした。一抱えの球、それが今の彼の全てだ。我ながら浮かれていると思った。信じてもいない神様に、キスしてやりたい気分だった。




***




真帝国学園そのものであった潜水艦は、海に沈んだ。戦艦とも言うべきそれの最期は、拍子抜けするほど呆気ないものだった。海に飲み込まれた潜水艦は何一つ残さず、埠頭に打ち捨てられた廃材だけが残った。邪魔でしかなかった。ただ建設途中で放り出された建物や、もともとあったであろう安っぽい倉庫は、身を潜める場所として最適だった。なんとか沈む潜水艦から逃れた不動は、そこで子供を保護しようと躍起になっている大人達から隠れた。一日経ち二日経ち、埠頭を離れたり戻ったりして、気が付けば三週間あまりが過ぎ去ろうとしていた。救急車や警察がわらわらと来て一時騒然としていた愛媛の埠頭も、本来の静けさを取り戻している。

不動の心は、醒め切っていた。生きる意思がないわけではないけれど、彼をあれほど駆り立てた勝利への渇望や自己顕示欲が、すっかり消えてしまっていた。彼の唯一帰るべき場所であった真帝国学園と一緒に、海に消えたと言ってもあながち間違いではないかもしれない。なにもかもが面倒臭く、日々が薄っぺらく感じられた。死にたい訳ではなかったから、世間一般に悪いと言われているようなことをして手に入れた金で、それなりに生きていたけれど、それも機械的で味気なく、つまらなかった。

ルーティンな日常を繰り返していたある日、不動の見る目の前で、海岸に大量のサッカーボールが流れ着いた。間違いなく真帝国学園を乗せた潜水艦の名残だ。海の底で朽ち果てる艦体から流れ出したらしい。心が震えた。自分達の、真帝国学園の、確かに存在していたという証だ。ほんの数週間前のことなのに、胸が熱くなって、無性に懐かしくなってしまった。不動はあれ以来サッカーをしていない。命からがら潜水艦から脱出したものだから、サッカーボールなんて持っていようはずもなかった。ボールを蹴り飛ばしたくて、乾かせばまだ使えるだろうかと、手慰みに二個か三個掬い上げてはみたものの、しかしそれらはどれもこれも破損していて、とても弾むとは思えないようなものばかりだった。これほど流れ着いたのだから一つくらいは使える物があるに違いない。そうして目を凝らしているとき、それは見付かった。
サッカーボール程の大きさで球形であり、所々白い。しかし流れて着いた物に紛れ浮き沈みを繰り返しているところを見ると、どうにもサッカーボールではないようだ。貴重品や金目の物でないのは一目見てわかりきっていたけれど、それでも桟橋から身を乗り出しそれを掴み上げてみたのは、純然たる好奇心からだった。
サッカーボール程の大きさで球形であり、所々白い。一部を海藻のようなものが覆っている。ぐずぐずしたものが指に纏わり付いて、生臭いような磯臭いような、形容しがたい臭いが鼻についた。手に余る大きさのそれはぬるりとしていて、どうにも掴みにくい。じっと見つめると、目があった。
ああ。

「かげやまさん」

総帥と崇められた人の変わり果てた首は、からっぽの眼窩を恨めしげに晒していた。



海で迷子
2010.07.18 時系列順に読む




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -