幸せの後先
「俺と…結婚してくれる?」
高校二年の終わりに告白し、付き合い始めてから八年。
社会人三年生となって生活も多少は落ち着き、ようやく言えたこの台詞。
「――もちろん!」
大輪の花が咲き零れたかのような艶やかな笑みで即答をもらってから数週間。
新名旬平とその婚約者になった美奈子は、慌ただしい日々を過ごしていた。
美奈子の両親に挨拶に行ったり、自分の両親と美奈子で会食したり、ブライダルショップを回ったりと多忙ながらも幸せで充実した日々だった。
だが……。
*
「やっぱこっちの式場にしねぇ?場内が薄暗くなって、ヴァージンロードが青くライトアップされるんだってさ!」
土曜日の午後、新名が一人暮らししているアパートで、いつものように雑誌やカタログをいくつもテーブルに広げて話をしているのだが。
「…うん、そうだね」
返って来る言葉には気持ちが乗っていないように感じる。
先週は式場やドレスの雑誌やカタログを眺め、ここがいい、これが可愛い、いやいやこちらも捨て難いとはしゃいでいたというのに…。
昨日の夜に電話していた時はいつもと同じか、むしろ機嫌が良かったと思うのだが、一日と経っていないうちに、こんなにも変化してしまっているのは何故なのだろう。
体調のせいか、あるいは今日の午前中に用事があると言っていたので、その時に何かあったのだろうか…。
「どしたの?何かあった?それとも、具合でも悪い?」
「え?ううん、何もないよ?大丈夫」
「ならいいけど…。疲れた?」
優しく言いながら、新名は隣に座る美奈子の肩を引き寄せ、腕に閉じ込める。
すると、いつもならば身を預けてくるはずの美奈子は、何故か微かに身を硬くして寄り添ってこようとはしなかった。
「うん…。そうだね、少し。最近何かと慌ただしかったから」
答える声はいつもと変わらないようにも思えるが、それでも僅かな反応の違いを感じ取り、それは新名の心に影を落とす。
「ね…美奈子ちゃん。今日はこっちは休憩して、別の事しようか…?」
それを払拭したくて、腕の中の美奈子の頬に手を添えて視線を合わせ、新名は優しく唇を奪う。
「ん……」
目を閉じて甘い口づけを受け、新名のシャツに縋り付いた美奈子は、自分の胸に触れてきた新名の手にピクリと反応し、それからやんわりとその手を押し止めた。
「美奈子ちゃん…?」
拒否の動作に、新名は微かに首を傾げる。
「ごめんね、今日はちょっと…」
言われてからちょっと考え、あっと思い至る。
そういえば、そろそろ『出来ない』時期に入っているはずだ。
なるほど、それで元気がないのか。
「そっか…了解」
とりあえず納得して胸を撫で下ろした新名は再び美奈子を抱き寄せ、それでも拭いきれない不安から目を逸らした。
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