小説 短編 | ナノ
03
「いらっしゃいませ〜」
「合計、542円となります」
「ポイントカードはお持ちでしょうか?」
「ありがとうございました〜」


バイトを始めてから一週間ちょっと。
戸惑っていたレジ打ちにもそろそろ慣れてきた頃で、朝10時まで寝ているせいかもあって、深夜帯でもあまり眠くならなかった。

バイト先の他の人とも関係は良好。
仲の良い職場。優しい先輩。
僕にとって、完璧で理想的な職場だった。

だが肝心のなまえさんはやはり一週間経った今でも来なくて、やっぱりあれはただの社交辞令だったのかーと思うと少し悲しい。

このアルバイトを辞める日が来た時は、会社に入社する社会人として会いたいものだ。
ハローワークに行けば会えると思うが。


「いらっしゃいませ〜」


今の時間は深夜帯。
お客さんが出入りをするたびに、開かれるドアから入ってくるひんやりとした夜風が足元を包んでいるようで少し震えた。

今店の中にいる最後のお客さんの会計が終わると、夜風とともに去っていくお客さん。

ふぅ、とひと段落をつくかのようにため息を吐き、膝を曲げて腕をデスクに投げ出す。
この時間帯になって来ると、お客さんの数が減ってくるのはもう知っているのだ。

完全に油断したような、だらけた姿勢で目をつぶり、少し眠くなってしまい、長いあくびをしてからデスクに突っ伏して寝てしまった。


「……ろ……さん」


人の声が聞こえる。
女の人の声だ。
同じシフトの人かな。

そう思って目をこすりながらはっとして起きると、目の前に立っていたのは、カレー味のカップラーメンと味噌汁を片手に持っているなまえさんの姿だった。

突然の来客に目が丸くなる。
しばらく口が聞けなくなるほど驚いていると、なまえさんはふっと笑って言った。


「勤務中に寝たらクビにされちゃいますよ?」


ふわりとした懐かしい声。
約一週間ぶりだけどすごく懐かしい。

その声に眠気も吹っ飛び「すいません! 気をつけます!」と言って頭を下げた。


「あはは、今は松野さんが店員さんなんだから頭下げないでくださいよ」


そう言って笑うなまえさん。
今さっきまで顔だけしか見ていなかったが、改めてチラリと服に視線を移すと、深夜帯なだけにやはり私服だった。

いつものスーツ姿とは全然違う。
女の子って感じの服装だ。

薄茶色のカーディガンに、普段はかけているメガネがかかっていなかった。
スカートかズボンかはデスクのせいで見えないが、そこまで乗り出してるのも気持ち悪い気がして、想像だけで乗り切ることにした。


「メガネ、つけてないんですね」

「あー……勤務中はメガネなんですけど、普段はだいたい裸眼かコンタクトなんです」


恥ずかしいな、と言って照れ笑いするなまえさんの赤面姿が見られただけでもすごく働いてきた甲斐があったというのに、まさか本当に来てくれるなんて思ってなかったしで、驚きと嬉しさは倍増していた。

知らず知らずのうちに笑顔になっていたようで、なまえさんから「そうそうその調子! いつも笑顔で! を心掛けてくださいね」と言ってにっこりするなまえさん。

ああ、その笑顔だけ後3時間は頑張れる。
そんな気がしてくるほどなのだ。
あなたが好きなのに。


「松野さん。そろそろお会計いいですか?」

「あっ、す、すいません! 今すぐします。えと、味噌汁……カップ麺二つで、合計250円になります……ちょうどお預かりします」


いつも通りの接客を心掛けたつもりなのに、何故かなまえさんの前だとどもってしまう。

まぁ、一応接客できただけでも、なまえさん見れただけでも結果オーライ。
それだけで良かったのだが。

その幸せのオーラに浸っていると、なまえさんが僕を見つめた後、少ししてまた商品棚のところへ戻って行った。

買い忘れかな。
そう思って待っていると、なまえさんが暖かい缶コーヒーをデスクに置いた。

外寒いもんなー。
会計を済ませ、レジ袋に入れてなまえさんに渡そうとすると、なまえさんは両手を出してそれを止めるように僕の手を押し返した。

え? と何が何だか分からない状況に置かれていると、なまえさんは笑って言った。


「私から、差し入れです。ファイト!」


その言葉を残して、夜風を店内に吹き込んで言ったなまえさんの後ろ姿を、しばらくじっと見ていた。

次の瞬間、ようやく理解したとんちんかんな頭が作動し、一気に顔が赤くなった。
今体温を測ったら38度は行ってるんじゃないか、そう思うくらいに熱く感じる。

手が触れたところが無性に熱い。
僕の手に握られたレジ袋の中には、暖かいコーヒーがとぷとぷと音を立てていた。


「……ありがとうございました!」


もうなまえさんは店を出ていたのに、自然と出てきたお礼の言葉。

僕はレジ袋から缶コーヒーを取り出し、シフト交代のために更衣室へと向かう。


「先輩、シフト交代です」

「はーいオッケー……なに、めっちゃ顔赤いじゃん、風邪ひいたの?」


そう言って「お大事に〜」と呟きながらすれ違う先輩に、ぼそりと呟いた。


「どっちかっていと、病ですかね……」


飲んだコーヒーの味は、すごく暖かくて、すごく美味しくて、すごく優しかった。



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