学校帰り、赤信号だから横断歩道前で立ち止まっていたら、ふいに後ろに人の気配を感じた。ちょっと嫌だなーと感じて横にズレようとした時に、ふと気配が耳元まで迫って来た。

「あ・る・じ」
「うわっ…」

ゾワっと背筋を下から上へなぞられた様な気分になる。聞き覚えのある声とこのネットリと人の意識をこちらに向かせる絡め取る様なトーンで一音一音で区切る主呼びは。

「うちの長谷部だ!!」
「あなたの長谷部ですよ」
「うわっ鳥肌たった…」
「そんな…震えるほど喜んでくださるなんて…」
「きしょくわるい…」

ばっと後ろを振り返ると、スーツを着た長谷部がにっこりと微笑んでいた。
いやいやいや、こっわ!と鳥肌が立った腕をさすりながら、距離を取る。散歩距離を取ると、長い足で一歩半距離を詰められた。近い近いよ。
ジト目で睨むと輝かしいばかりの笑顔で寄ってくるこの男は、前世に私の部下だった男だ。バカ言ってんなと思うが現実は小説より奇なり。私は7歳を過ぎた頃から毎夜、不思議な夢を見るようになった。純和風建築に年齢も見た目も違う人たちと住み込み、落ち武者やら動く骨格と戦うという何とも和風ファンタジー。さらに、一緒に住む人は付喪神で皆総じて美形だという。あれ、恋愛シュミレーションゲームかな。そんな神やらイケメンなどの夢を見続けて幼女な私は昔の自分なんだな…と受け入れた。その神の中に、異様に私のそばに控えていたのがいたのだ。それが今、私に笑顔でにじり寄る「長谷部」なのだ。
相変わらず顔は整っているが、髪は前よりも茶髪に近い色になっているし、目の色なんかは日が当たると紫がかっているがずっと色素が濃い。日本人らしくなったと言えばいいのか。顔は言わずもがな。ざっと全身を見てみると高価そうな革靴に時計、流行に疎い私にも分かる有名ブランドのロゴ入りの藤色のネクタイ。ドラマばりのエリートサラリーマンがそこに立っていた。

「お久しぶりです」
「久しぶりだね…」
「必ずお会いできると信じ、待ちわびていました」
「お、おう…」

今度は距離を置いて深々と頭を下げられ、忠実な部下として挨拶をしてきた。じゃあ、さっきのは何なんだと聞かれたら長谷部の主命大好きを拗らせた部分としか言えない。前世でも夜に目を覚ましたら枕元に座って私をガン見している事が週一であったくらい執着が強いし、行動があからさまだ。
本人曰く、仕事とプライベートは分けたいらしい。つまり、今は仕事モードだ。

「よくわかったね…引くわ。見た目はあんまり変わってないけど、ずっと若いでしょ?」
「俺が、主を、見つけられないなど…あり得ません」

一字一句それはもう頭が悪い人に諭すような言い方で言われた。端的に言うと「絶対見つける」という執念が篭った発言をされた。おい、仕事モード切れてるぞ。そんな舐めるどころか口に含んで味わうみたいな目はやめろ。昔、初鍛刀の乱に「主の毎秒を見つめてボジョレーみたいな感想を言うの控えめにいって頭がおかしい」って言われてたんだぞ。
内心げっそりしながら、適当な返事を返す。悪い人ではないが、いかんせん頭がおかしい。さて、この再会を喜ぶべきかと考えていると長谷部は眉尻を下げて恐る恐るといったように質問を投げかけてきた。

「…お気に召しませんか?」
「ん?なにが?」
「主の好みに合わせてみたのですが…」

そわそわと彼はスーツの裾を直したり襟が乱れてないか確認し始めた。
なんだろう…。と少し考えたらふといつかの出来事を思い出した。たしか、長谷部は色素が薄いから黒スーツよりグレーが似合うと現世に行く際に話した記憶がある。結局スーツは着なかったが、あの審神者時代に零した何気ない一言を覚えていたのか。ゾッとする。
なんにも反応を返さない訳にもいかない。「似合うね」と一言だけ伝えると、またもやにっこりと微笑んだ。きっと昔だったら桜が吹雪いてたんではないだろうか?返しに「主も制服が素敵です」とか言って来たから、微妙に笑っといた。前世の記憶があるせいで精神年齢がお婆ちゃんなんだもんで喜ぶに喜べない。

「…いや、うんアリガトゥ…。話は変わるんだけど、長谷部は…えっとまず長谷部って呼んでいいのかな?」
「えぇ、俺は今から長谷部です」
「待って。今の名前は?長谷部じゃないのに長谷部って呼んだらおかしいでしょ」
「貴方の長谷部ですよ?」

長谷部がゲシュタルト崩壊しそうだ。げっそりしてると、蜂蜜を煮詰めたみたいにドロリと甘い笑顔を貰った。狂気を感じる。もういいです。

「すみません主。気になっていることがあるんですが…俺以外にはあったことは?」
「あー…うちの子ははじめてかなぁ」
「つまり、俺は主のはじめてを頂戴したんですね」

恍惚とした表情はやめて欲しい。軽く一歩引くと長い脚で大きく一歩詰めてきて、両手を掴まれた。あーお巡りさん!この人です!今の年齢を考えろ。

「いや、はじめて会った刀剣男士は三日月さんだよ。近所に住んでたらから思わず声をかけたら他所の三日月さんでね。失礼なことしちゃったんだけど、笑って許してくれてね」

出会い頭に、「おじいちゃん?」と失礼極まりない発言をしてしまい申し訳無いくらい紳士的だった。うちの餅を喉に詰まらすボケボケ爺ちゃんとは違った。思い出しながら話すとまだ握られた両手がぎりっと締め付けられる。

「なん…だと?天下五剣という称号でいい気になりあまつさえ俺の主にいの一番に話しかけられ調子にのるんじゃないぞ三日月許さん…」
「あー!!!うちの刀剣男士では初だから!!!!!!」
「………やはり、主と俺は運命で繋がれていますね!」

人1人殺しましたみたいな表情をし出したから慌てて「初」と言った途端に、また恍惚としか表情に戻った。ちょろくて助かる本当、なんか運命とか聞こえたけど知らない知らない。ひとまず、うちの近所の三日月さんの命が守られた。

「私はそのくらいかな…。長谷部も他の刀剣男士とか審神者の人に会ったりしなかった?」
「あぁ…主を名乗る輩もいましたが、主について語ったらすぐに消え失せましたよ」
「うわ…どのぐらい語ったの?」
「軽く6時間程度」
「軽くが重すぎだよ…」

1日の四分の一を消費して軽くなんて表現は不適切だ。まず、何をどう語ったら6時間も話が途切れないんだ。推しを語るオタクでもそんなに喋らないぞ。昔、初期刀の加州が「この前、主が主人公の同人誌作ってて100人中100人が頭がおかしいって言う感じだった」と言われていたのを思い出した。一体なんの本かは触れなかったが。
一層げっそりしていると、いまだ握られていた両手がスッと離された。見上げると、長谷部はスーツの内ポケットから折り畳まれた紙を差し出してきた。

「ん?くれるの?」
「いえ。主のサインをいただきたいんなですが」
「え?サイン?そんくらいならいいよ」
「よかった。これにお願いします」

長谷部がペラリと目の前に広げたのは婚姻届だった。は、と呆気に取られつつも用紙を両手で受け取る。丁寧に夫になる欄に長谷部の名前とか(先ほどは誤魔化されたけど今は国重というらしい)住所が書かれ、印鑑も押されていた。

「待って…?え?待って、重…。てか、持ち歩いてるの?」
「いつでも書けるようにしたくて…」
「せめて……せめて段階、踏もうよ」
「幸せになりましょうね?」

下手なホラーより恐怖感じる。主命大好きを拗らせすぎたのか、なんだか知らないがよく考えて欲しい。私はまだ中学生なんだ。さらにいうと前世で長谷部といい感じの仲になった記憶もなければ、そんな考えがあったなんても耳に入れたこともない。どう有耶無耶にしようか必死に考えていると遠くから声が近づいてきた。

「ちょっと長谷部くん!いきなり走り出さないでよ!」

長い足を存分に見せつけながら黒スーツの背が高い人が駆けてくる。
そういえば、今は昼時で大人は働いてる時間じゃ無いか?眉を寄せて長谷部を睨むと意味を汲んだのか「営業の帰りですので」と目を合わせてきた。いや、駄目だろう。報告しに会社に帰れよ。と思ったが、視線を逸らすだけにする。私?私はいいんだよ。午前授業だったんだから。

「一体どうしたんだい?誰か知ってる人でも……」
「チッ…。先に帰ってろと言っただろ」
「しょ、…」

燭台切光忠がいる。と声に出す前に口元をパチーンと片手で塞ぐ。知らん刀剣男士だった場合を思い出したからだ。地味に唇が痛い。
燭台切は目を見開いて、私と長谷部を3周くらい見て、わなわなと肩を震わした。そして、私の持つ婚姻届を見ながら燭台切は絞り出すように呟いた。

「は、犯罪はよくないよ…!!」


副題:巻き込まれた燭台切


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