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「とんと解らぬ人生にするでないぞ、我が孫や」
そう言って笑い、僕を育ててくれた婆様が亡くなりました。



僕は拾われた時から、自分の名前と沢山の――おおよそ幼子には解らないことまで――知っていました。世間様の予備知識なんて比べ物にならないぐらい色んなことを不相応にこの小さい頭は知っていました。婆様が拾ったとき、僕はしきりに帰りたいと泣いて何かの名前を叫んでいたそうです。普通なら気味の悪い幼子と思うだろうし、自分も今思うとおかしいと思いますが、どうしても仕方なかったんです。
なんたって僕は近所のおじさんやおばさん達とも、三軒先の団子やさんとも、そして僕を育ててくれた婆様とも違う時代に生きていました。
パチリと目を開けるといつもと違う風景で、空気は澱んでいないし、鉄の乗り物も走っていないし。びっくりしました。いつの間にこんな所に来たのか検討もつきません。しかも、体も縮んで手も紅葉のようになっていて着ていた服もみすぼらしいボロ布になっていたから、訳が分からない。世界にたった一人ぽっちで何にも、何にも知らない僕。そんな僕を救い、ここでの生きていく糧を身につけさせてくれた婆様。

「婆様…」

僕に読み書きを教えてくれた、僕に家事や洗濯を教えてくれた、僕を優しく撫でてくれた、婆様のしわしわで暖かい手が冷たくなっていく。
婆様、婆様。僕は、これから、どうすればいいんですか。とんと解らぬ人生とは、なんですか?
ただの入れ物になってしまった婆様の手を握ると、ほんのりと暖かい。それが、婆様が今亡くなったという事を生々しく伝えてくる。屋根裏から人が降りてきた。咄嗟に婆様を庇うようにひしと亡骸に抱き付けば、降ってきた人は悲しげに笑った。

「君が、弥太郎君かな?」
「!…何故、知っているのですか」
「近嵐椿…その方に頼まれたんだ」
「椿…婆様に…?」

嘘だ、と呟いて婆様に更に引っ付く。婆様は僕の社交性のため色々な方と会わせて下さったけれど、目の前の優面の若い男の人なぞ一回も会ったことがない。みな、婆様と同じ位の歳をしていた。
ふといつか、婆様が若い男の人に何か話しかけられていた事を思い出す。その時なんの話をしていたかまでは聞き取ることはできなかったけど「忍者」「城へ」という単語と嫌がる婆様をしきりに誘っているような雰囲気を感じた。
もしかしたら、その時の男かもしれない…きっと婆様に悪いことをしに来たんだ!
僕は枕元にある婆様の苦無を握って男の人に突っ込んだ。もうとにかく必死だった。僕の家族を盗らないでよ、婆様は僕の祖母で先生で母なんだ!!

「ぅあああぁあぁっ!!」
「…っ」

グサリと苦無の切っ先が刺さった感触がした。鉄臭い匂いを辿ると男の人の手が苦無を握りしめていた。

「あ、ぁ…ぁ……手」

流れる血に思わず手を外すと、赤くなった苦無が床に落ちた。血が、手から、あ、手、とか言葉の切れ端を溢していると、男の人に抱き締められた。
冷たくない、暖かい。

「…悲しいのは解る、私も…過去に、家族を失った。けれど、君は一人ではないんだ」

安心しなさい。とかけられた言葉と背中を撫でる手が余りにも慈愛に満ちているものだから、婆様が亡くなっても出てこなかった涙がホロリと零れた。

「っうぇ、ぁ、…うぁ、ぁあああああああ!!!」

それから散々男の人にすがり泣いて、ようやく泣き止んだ時には声が出なかった。ごめんなさいと喉の痛みを我慢しながら言うと、やっぱり男の人は悲しげに笑った。

男の人は土井半助と名乗った。
ある人のお使いで僕に出向いたらしい。ある人の名前は聞き覚えがあった。話を聞くと、婆様に僕のことを頼まれたため迎えを寄越した−それが土井さんで僕の早とちりで怪我をさせてしまった。
今更ながらに怪我に気がまわり、急いで手当てをした。包帯を一巻きする度にごめんなさいを言うもんだから、笑われてしまった。
手当てが終わると土井さんは、必要な荷物をまとめて婆様にお別れをしなさい。と僕に言った。僕はここではない所へ引っ越し、この家は燃やすのだと。それが婆様の遺言だと教えてくれた。



僕は燃える家を背に手をひかれて、さようならをした。

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