▽ 9 望side
「やっと...やっと会えるんだ、」
俺は胸の高鳴りを感じながら真新しい制服に着替えた。
今日は地元に転校してきて初めての登校日。昨日の夜はあの人に会えるんだという喜びと期待で中々眠れず、朝は緊張していたせいか早くに目が覚めた。
「俺のこと覚えてるかなぁ...覚えてくれてたら嬉しいな」
高校に入ってあの人は少し大人っぽくなったのかな。いや、きっとすごく格好よくなってるに違いない。
ルンルン気分で鼻歌なんかを歌いながら玄関を出れば眩しい日差しが顔を照らした。
「おはよう、望《ノゾム》」
「おはよっ、琉依!」
そして門の前にいた琉依と目が合い、俺はすぐに駆け寄った。
中学の時以来のその光景がひどく懐かしく感じる。
「琉依とこんな風に学校に行くのもなんかすごい久しぶりだよな」
「そうだな。俺はまた望と一緒に学校に行けて嬉しい」
琉依はそういうと、きれいに整った顔を緩ませて見惚れてしまいそうな笑顔を作った。
「本当、何年か会ってないだけで随分とお前はかっこよくなったもんだよなぁ」
羨ましいよ。そう言いながら朝早く人気のない住宅街を歩いていると、急にすぐ隣にいたはずの琉依が道のど真ん中に立ち止まった。
「ん?どうかしたのか」
琉依は顔を俯かせていて、何も反応してこない。
どうしたものか、と不思議に思いながらも傍まで近づくとガシっと腕を掴まれる。
「望...」
「う、えっ、ここでかよっ!?」
慌てている俺を無視して琉依はそのまま俺に顔を近づけてくる。
人気はないとはいえ、ここは住宅街。いつどこでごみ出しをしにきた主婦が現れるかわかったものじゃない。
しかし、その考えと同時に俺は琉依とのあの約束を思い出して抵抗するのをやめ、大人しく目を閉じる。
「...ん、ふ...っ、」
するとそれからすぐに唇に柔らかい感触が重なった。
琉依の舌が俺の口の中を貪るようにして激しいキスを繰り返す。
しばらくして、新鮮な空気を求め始めた俺は琉依の肩をパンパンと軽く叩いた。
「あ...悪い」
顔を赤くして肩で息をする俺を見て琉依は頬を朱に染め、目線をずらした。
「...約束、ね。琉依」
“約束”俺がその言葉を口にすると琉依は悲しげに眉を下げ、あぁ、と小さく返事をした。
約束、それは俺がここに戻ってきて琉依と交わしたものだった。
琉依は中学の時...俺が父の仕事の都合で外国へ行くと決まった時、告白してきた。
でもその時すでに心の中にはあの人がいたから、俺は琉依の気持ちを受け止めることはできなかった。
それでも俺の返答に琉依は納得がいかないようで、何故だと何度も問いてきた。
だから俺はあの人のことを言った。すると琉依は一粒、また一粒と涙を流し始めた。
その姿を見て俺はひどく狼狽した。それは親友が泣いたから、という理由だけでなく、琉依が...あの琉依が涙を流したということに驚き慌てた。
俺にとって、とても大切な親友。そう、親友だった。だから琉依のことを好きにはなれない。
でも、大切だったから、俺は...
『望のことは諦める...だから、次また会えた時...あいつに会うまでの間だけでいいから、キスさせて?』
その頼みに、俺は黙って頷いた。
今思えばあれは、ただの同情だった。最低な同情。それが俺と琉依の約束だった。
俺は酷いと思う。琉依の気持ちに気づかないふりして、散々助けてもらっていたのに自分があの人に近付けるとわかれば都合のいいように琉依を切り捨てるようなことをする。
最低だ...頭では分かっている。琉依にひどいことをしていることも分かっている。
それでも...それでも好きなんだ...この気持ちに嘘はつけない。
琉依は大切だ...だけどあの人とはまた違う意味の大切さ。
―琉依、俺はあの人に近づきたいんだ...俺の内面を変えてくれた....
―清水 啓吾に、ね。
啓吾と初めて出会ったのは中二になりたての頃。俺は中学の時、一部の男子生徒からイジメられていた。
理由は簡単...俺自身の性格が一番の原因だった。
人と話すのが苦手で内気...根暗でもあった。上手く意見もいうこともできないし、何かあればいつもオドオドしてしまう。
しかし入学当初は女子からさわがれ、周りからはもてはやされていた。
だが、俺の内面を知っていった周りは俺から離れていき、挙句の果てに男子生徒からは“妬み”を発散するかのようにイジメられ始めた。
そしてその中の一部のグループは俺に暴力を振るうようになった。
でも俺は自業自得なんだと自分を責め、いじめられても仕方がないと諦めていた。
そんな俺を同じクラスだった琉依が見るに見かねて何度もいじめられているところを助けてくれた。
―琉依は俺ではなくいじめてきた奴だけを責めていた。
俺のことは一切責めてこなかった。だから俺は琉依に甘えてしまった。
自分の悪いところは直さずにただただ助けてくれる琉依に縋っている...正直ラクをしていた。
そのうちに俺も、俺自身は悪くない。悪いのはいじめてきたあいつらだ。と思うようになっていた。
そんな中、俺は中二になり、春を向かえた。
しかしある日琉依が家の用事で一度学校を休んだ時があった。するとそれをチャンスとばかりにいじめっ子たちは俺を学校の裏に呼び出した。
普通ならばここで行かないのが一番なのだが、弱虫な俺は行かなかったことによる報復が恐くなり、暴力を振るわれるとわかっていて放課後に1人学校裏に行った。
「久しぶりだね、望君」
裏の茂みに行くとグループのリーダー格の1人が厭味ったらしく俺の名前を呼んできた。
その方向を見ると5〜6人の男子生徒がそのリーダーの前田の周りに集まっていた。
「...ひさし、ぶり...」
ガサガサと音を立てながら男子生徒達が俺の方へと近づいてくる。
その間も俺は恐怖でガタガタと手を震わせていた。
「今日はお前のヒーローさんもいないから、今までの仕打ち、一気に返してやろうと思って呼んだんだぜ?」
「っう゛!」
俺の目の前に来た前田はガシ、と前髪を掴み無理矢理引っ張って顔を上向かせてくる。
今までの仕打ちって...そんなの俺をいじめてきたお前らが琉依にやられてたんだろ。
そう心の中で叫ぶが、実際に口には出さない...いや、出せない。
「今日はお前のことなんてだぁーれも助けてなんかくれないな」
「うぐっ、」
前田の言葉とともに左頬に鈍い痛みが走る。すぐに殴られたんだとわかった。
そしてそのまま殴られた勢いで地面に尻もちをついた。
周りの男子生徒はそんな俺の姿を見ておかしそうにケラケラと笑っている。
それなのに恐くて何も抵抗することができない自分自身を恨めしく思い、悔しくて涙が溢れ出てくる。
「あははははっ、こいつ泣いてやんの。こんな初っ端から泣いてたら最後までもたねえんじゃないの」
前田は意地悪そうに笑い、冷たい目で俺のことを見下ろしてくる。
「しょうがない、一気に本番に行っとく?」
前田がそう言うとぞろぞろと男子生徒達は近づいてきて俺の周りを囲み始めた。
―あぁ、リンチか。集団で、
今まで暴力は振るわれていたが集団で一気に振るわれることはなかった。
そのせいか、俺の中の恐怖心も一気に膨れ上がりやめろ、と声を出そうにも出ない。
ただこれから自分がされるであろうことを想像して震えることしかできなかった。
―怖い...怖い怖い...痛いのは嫌だ。殴らないで、蹴らないで...っ、
そしてついに前田の足がゆっくりと地面から上がり、俺の方へと向く。
蹴られる、そう思った俺は目をつぶり腕で顔を覆った。
―― ドスッ...!
聞こえたのは人を蹴る音
「...?」
しかしそれは目の前から聞こえてきたもので。
「痛ッてぇ!あ゛ぁ?誰だお前っ」
前田の怒声と周りの男子生徒たちの罵声が聞こえ、俺は不思議に思い閉じていた瞼を開いた。
「あれー、那智じゃなかったんだ」
そこには栗毛色の、短髪の少年が1人前田がいたであろう場所にいた。
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