▽ 8 啓吾side
「那智...」
一人階段に座り込む啓吾の口から出た言葉は、自らの手でつい先程傷つけた想い人の名前だった。
―俺は那智を抱いた...いや、無理矢理犯したんだ。
本当はこんなことするつもりはなかった。なのに、気がついたらこんなことになってしまった。
何を思ったのか、急に那智の目の前に現れた湊 琉依。
那智は男なんか絶対に好きになんてならない。そう思って俺は那智の“親友”という位置についたのだ。
なのに...それなのに...っ。
あいつが、湊が現れたせいで...
このまま親友という立場のままで那智と湊の仲が深まっていくのを見ているのが嫌だった。
その位置にいたって、辛いだけだ。
でも、俺に勝ち目があるとは思えなかった。俺が那智に好かれるなんてありえないことだとわかっていたから。
だから那智と距離を置こうと思ったのだ。
隣には女を置いて、いないときにはムシャクシャした気持ちを落ち着けようと暴力に明け暮れる日々。
なのに...それなのに、那智は偶然会った俺を引きとめてきた。
何故自分と距離をとるのだと問いてきた。俺の行動も否定してきた。
何も知らないでそんなことを問いてくる那智に勝手にイラついて...そして、
でも、結果的にいえば那智を抱いたんだ。那智のあの様子を見れば、多分俺が初めてだったに違いない。
俺が那智の処女をもらったんだ。それだけで幸せだ...満足、だろ?
那智は情事の最中、ふとした時に湊の名前を出していた。
俺に犯されてるのに湊のことばかり考えていたのだ。それだけ今の那智は湊のことが...
悔しかった。悲しかった。ムカついた...なんで...なんでずっと一緒にいた俺よりも湊のことが大切な存在になったんだ。
「それでも那智の初めては俺のものだ...俺だけのもの...」
そして先程の行為を思い出しながら天井を見上げ、ゆっくりと瞼を下ろす。
「あ、啓吾」
「...優也」
すると誰かが階段を上ってくる足音が聞こえ、声をかけられるまま瞼を開ければ何やらたくさんのプリントと2人分であろう教科書とノートを持った優也がいた。
「久しぶり。てかさ、那智見てないか?」
“那智”その言葉を聞いて啓吾は一瞬言葉を詰まらせる。
するとそれを見逃さなかった優也は「会ったのか」と鋭く言い当てた。
「...」
「ケンカでもしたの?」
口を閉じたままの啓吾に対し何をするでもなく優也は静かに隣に座ってきた。
「ケンカは、してない」
「じゃあ、那智と何があったの。お前の顔を見れば何かあったことくらいはわかってるんだからさ」
「...っ、」
本当、優也は鋭い。でも那智にしたことを言うのか...?那智を無理矢理犯しました...って。
「啓吾...」
そう言う優也の声は威圧的で、まるでいいから言えとでも言わんばかりに感じる。
「...っ、那智と...」
「うん」
「那智と、ヤッた...」
「...は?」
優也は何を言ってるんだと言う顔でこちらを見てきた。まぁ、すぐ頭の中には入らない言葉だ。しょうがないだろう。
「だから、那智とヤったんだよ」
「それは、合意の上でか?」
「...違う、無理矢理...。あと、抵抗されたから殴ったり、蹴ったりもした」
「お前...っ」
「でも俺は那智を抱くことができたんだ!殴ったりしたのも那智が大人しくしてればよかったに抵抗するから...だから俺は何も悪くない。満足してるし、後悔なんてしてな――― っ!?」
最後の言葉を言い終わらないうちに優也に勢いよく胸倉を掴まれ鋭く睨まれる。
「お前それ、本気で言ってんのか?暴力振るって無理矢理ヤッて満足してるって?そんなことして本当に後悔の1つもないのかよ!?」
ギリリと音が出そうなほどきつく掴まれ息苦しくなる。だけど今の啓吾にはそんなことよりも優也の言葉が胸に突き刺さった。
「それが本気なら俺はもうお前のことダチだともなんとも思わないし、もちろん那智との事も協力しない。俺は那智のことを大切に想ってる啓吾だからこそ2人が両想いになって欲しいと...だから協力してたんだ」
「...っ」
「暴力振るっても悪いのは那智。無理矢理犯して満足する...そんなことを本気で言うお前には那智と一緒にいる資格はない」
それだけ言い切ると優也は真剣な表情で啓吾の目を見てきた。
その瞬間、啓吾の頬を何かが流れ落ちた。
「俺、は...っ、」
...それは自分の瞳から流れ落ちた1粒の涙だった。
優也の言葉は胸にズシリと覆いかぶさった。
そしてそれは啓吾の心の殻を打ち砕いていき、中身を晒していく。
「本当はあんな風に...那智としたいわけじゃ、なかった...」
「啓吾...」
優也は締めつけていた手を離した。
何を言うでもなく話を聞く態勢に入る。
優也に言われて自覚した、自身の本音。それは先程まで言っていたこととは正反対のことだった。
「あんな風に抱きたく...なかった。その場の感情で暴力を振るったのも、後悔してる...那智を傷つけたいわけじゃなかったんだ、」
一度言ってしまうとスラスラと本当の気持ちが出てきて、それと一緒に後悔の涙が出てくる。
「本当は、会えたことが嬉しかったんだ。自分から那智と距離を取ったくせにさ...それなのに俺はその場の感情で那智を傷つけてその理由を合理化して...自分がしたかったことが分からなくなったんだ」
那智を傷つけて自分は傷つかないようにと都合のいい理由で心に殻を作った。
傷つけた後も逃げるかのようにあの教室から出た...俺は...俺は、
「俺は最低だ...」
そう口に出すと同時にズルズルと啓吾は壁をつたって階段にへたり込んだ。
「...お前は確かに最低な奴だ。だけどちゃんと那智に謝って自分の気持ちを説明したら...もしかしたら那智も...」
「それは無理だ」
「っ、なんでだよ!」
「...もし、だ。俺が優也のいう通りに行動したとしても、多分俺はまた同じように那智を傷つけちまう」
頭を抱え、俯く啓吾には今の優也が自身の言葉を聞いてどんな顔をしているのかは分からなかった。
「1つ聞くけどさ、俺の今の姿見てお前はどう思った?」
「は?どうって...」
「那智の気持ちに気がついて、全部どうでもよくなって一人でムシャクシャしてる。もしくはただ単に那智と距離を置くためにこんなことをしてる...そう思ってる?」
そう言った啓吾の問いに優也は何も言わなかった。多分、そうだと思っていたからだろう。
だけど....
「でもそれは違う。そんな理由じゃないんだ。無理してこんなんになったんじゃない...今のこの俺が、本当の...俺なんだ。」
那智の隣にいた、今までの自身は素ではなかった。那智のことは好きだが、自分はゲイなんかじゃないから普通に女と遊ぶことも好きだった。ケンカだってスカッとするのが好きでやむしゃくしゃすればやる。
だけど那智がそれを望まない。だから俺は本来の自分を抑えこんで隠していた。
「俺はもう那智の親友には戻れないし、戻りたくもない。那智は湊のことが好きでそんな那智を近くで見続けるのも嫌だ...だから俺はそうすることができないんだ」
「....。」
啓吾の言葉に優也は言葉を詰まらせていた。啓吾と那智の中を修復したくても目の前の男はそれを望まないのだから。
前みたいな立ち位置に戻っても親友に戻ってしまうし、そうなると近くで那智が他の奴を愛でるところを見てしまわなければならなくなる。
− それなら俺がすることは1つ、
「だから俺は本来の俺で那智に近づく...後悔してでも。嫌われてでも、やっぱり那智から離れることはできないんだ。」
那智と会わなかった時間、そしてさっき那智に向けられた侮蔑の視線。どちらも辛いものがあった。
「...不器用すぎだろ」
優也は悲しそうにそう呟き、荷物を持ち直すと啓吾を置いて階段を上っていった。
それからすぐにざわざわと他の生徒の声と足音が近づいてきた為、啓吾は場所を移動しようと立ち上がり屋上へと向かいだした。
その時、頬には乾いたはずの涙が何かを訴えるかのように流れ続けていた。
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