▽ 33
「ナースコールが鳴ったと思えば...っ、」
白衣の女の一人が愛都に頭を下げ、香月を押さえつける一人に加わる。
眼鏡をかけた医者らしき男は手に注射器を持っていた。
「愛都行くな!!くそっ、離せ!俺に触んじゃねぇ!!」
尚も暴れようとする香月を眠らせようと男はその腕に触れた。
「これは...」
僅かに男の動きが鈍くなる。その瞳はある箇所を見ていた。
それは...明らかに他者によって打たれた注射針の痕。しかも複数あるその痕の一つは血が滲んでおり、つい先ほど打たれたようであった。
はっとして男はすぐに後ろを振り向いた。だが、後ろにいたはずの若者は忽然と姿を消し去ってしまっていた。
そして入れ違うようにして目上の医者が病室に入ってくる。
「 今見たことは忘れなさい 」
その医者はそれだけ囁き、固まる男の手から注射器を取ると香月の腕に躊躇なくそれを刺した。
「あはははははっ、あの馬鹿面笑えるわー」
緑がかった、薄暗い廊下を歩く愛都を囲むようにして陽気な鼻歌が宙を舞う。その足取りは目に見えて軽やかなものだった。
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――――
――――――
「それにしても本当凄いよな。腹刺されて傷も塞がってないっていうのに」
屋上にて、今朝出たニュース記事を片手に叶江は心底愉快そうに笑った。
「“お前らが来なかったから捨てられた”って、そんなこと言ってたらしいね。とんだ言いがかりだ」
「あいつは馬鹿だからな」
対する愛都は大して興味がない様子で、フェンス越しに外を眺めていた。
愛都が香月に別れを告げた翌日。香月は病院を抜け出し、いつもリンチに遭っていたあの場所を訪れていた。目的はそう...不良たちを殺すため。
逆恨みをした香月はそんな暴挙に出たのだ。本当におかしなやつだと思った。
そうして通報によって駆けつけた警察官が現れるまでの僅かな時間で香月は一名を刺殺。残り三名に重傷を負わせた。
いくら金のある香月の家でも、さすがにそれを隠しきることはできず、その結果香月は少年院に送られ、退学。
自身の行動によって、不可抗力だったとしても愛都との接点を切り離したのだ。
おとなしく学校に通っていればよかったものを、理性のない香月は本能のままに動いた。その結果がこうだ。
「まぁ、俺はこうなるってわかってたからな、」
あの暴力男には脳がない。全て...結果まで愛都の描いていた計画通りだった。
― あぁ、清々しい。
青々とした、雲一つない青空がいつもよりもきれいに見えた。寒気を伝える風が頬を擦る感覚がいつもよりも心地よく感じた。深く息を吸った時に入る空気がいつもよりもおいしく感じた。
「愛都、早く俺のことも堕としてくれよ」
そんな中、叶江のニヒルな笑みが向けられる。だが、愛都はそれを無視して、もう用はないとばかりに出口へと歩いて行った。
そして扉を開き、一歩中へ入ったところで後ろを一瞥する。
「 次は永妻 晴紀だ 」
その顔には、叶江と同様のニヒルな笑みが浮かんでいた。
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