君のため | ナノ
 15



 「あ゛ー、朝から気持ち悪い、」

 扉を閉め、洗面所に籠もる。何度も口内をゆすぎ、出された香月の精液を吐き出した。
 日に日に増していく香月からの執着。愛都を見るその瞳は欲にまみれ、淀んでいた。

 「本当...馬鹿な奴。」

 入念に歯を磨き、着替えも済ませてしまう。そうして準備を終え、洗面所から出ようと扉の取っ手に手をかけた時――――

 「香月君、ただいまー!」

 「...ッ!」

 すぐそばの玄関の扉が開く音がし、聞こえてきたのは...――――里乃の声。

 「香月君...?って、うわ!何でそんな服乱れてるの?昨日、そんなに暑かったっけ?」

 スタスタと歩く足音が止まったかと思えば、何とも能天気な言葉が扉を通して聞こえてくる。
 まさか、こんな早朝に里乃が帰ってくるとは思いもしなかった愛都は焦りを感じていた。靴は玄関に出しっぱなしだったが、会話を聞く限り、幸いにも里乃はこの部屋に第三者がいるとは気がついてはいない様子だった。

 ― 見つからないうちに、早くここからでなきゃ色々とヤバいことになるな...

 愛都と里乃の仲を一度でも他の人間はもちろんのこと、特に香月に見られてしまえば、それを知った香月に里乃がどんな目にあわされるか...。その時の香月の行動は手に取るように分かり、容易に想像できた。

 ― 里乃のことは...誰にも傷つけさせない。俺が、守るんだ。

 愛都はもう二度と“この声”の悲痛な叫びを聞きたくなかった。

 「そう言えば香月君ってさ、昨日――― って、寝てるし。もう朝なのに、起きる気ゼロだなぁ」

 遠ざかる声。出るなら、今か。そう思った愛都はそっとドアノブに手をかけ、扉を開けた。

 「 誰かいるの? 」

 「...っ!」

 その時、遠くからそんな問いかけをされる。同時にバクバクとなる心臓。そして近づく足音。

 密室の中、隠れることもできず、ただただ立ち尽くす愛都。

 ― 見られ、たくない...

 足音が近づくたび、そんな感情が溢れだしてきた。

 先程までは里乃との中を香月に知られたくないという考えしか浮かんでいなかった。しかしいつしか愛都の脳内には別の感情が溢れるように湧きあがっていた。

 色濃く自分に付きまとう“穢れ”。今、里乃に見つかってしまえばそれら全てがバレてしまうような気がした。

 訪れる妙な背徳感。

 「...ぁ、」

 一秒刻むごとにそれは愛都の胸を締めつけていく。

 つい先程まで何とも思っていなかった行為。宵人のためなら自分のことなどどうなっていいと思っていた。誰にどう思われようとも気にしない。...――――そのはずだったのに、

 ― こっちに、来ないでくれ...

 願うのはそのことばかり。しかし、無情にも足音は止むことはなく、ついにすぐ近くまでやって来た。

 「ねぇ、誰か―――」

 そして里乃の影が見えたその時、

 ― ガタンッ!!
 
 香月がいるであろう方向から何かが倒れるような大きな音が聞こえた。

 「香月君?」

 心配そうな声とともに離れていく足音。

 「...っ、」

 そしてこれを機とばかりに、愛都はふらつく体に叱咤して玄関へと向かい、静かに部屋を抜け出した。

 ― 大丈夫。見つかってない。絶対に見つかってない。香月には昨日のうちに俺が泊ったことは誰にも言わないように、と注意した。

 扉をそっと閉め、自室へと向かう足。

 「ぁ、おかえり愛都 」

 誰に見られることもなく自室に入れば、ちょうど洗面所から出てきた綾西とはち合わせた。

 「...っ、」

 「う、わ、わ、わっ!!えっ、ま、まなと!?」

 靴を脱ぎ捨て、愛都は綾西に歩み寄るとそのまま胸倉を掴み、壁に押し付けた。
 その力の強さに小さく呻く綾西。しかし愛都は押しつける力を弱めようとはしなかった。

 「なぁ、綾西。俺は、汚いんだ...すごく...すごくすごくすごく、」

 囁きかける愛都の声は震えていた。そして、綾西の胸倉を掴むその手も、震えていた。

 「そんなこと、わかってるんだ。そんなこと...」

 不安定な精神。愛都自身、自分の口から紡がれる言葉に戸惑いを感じていた。

 里乃に本当の自分の姿がバレてしまうかもしれない。そう思った瞬間から、中々理性が戻らなかい。

 「覚悟してたはずなのに...」

 愛都自身、気がつかない間に溜まっていた不安。

 押し隠していた感情。

 動揺から理性が弱まってしまった今、その感情は止まることなく流れ出ていく。
 所詮は大人になりきれない子どもなのだ。

 「俺は...俺は―――復讐をするんだ、」

 言い聞かせるように出た言葉。しかしそんな言葉とは裏腹に弱まっていく手の力。

 いつしか震えるその体は綾西に抱きしめられていた。

 「 あぁ、早く壊れてくれないかな 」

 震える愛都を抱きしめ、蕩けるような笑みを浮かべる綾西。そんな綾西の呟きは今の愛都の耳には届いていなかった。





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