▽ 13※
「 愛都君 」
後ろから聞こえてきたのは先程までとは違い、グッと低くなった沙原の声。
「今、何話してたの?」
愛都の腕を掴んで口元に笑みを浮かべている沙原だが、目は笑っておらず、瞳孔が開いているのか瞳の黒目部分がやけに大きく見えた。
「ただ何を見てたのか聞いて、教えてもらってただけだよ」
「それだけじゃないでしょ?それにしては今、少し会話が長すぎだよね?」
「本当だって。沙原く―――」
「嘘だ!ねぇ、どっかに行く気?僕から離れようとしてる?愛都君、そうしようとしてるでしょ。」
口を開くたびに腕を掴む力は強くなり、愛都は顔を僅かにヒクつかせる。
香月と話をしてるところを見られれば沙原がこうなることは分かっていたが、それでも分かりやすいその行動につい笑ってしまいそうになった。
「分かった。分かったよ。本当のことを言う。だから少し落ち着いて、沙原君、」
「やっぱり嘘ついてたんだ!」
だが沙原は愛都の言葉を聞いて落ち着くどころが眉間に皺をよせて怒りを表してきた。
ついには指痕がついているのではないだろうか、と思わせるほど強く腕を掴まれる。
「確かに俺は今、香月君と別の話もしたし、沙原君と別行動をしようともした」
「...ッ!ほら、僕の言った通りだ!愛都君は、―――」
「でもそれは君のためだよ!...俺は今...沙原君のためにこっそりプレゼントを買おうとしてたんだ。」
「...え?」
その瞬間、沙原は掴んでいた手の力を一気に弱め、顔を呆けさせた。呆気にとられたように口を開け、ぱちぱちと数回まばたきをする。
「沙原君にはいつもお世話になってるからね。それでさっきはどれがいいか香月君に話を聞いてたんだ。沙原君をビックリさせたくて...」
「そう...だったの?...あっ、えと、ご、ごめんね愛都君っ、!僕...そうとは知らずに勝手に怒って、嘘吐き...だなんて、」
「 沙原君 」
「あっ、愛都く、ん」
愛都の言葉に顔を白くさせ、あたふたとし始めた沙原の両頬を手で包みこみ、顔を上げさせる。
「それじゃあ俺はちょっと出掛けてきます。―――沙原君、ビックリさせることはできないけど、楽しみにしててね」
そっとおでこにキスをし、笑めばそれだけで沙原は顔を真っ赤に染め、頷いた。
それを確認して沙原から離れ、歩き出せばすぐに永妻が目の前に現れる。
「千麻...ッ、今弥生に...」
「キスだけだよ。それとも何、唇にディープなものをした方がよかったか?」
「この...ッ!」
「言っておくけど今ここで俺に何かしたらお前は確実に沙原に嫌われるよ。...綾西の時みたいにな、」
「...っ!」
後ろの方にいる沙原の存在を出し、永妻にだけ聞こえるような小さな声でそう言えば、今にも噛みついてきそうだった永妻は拳を握りしめて俯いた。
そんな永妻の姿を見て愛都は鼻で笑うと横を通り抜け、店を出た。
「綾西、俺は香月とあそこのトイレに行ってくるから。もしも沙原か永妻が来ようとしてたらすぐに連絡しろ」
「...分かった」
いつの間にか外に出て傍にあるベンチに座っていた綾西にそう言えば、拗ねたような返事をされる。
今日はベタベタしてくるなと言いつけていたため、それを守っていた綾西は不満が酷く溜まっている様子だった。
「俺には、でこにチューしてくれないの?」
先程の沙原との出来事をみていたのか、綾西は口元をへの字に曲げたまま、チラリと目の前に立つ愛都の顔を覗き込む。
「バカか。お前に今そんなことをして俺に何の得がある。調子に乗るな」
「...ごめん。」
「お前にはちゃんと約束があるだろ。その時にいくらでしてやるから変な嫉妬を向けるな。煩わしい。」
「...っ、愛都、」
一時は泣きそうに顔を歪めた綾西だが、すぐに目を輝かせる。
愛都自身、そこまで喜ばれるとは思わず、つまらなさそうに綾西から視線を外した。
そして再び足を踏み出し、綾西に背を向けると今度こそ香月の元へと歩き始めた。
「はぁ、はっ...あっ、香月...く、」
個室トイレの中。観光地のど真ん中で、いつ人が来てもおかしくないこの場所には2人分の荒い息遣いがひしめき合う。
便座の蓋の上に腰を下ろす愛都に覆いかぶさるようにして香月が影をつくる。
香月の手には2人分の勃起した性器が握られており、それは上下して忙しなく扱かれていた。
互いの熱い、脈打つものが締め付けられるようにして密着し合い、酷く気持ちがよかった。
「...ぅッ、あ...イク...こうづき...くっ、」
「う...くッ、」
香月が空いている方の手も使い、亀頭を弄ると先端を爪で抉るようにされ...
その瞬間、愛都は香月とほぼ同時に吐精した。
さすがにここでは本番までやるのは無理だ、ということもありこのような流れになった。
昨日もヤっておいて何だが、香月の手元にある、白く濁った液体を見て随分と自身の体の方は元気なものだ、と漠然と思った。
「愛都...」
「ふっ...ぅ、んん...ッ、」
近づくのは香月の唇。湿ったその唇は愛都の僅かに開いた唇と重なり、深く舌は絡まり合う。
舌は吸われ、歯列はなぞられ、淫らな水音で耳まで犯される。
しつこいほどに続く口づけに何度か意識が遠のく。不快感は募るが、同じくらいに心地よさも体の中を支配した。
抱きしめられる体。頭の後ろを手で抑えつけられ、口づけはより深いものへと変わってゆく。じわじわと広がる温かい体温。この時ばかりは、目の前のこの人間も自分も、生きているのだ、と改めて実感することができた。
― いつになったら、こいつからこの温かさが消えてくれるのだろうか。
快感で昂る体。しかし、心は氷のようにつめたく冷えていった。
「夜...今日は俺の部屋で寝ていけ」
漸く長い長いキスが終わったかと思えば、耳元でそう囁かれる。
少し掠れたその声は色香漂うものであったが、愛都は何も感じることはなかった。
「え...?でも相部屋の人は、」
「相部屋の奴は今日は居ない。あいつは他の奴の部屋で集まってそのまま泊ってくるって朝に言ってた」
「...そうなんだ。...んー、なんか嬉しいな。1日香月君とずっと一緒にいられるなんて」
引きつりそうになる口角を上げ、満面の笑みを香月に向ける。そうすれば香月は片方の口角上げ、いけすかない笑みをつくると愛都のことを見下ろしてきた。
―1日中こいつと一緒にいるなんて、最悪すぎ。
そう、こぼれ出そうになった本音は飲み込み、体の奥深くに押し込む。
今の香月に見せていいのは、満面の笑みと、慕っているような態度。そして好意を伝える熱い眼差し。
愛都は自分ながらにその演技が完璧だと思った。だがなぜか...―――
―――そんな自身の本心に気がつかない目の前の男に僅かな失望を抱いた。
香月が見ているのは楽しい楽しい夢物語。それに気がつくのはいつになるのか。
それとも...―――これが夢だと気がつくこともなく絶望に浸り、堕ちていくのだろうか。
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