君のため | ナノ
 8



 「本当、理解できねぇな」

 俺に見られているということだけで興奮する綾西。

 ― 気持ち悪い

 胸のムカつきが取れず、吐き気さえ感じた。

 気分転換の他にも、これからの計画を立てるための下見も兼ねて部屋を出たが...

 ― とりあえず沙原とは会わないよう注意しておこう。今、会ってしまえばわざわざ綾西をおいて1人で出てきた意味がない。

 それに今回の旅行で沙原と同室になっている永妻に変に動かれても困る。
 この1週間は香月1人に集中する。永妻に邪魔をされたら面倒だ。
 あと必要なのは香月と2人きりになる時間。そのためにも永妻にはしっかりと沙原を監視していてもらわなければ。

 部屋を出て数歩。ホテルの廊下は人気もなく、静かだった。
 他の生徒たちは部屋で旅行の話で盛り上がっているのだろう。どの部屋も防音のため話し声は聞こえないが、扉を開ければ賑わう声が部屋中いっぱいに響いているに違いない。

 ― 皆、“普通”の高校生なんだ。狭い世界の苦悩しか知らない、お気楽な存在。

 別にそれが悪いとは言わない。ただ、そんな光景を見て、今の自分の姿と比べて俺は...――――

 「...さと、の?」

 今いる場所から数メートル先にある扉が開き、中から里乃が出てきた。
 その姿を確認しただけで、愛都の口角は上がっていく。

 最近はまともに話すこともなかった。

 あたりに人の気配はない。それを確認した愛都は里乃を呼びとめようと口を開いた。

 しかし、

 「...っ、」

 閉じかかった扉が再び開き、出てきた人物を目にして息を詰まらせた。

 咄嗟に物陰に隠れ、見つからないよう覗き見る。

 ― どうして里乃の同室者が...

 里乃の隣に立つ男。そいつは愛都が聞いていたはずの生徒ではなかった。

 「よし!カードも持ったし、忘れ物はないな」

 「じゃあ、俺は行くから」

 「おう!またあとで―――― 香月君!」

 ― あぁ、さっそく面倒くさいことになった。

 予想外の展開に愛都は眉を寄せた。

 「 まーなと 」

 「っ!!」

 そんな時だった。突然後ろから伸びてきた手。冷たい掌は愛都の口元を覆いもう片方の手は腰にまわる。
 嗅ぎ慣れた香水の匂いが鼻先を掠め、思わず眉をひそめた。

 「隙ありすぎ。どんだけあいつらに意識持ってかれてるんだよ」

 顔を横に向けさせられ見えたのは、相変わらず薄気味悪い笑みを浮かべた叶江の姿だった。

 「おいで。俺の部屋はここだから」

 「...は?なんであんたの部屋がこの階に、」

 グイ、と強く手を引かれ、すぐ近くの部屋に連れ込まれる。
 確認した時、叶江の部屋はこの階ではなく別の階で自分の部屋とは離れていた。

 それなのに連れ込まれたこの部屋は自分のところから僅かに2〜3部屋離れているだけですぐ近くだ。

 ― また予定が狂うな

 思わず舌打ちをしてしまう。

 一体何を考えて部屋を変えたんだ。何か企んでいるのか...

 「ただの嫌がらせだよ。こないだはムカついたからな。まぁ安心しな、これ以上の邪魔はしないから」

 窓際のソファに座りながら叶江はそう言い切る。
 叶江の邪魔がないとわかれば一先ずは安心だがその偉そうな物言いに苛立ち口元を引き攣らせた。

 「話はそれだけか。それなら俺はもう行く」

 これ以上、ここにいる理由がない。いても無駄にこいつへの苛立ちが膨らむだけだ。
 そう思い、愛都は叶江の返事を聞くこともなく踵を返す。

 「それにしても、本当...似てるよな。顔はそうでもないが、声はそのままだ。――― 里乃は宵人みたいにならなければいいな」

 扉に手を掛けた瞬間、背中に向けられた言葉。含みのある内容。

 「あぁ、そうだな」

 しかし愛都が振り向くことない。いつもの口調でそれだけ答えるとそのまま扉を開け、叶江の部屋を後にした。


 ――


 ――――


 ――――――


 「あっ、愛都おかえり、早く帰ってきてくれたんだね!俺ちゃんと床きれいにし―――― ぅ、ぐっ...!!ぁ...っ、」

 自分の部屋に戻り、走り寄ってきた綾西の脇腹を躊躇なく蹴りあげる。
 当然のことながら、受け身をとっていなかった綾西は床に倒れ込み、呻いた。そんな綾西の上に跨り、よほど痛かったのか涙目になっている綾西の頬に手を添える。

 「お前は無力で可愛いな。叶江とは大違いだ」

 「うぅっ、く...まな、と...?」

 「俺が狂ってもそれ以上の苦しみを叶江に与えてやる」

 抑えていた怒りは爆発し、噛んだ唇からは血が流れる。力を入れすぎた拳は血色を失い白くなっていた。

 「愛都...血、出てるよ」

 首元に掛けられる腕。引き寄せられるまま愛都は上半身を綾西の方へ下げていく。

 「愛都が狂う時は俺も一緒だよ」

 そうして舐められる唇。そこは丹念に舐められるたびにピリリと痛んだ。





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