▽ 19 綾西side
「何なんだよ...なんなんだよ!!クソっ、」
ガン、と壁を殴り、怒りを紛らわそうとするが怒りは収まることもなく無意味な行為となってしまう。
制服の袖から出た手首にはいくつもの打撲痕があった。...この痕は体中、全体に散らばっている。
あいつらも考えがあってやっているのか顔には1つも傷が無かった。
―なんで俺がこんな目に合ってるんだ。あんな知らない...見ず知らずの奴らなんかに。
千麻に屈辱的な仕打ちを受けてから数日。
あれから俺は顔見知りでもない男子生徒から、会えばいつも暴力を振るわれ姿の見えない犯人によって部屋以外の場所...教室などにあった私物は全て上靴などもボロボロにされ自身のロッカーに入れられる、という酷い状況に陥っていた。
「これじゃあ、まるで...」
―千麻 宵人と同じ状況じゃないか。
そう思った瞬間、体から力が抜け綾西は壁伝いにズルズルと床にしゃがみ込んだ。
「や...よい...弥生...っ、」
嫌、だ...嫌だ嫌だ嫌だ...。あいつと同じだなんて、そんなの...っ、
「会いたい。会いたいよ...弥生、」
傷だらけの手で顔を包み込み、瞼を閉じればすぐに弥生で頭の中はいっぱいになった。
愛しい弥生。大切な...俺の、唯一の存在。お前しかいない。俺はお前しかいらない。弥生しか、俺にはいないんだ...っ、
今まで弥生中心で香月達以外に話す生徒なんて誰もいなかった。
こんな状況に陥った今、心の支えは弥生だけだった。香月達なんかには言ったって、弱みを握られるだけ。...あいつらは弥生がいるからこそできた俺の“トモダチ”だから。
―なぁ、体中が痛いんだ。こんな痛いのは初めて。辛い...辛いよ。
今はすぐにでも弥生に会いたかった。弥生の姿を見て落ち着きたかった。
あれから教室まで行くが、そこには弥生の姿どころかそのクラス全員そして俺のクラスの全員の姿も見えなかった。
「合同体育、か...」
しかし、そういえば、と次の授業を思い出し綾西は自分のロッカーの中を一瞥するが、当のジャージは使い物にならないほどボロボロにされていた。
しかたがなく、体育は見学という形で授業を受ける事にしてすぐに体育館へと向かった。
――
――――
――――――
「...っ、なんであいつが弥生の隣に...」
体育館に着き弥生の姿を確認してすぐ、俺はその隣にいる千麻に目がいった。
―俺の...俺の弥生に...っ、
キッと憎しみを込めて千麻を睨む。
俺をこんなんにしたのはきっと千麻の仕業だ。あの平凡...千麻宵人のことで俺に...
いじめてたのは俺だけじゃないのに...晴紀や和史だって...
「...っ!」
「綾西君!おはよう」
近づくこともできずに睨んでいれば、不意に千麻がこちらを向き微笑んできた。そして弥生を置いてこちらへと駆け寄ってくる。
その瞬間、綾西はあの日の千麻との出来事を思い出し、じわり...と脂汗を掻く。
―こっちに...来るな...っ、
しかし、駆けだすよりも早く千麻は逃げられないように綾西の手を掴んだ。
「最近会わなかったからさ...心配したんだよ?...すごくね」
そして今度は歪んだ笑みを作り、耳元でそう呟いた。
ぞくり、と背筋は凍り、緊張感が高まって心臓の音はバクバクと五月蠅く鳴り響く。
千麻への恐怖心に対してもろに体は反応し、そんな自分自身に苛立ちを感じるが、どうすることもできなかった。
「...クソっ!」
「っ!...ひどいよ、綾西君」
「うるさい...うるせぇんだよ!お前のせいで俺は...っ、」
「何やってるの泰地!愛都君を殴るなんて許さないよ」
掴まれている手を離させようと千麻の手を強くはたき落とし、怒りのまま手を振り上げると同時に聞こえた、弥生の声。
それは俺が初めて聞く、威圧をこめた強い口調のものだった。
「あ...やよ、い...」
「大丈夫、愛都君?怪我してない?」
だがすぐにそれはいつもの...いや、いつも以上に柔らかく、優しい口調へと戻る。
...千麻に対する態度の変化によって。
―俺のことなんて全く見てくれない。
「大丈夫だよ。それより綾西君、少し痩せた?...ちゃんとご飯食べてる?」
「っ、触るな...」
「うわっ、」
ツゥと頬をなぜられて驚き、綾西は距離をとろうと千麻の体を押した。
...それは弥生もいた手前、“軽く”したものだった。しかし千麻はまるで強く押されたかのようによろめき、そのまま床に尻もちをついた。
「愛都君!」
千麻に駆け寄り、視点を合わせてしゃがみ込む弥生。
何でもない、という風に笑う千麻。
まるでこれでは俺が悪者みたいじゃないか。
「なん、だよ...俺は軽く...っ、強くなんて...」
「言い訳しないで泰地。」
そして向けられる弥生の突き刺すように冷たい瞳。
「やよ、い...嫌だ...そんな目で見ないでよ。そんな目で...」
初めて向けられる表情。
俺が最も向けられたくない...眼差し。
―嫌だ、そんな...俺は弥生に見捨てられたくないのに...
綾西の目は自然と開き、呼吸は浅くなっていく。
「あとで...いや、今保健室に行く?」
「ううん。どこも怪我してないよ。それにただちょっと倒れちゃっただけだから平気。」
「本当...?じゃあ、もし後ででもどこか痛くなったら言ってね!」
「うん、ありがとう沙原君」
俺のことなど眼中に入れず千麻をただひたすらに心配する弥生。
「弥生...っ、」
「あっ、待って綾西君!」
2人の姿を見ているのが辛くなり、綾西は背中を向けて駆けだした。
走って走って、息が切れて苦しくなって。それでも...フラフラになりながらも走る。
2人の姿が見えなくなっても、綾西は構わず足を動かし続けた。
「おっと、危ない。廊下は走っちゃいけないんだよ?たーいち君」
だけどそれも止められる。
...今まで俺が見下してたやつらによって。
「どうしたの?すっごい息切らしちゃってさ」
「まぁ、でも俺らにはそんなの関係ないけどね」
掴まれる肩。そして近くの男子トイレへと連れて行かれる体。
「それじゃあ今日も楽しもうよ」
静かな周囲。そこに響く、肉を殴る鈍い音。肉を蹴る鈍い音。―――そして綾西の痛みに耐えるうめき声。
体中の痣の上に重ねるかのように何度も何度も力が加えられる。
ひどい激痛が走る。だから痛い、というがやつらはそんな俺を見て楽しそうに笑うだけ。
―誰もやめてくれない。誰も助けてくれない。
苦しい、辛い中、思い出すのは弥生のことだけ。
だけど...どうしてか、いつもの弥生を思い出すことができなかった。
さっきまでは...体育館で弥生と千麻がいるのを見るまでは思い出すことができたのに。
けれど、どんなに思い出そうとしても...いつもの弥生の顔を思い出すことができない。
― 俺を見ない弥生
― 千麻を見つめる弥生
― 俺を冷たい瞳で見下す弥生
― 千麻を温かな瞳で見守る弥生
「あれ...弥生が最後に笑顔を向けてくれたのって...いつだっけ?」
殴ってくる奴らも消え一人、床に倒れこむ綾西の頬には、溢れるほどの涙が流れポタポタと床にいくつもの涙の跡をつくった。
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