▽ 16
『愛都...さみしいよ、愛都』
『...ぁ、よい...と、宵人...なのか、』
『愛都...愛都...っ、僕を1人にしないで。見捨てないで...』
ふと気がつけば、俺は真っ白な部屋の中に1人でいた。周りからは宵人の声が響くようにして聞こえてくる。
だがどこを見ても宵人の姿はなく、白い壁と天井のみが視界に入るばかりだった。
『宵人、どこにいるんだ...なぁ、こっちに来てくれよ!宵人...っ、』
『愛都愛都愛都...っ、苦しいんだ、助けて―――息が上手く、吸えない...』
『 宵人っ!!』
急にすぐ後ろから声が聞こえ、俺は慌てて振り向いた。するとこちらに背を向けて横たわる宵人の姿を発見した。
すぐに俺は宵人の元へと駆け寄り、抱きかかえる。
...その首元には縄で絞められたような苦しげな痕が残っていた。
『宵人、俺だ!もう大丈夫だよ、俺がいるから...ずっと、一緒にいるから』
瞼を閉じ、起きようとしない宵人の頬を優しく撫ぜる...慈しむように、ゆっくりと。
―その瞬間、宵人は瞼をバチリと開け、顔を俺の方へと向けてきた。
『...っ!?』
その目を見て、俺は悲鳴をあげそうになった。
いや...正しくは目があったであろう場所を見て。
宵人には...目がなかった。2つの“穴”には暗い闇が広がっているだけだった。
『僕は、ただ幸せになりたかった...』
ゆっくりと動く宵人の唇の動きを俺は目で追う。
『愛都のせいだ...全て愛都のせいで』
低音になる声音。
その言葉と同時に白かった部屋は徐々に黒く染まっていき、抱きかかえていたはずの宵人は消え去ってしまった。
『あ゛...ぁ、俺の...せい、』
黒目が安定せず、宵人の言葉を考えれば考えるほど、俺は体の感覚を失っていった。
そして全てが黒く染まった時、俺は一粒の涙を流した。
――
――――
――――――
「...なと...愛都君、起きて。探したよ、3時間目あたりからどっかに行っちゃってたから。まさか屋上にいるなんて思わなかったよ」
「...沙原、君?」
肩を揺らされ、うっすらと瞼を開ければ明るい日射しが視界いっぱいに入ってきた。
目の前には柔らかな笑みを浮かべた沙原が座っている。
さっきのは、夢...か。
俺は静かに溜息をした。
「もう昼休みだよ!ほら、ご飯一緒に食べようって言ってたでしょ?だから愛都君のこと探してたんだ」
「あー、手間掛けさせちゃってごめんね。どこに行くか一言、言っておけばよかったね」
沙原に軽く謝ると俺はズボンについていた汚れを払い落し立ち上がる。
そして曲がっていた身体を伸ばすようにして、背筋をピンと張らせた。
「それじゃあ行こうか」
「うん!」
沙原はこちらをじっと見つめ、歩き出す俺の後ろを小型犬のようにとことことついてきた。
そんな沙原を視界の端にとらえた俺の心は、先程の内容も相まって酷く冷め切っていた。
― 不快な昼だな。
ところ変わって愛都は多くの生徒でにぎわっている食堂に来ていた。そして一度持っていた箸を皿の上に置き、ため息をする。
愛都を見る様々な思惑を含ませている視線の数のせいで食欲は失せてしまった。
周りの生徒はまだ無視をできるのだが、こいつら...特に香月は酷く煩わしい。
永妻はまだいい...嫉妬に狂った目だから。むしろそんな永妻を見て愉快に感じてしまうほどだ。
しかし香月は違った。いつもの嫉妬と嫌悪が混ざった目をしていなかった。...こんな真昼間から、性欲を感じさせる目をしていた。
今日はさすがに綾西もおらず、4人用の席に座っていて俺の隣には香月がいた。
熱っぽい目で全身を舐めるように見られ、もう何度もさりげなく腰のあたりを触られている。
「あの...香月君、」
ついに我慢ができなくなり、俺の腰を触る香月の手を掴み体から離す。
もちろん、素は出さずにちゃんと作った自分を出しながら。
照れたように、恥ずかし気に振る舞えばその反応を見て香月は楽しそうに口角を上げた。
「あ?今更こんなことで顔赤くしてんじゃねぇよ。昨日の方がもっと激しかっただろ?」
「そ、それは...っ、」
耳元で囁く香月の声にイラッとし、青筋が立ちそうになるがなんとか堪えて演技を続ける。
「あ...あんなこと、...。昨日の今日でどう香月君と顔を合わせればいいのか分からないんだよ」
目線を下げてそう言えば、一瞬香月は真顔になった。
―あぁ、疑ってる疑ってる...でも、あともうひと押しだな。
その顔を横目でとらえ、俺は心の中でほくそ笑んだ。
「お前...本当に、俺の記憶がないのか...?俺とヤッたのも昨日が初めてだっていうのかよ」
「だから、何回もそうだって言ってるだろ...香月君とヤるのは昨日が初めてだ。あんな...、」
「...ふーん。じゃあ、泰地と晴紀とヤったことは覚えてるのか?」
すると香月は最後の質問とばかりにそう俺に投げかけてきた。
全てを納得させろとでも言っているかのように。
「なんで知って...っ!でも...俺自身...その時のことは、すごく曖昧で...嫌な記憶だし、それにそれは叶江に嵌められて...」
すると香月はニヒルに笑った。どこか満足そうに。
「へぇ、そう。そういうこと。それは都合がいい...」
「え?...都合?あ、このことは誰にも言わないでくれよ?」
「わかってるよ。こんな良い話、泰地達に話したら俺が逆に恨まれそうだしな」
肩の力を抜いた香月は最後にそう呟き食事の手を再開させた。
自分は罪の重さから一人逃れることができた、復讐されずに済んだ、そう思ったのだろう。
―本当、結構単純。
まぁ、これで香月を堕とすための大切な土台ができたことに変わりはないけど。
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