▽ 11
俺が叶江にここへ連れて来られて何日が経ったのだろうか。
テレビも時計もない部屋にいるせいで時間の感覚が麻痺してしまっていた。
唯一わかることといえば窓の明かりによって知ることができる、昼と夜の違いだけだ。
叶江は日が昇って少ししたらここを出ていき、空が赤く染まるころに帰ってくる。
きっとあいつはいつも通り学校に通っているのだろう。...俺のことをここに監禁したまま。
日常生活は酷いものだった。
食事の管理はもちろん排泄などの管理までされ、夜になれば毎日叶江に飽きるまで抱きつくされる。
もうプライドも何もかも踏みつぶされ、俺に残っているのは宵人を想う気持ちだけだった。
一日一日過ごす毎に溢れ、募っていく宵人への愛情。
それは兄弟としての家族愛なのか、恋愛的感情なのかは分からない。
しかし、宵人がひどく恋しいということに変わりはない。
宵人宵人宵人...っ、会いたい、会いたいよ...
ベットに横になり自分の身体を抱きしめる。
俺が抵抗したことによって振るわれた暴力による殴打の痕と、濃くつけられた無数のキスマーク。
汚れて汚らわしくなった俺の身体。
それでもきっと宵人は俺を抱きしめてくれるはずだ。あの柔らかい微笑みを浮かべて。
「ただいま」
耳元で囁かれる聞き慣れた声。さらさらとした茶髪が顔にあたり、唇が塞がれる。
酷く濁った瞳に映る叶江の顔。いつの間に帰ってきたのだろうか、全く気がつかなかった。
「愛都...ここから出てもいいよ」
俺の身体の上に跨り、肩口に顔を埋め痕をつけながら叶江はそう言った。
途端俺の瞳から濁りが消え、明かりが戻ってくる。
「帰れる...のか...?」
「あぁ、帰してあげる」
唇にキスをし、口角を上げ叶江は笑う。
宵人に会える。漸く...漸くだ、愛しい宵人に。
胸が歓喜し、心の重荷が取れ軽くなる。
だからだろうか、目の前に与えられた心浮かせる話に気をとられ俺は気がつかなかった。
「もう終わりを向かえるからね」そうニヒルに笑いながら呟いた叶江の言葉に。
叶江の専用の使用人が運転する車で、叶江と共に俺の家へと向かう。
久々に見る外の景色だが、俺はそれに目もくれず宵人のことばかりを考えていた。
宵人は無事か?俺がいない間どうしてたんだ。ずっとずっと泣いていたのか?
俺が帰ってくるのを待ってくれている?ずっと...ずっとずっとずっと。
家に着くまでの間その考えが止むことはなかった。
―
――
―――
「着いたぞ」
やけに長く感じた道のり。溢れ出す宵人を思う気持ち。
車が家の前に止まるなり俺は扉を開け外へ飛び出る――が、
「薄情だな。寝食を共にした俺には何もなしかよ」
「離、せっ」
宵人...宵人宵人宵人...っ。早く早く宵人に...。
叶江に腕を掴まれ歩みを阻まれる。離してほしくて、腕を振るが中々外れない。
「はぁ。ま、いい...」
しかし、ため息を吐くと叶江は俺の腕を離した。そして俺は振り返ることなく玄関へと向かう。
「きっとお前はまた俺の元へやってくるから」
玄関の取っ手に手をかざしたとき、後ろでそう言った叶江の声が耳に入ってきた。
だが、そんなことを気にすることもなく、俺は取っ手をとり家の中にへと入っていった。
扉に鍵が掛かっていなかったことに一瞬疑問を持つが、それも深くは考えず宵人を探し出そうと気をそちらへと戻す。
――ガタッ、
「...宵人、か?」
靴を脱ぎ、一歩踏み出したとき上の階から何かが倒れる音が聞こえてきた。
すぐさま俺は音のしたであろう場所へと向かう。
「宵人っ!どこにいるんだ!!」
二階に上がるが、そこは物音一つせず、廊下は静まり返っていた。
「宵人...宵人!部屋にいるのか?なぁ、」
しかし、ここの階のどこかに宵人はいるはずだ。必ず...。
足早に宵人の部屋の前へ行き、ノックをして名前を呼ぶが返事は来ない。
「宵人、いないのか...?」
ガチャリと宵人の部屋の扉をゆっくりと開ける。
部屋の中へと一歩踏み出し、顔を上げた俺は一瞬その体勢のまま固まった。
「よい...と、」
肉を絞める縄の微かな音。その縄に首を絞められ吊るされている――俺の大切な義弟である宵人。
薄く開けた虚ろな瞳に、口元から伝う唾液。
あまりの衝撃の強さにすぐさま体を動かすことができなかった。
「あ゛あぁ...っ、ぅ..ぁ、よい...と、」
痙攣しているように小刻みに震える宵人の体。
...生きている。まだ宵人は生きている。
だが、体が動かない...。動けよ!動けよ動けよ動けよ!!
「、ま...なと...っ」
重なり合う視線。そして宵人の口から俺の名前が出た瞬間、俺は宵人を助けようと動き出した。
机の棚にあったカッターを掴み、近くに転がっていた椅子を宵人の前に置く。
その上に立ち、宵人の体を抱きこむと首を絞める縄をすぐにカッターで切った。
どさりと俺の体にもたれ、体重を乗せてくる宵人。
「宵人...宵人、大丈夫か...?」
だがその呼びかけに宵人は答えてくれない。
椅子から降り、ベットの上に宵人を寝かせる。まさか、と思い宵人の口元に頬を近づける。
――呼吸をしていない
「そん...な、嘘だ...嘘だ嘘だ嘘だあぁっ!」
ピクリとも動かない宵人の体。
俺の叫ぶ声と共に悲痛の涙が瞳から溢れ出した。
『愛都、どこにいるの?ごめんね、僕寝ちゃってたんだね。電話待ってます』
『愛都、そろそろ夜ご飯食べよう?それとも今日は何か用事があるの?電話の折り返し待ってるね』
『あ、何回もごめんね。今日は忙しいのかな。夜ご飯愛都の分も作ったの冷蔵庫に入ってるからよかったら食べて。それじゃあ、おやすみ』
これは俺が叶江に連れて行かれた日に俺の携帯に着ていた宵人からの留守番電話。
『おはよう愛都。今どこにいるの?今日は帰ってこれる?電話待ってるね』
そしてこれは2日目。あと、メールが数件。
『愛都、早く帰ってきて。メールは見てくれた?返信待ってるね』
『今日も夜ご飯冷蔵庫に入れておくね。おやすみ愛都』
3日目、この他にメールが7件
どれもこれも俺を心配するもの。そして俺を求めるようなものだった。
『ねぇ、愛都帰ってきて...。僕が迷惑かけたから帰ってこないの?もう、愛都を困らせないから...だから戻ってきてっ』
どんどん
『愛都寂しいよ。一人にしないで。僕には愛都が必要なんだ。』
狂って
『愛都愛都愛都っ、僕を捨てないで...っ。早く帰ってきてくれないと、もう...』
おかしくなって
『僕もう変になっちゃったみたい。愛都のことしか考えられない。声を聞かせてよ、』
俺を求めて
『愛都、今日は何も食べられなかった。夜ご飯も作れなかったんだ。ごめんね、帰って来た時に作るから、起こして...。おやすみ』
俺も宵人を求めて
日に日に件数も、多くなっていき
内容からも宵人が徐々に弱っていく過程がわかる。
『愛都は僕を捨てたんだね。...迷惑かけてごめんね』
そして
『愛してるよ愛都。今までありがとう』
これを最後に宵人からの連絡は途絶えていた。
白い清潔感漂う室内に、独特な消毒液のにおい。
そんな室内にあるベットに眠る、宵人。
奇跡的に宵人は命を繋ぎとめることができた。
あの後すぐに自分の部屋に行き、スクールバックに入っていた携帯を使って救急車を呼んだ。
救急車が来るまでの間、うろ覚えながらにやった人工呼吸と心臓マッサージが宵人の生存率を上げたらしかった。
だから初めは喜んだ。涙を流して床に崩れ落ちながら...
だけどその数秒後、医師から聞かされた言葉によって俺は目の前が真っ暗になった。
“宵人君は生きている。しかし再び目覚めることはゼロに等しい”
ゼロというわけではないが、殆どないに等しい確率。
担当の医師はそう言っていたが、そのほかにも医師によってはそんな宵人のことを脳死判定する人もいるということも言われた。
嘘だ...信じない信じない信じない信じない。
宵人はもう俺に微笑んでくれないのか?もう、俺を抱き締めてはくれないのか?
「宵人...」
寝ている宵人の手をそっと握る。その手は暖かかった。
以前と変わらない宵人のぬくもり。
俺にやさしく触れてくれたこの手。
けれどそれは動かない...俺には触れてこない。
「宵人...宵人、宵人...っ」
消えた笑顔。包み込んでくれる優しさ、俺を呼ぶ声。
もうお前は俺を見てはくれないのか?
傷ついた顔や体。そして命を繋ぐための人工呼吸器。
「許さない...」
俺から宵人を奪ったやつらを。宵人をこんな状況まで追い込んだやつらを...そして自分自身も、
俺にもっと宵人を守るための力があったならば。もっと早く対処していたならば...。
あいつらを許さない。しかし、宵人を守ることができなかった俺自身もまた、憎らしかった。
宵人は何も悪くなかったんだ。
報われない宵人の想い。
『愛都』
どこからか聞こえた宵人の声。
「...宵人っ。俺が...お前の想い、晴らしてやるよ。お前が味わった苦しみをあいつらにも味合わせてやる」
お前のために俺は何だってやってやる。
お前を守ることができなかった俺が、今のお前にしてやれることなら何でも...。
お前を苦しめたやつらを全員地獄に叩き落としてやる。
だから...全てが終わったらまた、その瞳に俺を写してくれ。
そして俺は温かなその手の甲に誓いのキスをした。
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