多幸感 | ナノ
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 「こんな暑い日でも王子は輝いてるわ。皆言ってるよ、王子の体臭なら喜んで嗅ぎたいくらいだけど全く体臭がなくて残念だって」

 「...女って怖いな」

 窓から外を眺める彼女...―――麻衣子《マイコ》を見て苦笑いする。

 ― カシャッ、

 「え、ちょっと!今外見てて全然カメラ見てなかったんだけど」

 「いいんだよ。お前横顔のラインも綺麗だし」

 そういえば途端に麻衣子の頬は赤く染まり嬉しそうに笑みが溢れる。
 そして俺はもう一度カメラのシャッターを切った。

 セミが煩くなる真夏日。カメラのシャッターを切る大和《ヤマト》の額に一粒の汗が流れる。
 写真を撮られ慣れしている麻衣子は美人だと評判のその顔をこちらに向け愛しそうに見つめてくる。

 麻衣子とは高校の頃から付き合っており、すでに4年目に突入していた。
 元々写真を撮るのが好きで大学では写真部に入った。得意とするのは人物の写真なのだがいかんせん友人が少なく、被写体となってくれる人物が麻衣子以外にいなかった為撮るのは麻衣子ばかり。
 それでも自分で言うのもなんだが顔もスタイルもいい目の前の彼女は被写体としては文句なしの存在であった。

 「今回はどの写真を提出するの?」

 「現像してみないとなんとも言えないけど多分さっき撮った横顔の写真だな。それが最近の中で一番上手く撮れた気がする」

 「まさかのあの写真ですか。まぁ、写真も狙って撮ってない時が自然でいいものなのかな」

 「それは時と場合による」

 「ふーん。まぁ、私の写真を提出してくれるなら文句はありませーん。皆ね、大和が私の写真しか部に提出しないの知ってるからすごく羨ましがってるんだよ。麻衣子は彼氏に愛されてるね、って!」

 嬉しそうにそう語る麻衣子から大和は目線を逸らす。それは決して照れているからではない。

 ― 別に俺は被写体が他にいれば麻衣子以外の写真を提出してもいい...なんて言ったら数日は根にもたれるんだろうな。

 束縛の激しい麻衣子のことを考えればそんなこと、口が裂けても言えなかった。
 
 「そういえば王子、大和と同じ写真部に入ったんでしょ?ずっとどのサークルにも入らないで遊び回ってたのに」
 
 「あー、阿澄《アスミ》な。おかげであいつ目当ての女がわんさか入部希望出してきて部長も参ってた」

 ふと思い出すのはつい先日のこと。
 入学早々から王子と騒がれている男、阿澄が突然写真部に入部希望の紙を提出してきたのだ。学内でも人気の男の登場に写真部の入部倍率は軒並み上がりたった数日で1番人気の部となった。
 と言っても、ほとんどが写真が好きで入部しているわけではないので幽霊部員となるのが主ではあるだろうが。

 「私的にはその王子にくっついてきた女の子が大和に目をつけないか心配なところなんだけどねー。私も写真部に入ろうかなぁ...」

 「いらん心配をするな。それにお前は体動かす方が好きだろ。写真部に入ったところですぐに飽きたっていって煩く喚くのが目に見えてるしな」

 「まぁ...否定はできないけど」

 そう言いつつも不満そうな顔をする麻衣子の頭を撫でると大和は荷物を片付けて立ち上がった。

 「それじゃあ、俺は今日撮ったのも含めて写真現像してから帰るから、また明日な」

 「もうそんな時間か、早いなぁ。あ、そうそう、今日はテニサーの皆と飲みに行くから夜に電話できないかも」

 「はいはい。気をつけて」

 日課である夜の電話が今日はないと思えば幾らか気が楽であった。麻衣子のことは好きだし大切にはしているが、家に帰ってまで電話をして自分の時間を削られるのが拘束されているようであまり好きではない。
 それでも嫌がらずに続けているのは結局のところ惰性か。それに嫌がったところで待っているのはまるで検察官のように鋭く突き詰めてくる麻衣子の姿だ。
 浮気だなんだと騒がれる方がよっぽど疲れる。

 「暗室空いてるかな」

 そうして早足で去っていく麻衣子を傍目に大和は暗室のある部室へと向かった。
 今の時間であれば空いていることが多いが、いかんせん部への写真の提出日が近い為誰かが使っている可能性も大いにある。
 その時はこないだ買った本でも読んで待っていようと歩きながら鞄の中身を確認する。そしてその瞬間大和は冷や汗を掻いて立ち止まった。

 ― カメラがない。

 肝心のカメラが鞄には入っていなかった。きっと講義室に忘れてきたに違いない。時計を見ればもうすぐ最後の講義が始まる時間であった。

 「あー、最悪」

 自分が使っているカメラは私物でバイトの給料何ヶ月分も叩いて買ったものだ。誰かに売り飛ばされたらたまったものではない。

 すぐに大和は方向転換して先程までいた講義室へと走った。

 ――


 ――――


 ――――――


 「助かった...」

 先程とは違い人が集まり始めた講義室内。親切な誰かが目立つようにと置いてくれたのだろう、講師の机の上にカメラは置いてあった。
 お礼を言いたいところであるがそれらしき人は見当たらず、大和は無言でカメラを鞄にしまった。

 ― まだ講師が来ていなくてよかった。

 流石に授業が始まっていれば中に入ることなどできない。
 再び時計を見た大和は安堵の息を吐き出すと、急いでその場を後にした。

 
 「あれ、このカメラ俺のじゃない。誰のだろう」

 
 多くの人間に囲まれた男がカメラを手にして、そう話す声には気づかずに。





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