▽ 2
「穂波先輩、大丈夫っすか?」
「...あぁ、松高。久しぶりだな。別に俺はいたって普通だ」
放課後、学内の廊下でボーっと突っ立っていると、不意に同じサークルの後輩である松高に声を掛けられた。
短髪で俺よりも少しだけ背の低い松高はよく気が利くいい後輩で、俺はとても可愛がっていた。
何というか、犬のようで可愛いのだ。
「でも...なんかすごく疲れた顔してますよ。今だってなんか心ここにあらずって感じで...」
「まぁ、先輩はかっこいいからその姿さえも絵になっちゃうんですけどね」そう、冗談か本気なのかよくわからないことを付け加えて、松高は会話の雰囲気を和らげた。
そのおかげで少し元気の出た俺は、笑い、松高を軽く小突く。
「そうだ。あの穂波先輩、俺ちょうど昨日先輩が見たいって言ってた映画のDVD買ったんすけど、よかったら見に来ませんか?」
「おっ、それは見たいな。何だ、お前もあの映画興味あったんだ。」
「あっ...はい。前からちょっと気になってて、」
「ふーん。前、話した時反応薄かったから興味ないのかと思ってた。って、でもお前、彼女は良いのか?いつも一緒に帰ってんだろ?今だって急なことだし...」
俺の言葉に何やら落ち着きなくキョロキョロとあたりを見渡す松高だったが、話が変わるとまたすぐに俺と目を合わせてきた。
「そのことだったら大丈夫っす!今、帰れなくなったってメール送ればいいだけっすから」
「なら、いいけど」
そして鞄から携帯を出して松高は彼女宛てにメールを送る。
そこで俺も携帯を出すと、今日の勉強は中止だ、と知らせるメールを二葉に送った。
久し振りの自由な時間。今まで体調を崩してまでして勉強会なんてことをやっていたんだ。
今日一日くらい別にかまわないだろう。
「あっ、穂波みっけ!今日もお前ん家行くわ」
その時、人混みの中でも目立つ、日向が何処からか姿を現し俺に笑いかけてきた。
だが内容が内容なだけに俺は首を横に振った。
「いや、今日は勉強会やんないわ」
「え?なんで、」
俺の言葉に日向も顔をキョトンとさせる。
「日向先輩、今日は俺ん家でDVD鑑賞を...あっ、よかったら日向先輩も―――」
「松高!そろそろ行かないと帰りが遅くなっちまう。早く行くぞ。....悪いな日向、それじゃあ」
俺は松高が日向も誘おうとしているということに気がつき、慌てて会話を途切れさせる。
そしてモタモタとしていた松高の腕を掴んで引っ張るとそのまま歩きだし、日向から離れていく。
「えっ、先輩...いいんすか?」
「いいんだよ。あいつは毎日俺の家に来てんだから、今日くらい」
「...そうなんすか」
― そうだ。たまにはあいつとも離れた方がいいんだ。好きだからずっと一緒にいたいって思うものかもしれないが....
今は少しあいつのいない空間で一休みして気分転換したかった。
「んーーーっ、はぁ...やっぱすげー面白かった。最後までハラハラしっぱなし。」
「そうっすね!もう、主人公が危ない橋を渡りすぎて最後はどーなることかと...」
テレビ画面のエンドロールを眺めながら俺は丸まった背をまっすぐにのばす。
そして食べ終わったハンバーガーの包み紙を上手くゴミ箱に投げ入れた。
帰り道の途中で買ったハンバーガーやポテトなどで腹も膨らみ言葉通り身も心も満足していた。
「今日は誘ってくれてありがとな、」
「いえ!俺も楽しかったっすから」
終始ニコニコと明るい笑顔を向ける松高に俺は心を癒される。本当、昔飼ってた愛犬に雰囲気がソックリだ。
「そういえば、親まだ帰ってこねーの?」
「あぁ...、共働きしててあと1時間は帰ってこないかと...」
「へぇ。なぁ、松高、話変わるんだけどよ...今の彼女、高校から付き合ってるんだろ?すごいよな、今もラブラブで。やっぱりもうヤってんのか?」
「へっ?あっ、い...いや...っ、」
ソファの隣に座る松高に顔を近づけニヤリと口角を上げれば、途端に松高は顔を赤くして戸惑いの声を上げた。
「どうなんだよ。白状しろ、」
「そっ...そりゃ...まぁ、」
頬を掻き、上を向く松高。
「はぁ、やっぱりお前も童貞卒業か」
「お前もって...えっ、もしかして穂波先輩まだなんすか!?」
「まだだ。」
俺がそう言えば、松高は「え゛ーーーっ!!嘘だ!!!」と叫び散らしてきた。
「な、なんで...。だって先輩モテるでしょ!?それなのに...」
「俺、結構淡白な性質でさ。彼女できてもヤらないまま終わるんだよな」
「.......もしかして先輩、インポっすか....?」
「ばか!ちゃんと勃つわ!変な疑いをかけるな」
とんでもないことを言い始める松高に俺はすかさずツッコミを入れた。
「なんならちゃんと証拠を見せてやろうか」冗談っぽく笑い、ベルトを外すふりをする....が、
「おい、松高...お前、」
「えっ!いや!先輩がマス掻いてる姿なんて想像してないっすよ!そんな、」
「そんなこたーどうでもいい。....鼻血、出てんぞ」
タラー...と鼻から赤い筋を流す松高に俺は大笑いした。
「やっぱ、あきねぇな...松高は、」
夜になり、涼しい風を感じながら俺は先程のことを思い出してクスクスと笑う。
あんなに辛くてしょうがなかったのに松高といる間は何も考えないで過ごすことができた。
― 久しぶりにあんな笑ったし、まともに飯も食った。
たまに別の空気を吸うのもいいもんだ。
時刻は夜8時を回ろうとした頃。駅につけばこれから俺と同じよう帰るのか、若者で溢れかえっていた。
携帯には心配していた二葉からのしつこいメールもなく、安心する。
やけにいつにもまして物わかりのいい二葉の様子に一瞬不安を感じるが、それに対しては気付かないふりをする。
せっかく今はいい気分なんだ。どうせ明日からまた辛い日々が始まるのだから。
今日くらい嫌なことは考えないようにしよう。
そんなことを考えながら俺は緩まる頬をそのままに、駅内を進んでいく。
だが、俺はすぐに足をとめた。
― どうして、楽しいままで終わらせてくれないんだよ、
俺の視界の先に写るのは、肩を寄せ合って仲良さげに歩く ―――――――
――― 日向と二葉の姿。
見ようによってはまるでカップルのようにも見える姿に、俺は胸を締めつけられた。
― なん、でだよ...なんで...。なぁ、なんで日向は二葉とあんな風に歩いてんだよ、
目の前の現実が信じられなくて。
人違いじゃないかとバカみたいなことを考えて...
そこからの記憶はない。
気がつけば、俺は自分の部屋にいて、
「...うっ...ひ、なた...っ、ひな...た...っ」
悔しくて悔しくてムカついて...でも日向の中の何かが変わったのだろうという事実を信じたくなくて。
俺は何年ぶりになるか分からないほどの涙を溢れさせて泣いていた。
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